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69.いつか私を見て欲しい――SIDE次期大公
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オロスコ元男爵も、グラセス元公爵家の者達にも、同情は僅かもなかった。滅びるのは自業自得だ。もちろん、文句は山ほどあった。
後妻を貰った兄は、なぜ数年待たなかったのか。喪が明けてすぐ、後妻を娶れば口さがない噂が広がる。先妻が生きていた頃からの愛人だったのでは? 面と向かってそう言われた後妻の怒りの捌け口は、まだ幼い義娘へ向けられた。
伯爵令嬢から公爵夫人へ。その矜持は無慈悲な評価で砕かれ、侯爵令嬢だった先妻と比べられて地に落ちた。惚れた女に惑ったのか、哀れに感じたのか。どちらにしろ、兄は後妻の愚かな言動を見逃した。
リリアナはどれほど恐ろしかっただろう。通常なら1歳の記憶などほとんど残らないのに、あの子は後妻に受けた仕打ちを覚えている。出会い頭に叩かれ、倒れて泣いたところを踏まれたのだと。
気づいた私が助ければ、それが気に入らないとリリアナに八つ当たりした。大公家への養子縁組が決まったのは、この頃だ。内々に打診はあったが、私は条件をひとつ付けて飛びついた。
可哀想な姪を一緒に引き取ること。あの子を置いていけば、殺されてしまう。そう感じるほど、義姉の仕打ちは酷かった。まだバランスが取れずにふらふら歩く幼子を蹴飛ばし、階段から突き落とす。人の所業とは思えなかった。
先代公爵であった父に訴えても、もう爵位は譲ったと動かない。母が亡くなってから、父はただ生きているだけ。息を吸い、食事をして、眠るだけだった。廃人のような父に期待することを止めたことで、逆に覚悟が固まる。
アルムニア大公家は、居心地が良かった。安心してリリアナを乳母に預けられる。大公を継ぐための勉強や仕事は忙しいが、充実していた。
このまま何事もなく穏やかに日々は過ぎ、やがてリリアナに爵位を継承するのだと……疑いもしなかったのに。兄の後妻の醜さに、女性を愛することはないと思っていた私は、運命の出会いを果たす。
隣国に嫁ぎ、夫や義家族にひどい扱いを受け傷ついた女性。バレンティナ嬢――セルラノ侯爵家から逃げ、祖父である皇帝を頼ってカルレオン帝国へ助けを求めた。家族でモンテシーノス王国を捨てたエリサリデ家は、アルムニア公国を通過して帝国へ向かう。
彼女の産んだ子を見たいと仕事を放り出した義父を、国境近くまで追いかけた。出会った瞬間の衝撃は忘れない。息が止まるかと思った。
家族に優しい笑みを向けるバレンティナ嬢に目を奪われた。いや、心も体も捧げたくなった。一目惚れなど、物語の中だけだと思っていたのに。この身に降りかかった現実は、恐ろしいほど束縛が強い。
彼女によく思われたくて、頼りになると思って欲しくて、あれこれと心を砕いた。ようやくエスコートの権利を得るところまで漕ぎ着けたのだ。周囲がどれほど騒ごうと、邪魔をしようが関係ない。
いつか……彼女の傷ついた心が癒えて、私を振り返ってくれるまで。この恋心は疼き続けるのだろう。義父どころか、義娘リリアナにまで見抜かれているが、バレンティナ嬢はまだ気づいていない。
怖がらせないため、このままがいいのか。いっそ気づいて意識して欲しいのか。どろどろした感情を飲み込み、私は彼女に微笑んだ。
「起こしてしまってすみません」
リリアナが一緒にいたいと言っている。そう理由づけて、彼女の部屋を訪問した。もちろん夜なので、エリサリデ公爵家の家令を同行する。リリアナを彼女に預け、扉を閉めた。
「見抜かれておりましたね」
「幼くても女性は怖い。リリアナの方が上手だな」
くすっと笑う。そう、先ほど幼い義娘はこう宣ったのだ。
――おね様が怖がってるけど、お父様は一緒に寝られないんでしょ? 私が代わりにおね様を守ってあげるわ。いつか、お母様になってもらうんだもの。
普段のぎこちない話し方が嘘のように、流暢に話した。つまり、あれは演技か。幾つでも女は男より上手だ。
後妻を貰った兄は、なぜ数年待たなかったのか。喪が明けてすぐ、後妻を娶れば口さがない噂が広がる。先妻が生きていた頃からの愛人だったのでは? 面と向かってそう言われた後妻の怒りの捌け口は、まだ幼い義娘へ向けられた。
伯爵令嬢から公爵夫人へ。その矜持は無慈悲な評価で砕かれ、侯爵令嬢だった先妻と比べられて地に落ちた。惚れた女に惑ったのか、哀れに感じたのか。どちらにしろ、兄は後妻の愚かな言動を見逃した。
リリアナはどれほど恐ろしかっただろう。通常なら1歳の記憶などほとんど残らないのに、あの子は後妻に受けた仕打ちを覚えている。出会い頭に叩かれ、倒れて泣いたところを踏まれたのだと。
気づいた私が助ければ、それが気に入らないとリリアナに八つ当たりした。大公家への養子縁組が決まったのは、この頃だ。内々に打診はあったが、私は条件をひとつ付けて飛びついた。
可哀想な姪を一緒に引き取ること。あの子を置いていけば、殺されてしまう。そう感じるほど、義姉の仕打ちは酷かった。まだバランスが取れずにふらふら歩く幼子を蹴飛ばし、階段から突き落とす。人の所業とは思えなかった。
先代公爵であった父に訴えても、もう爵位は譲ったと動かない。母が亡くなってから、父はただ生きているだけ。息を吸い、食事をして、眠るだけだった。廃人のような父に期待することを止めたことで、逆に覚悟が固まる。
アルムニア大公家は、居心地が良かった。安心してリリアナを乳母に預けられる。大公を継ぐための勉強や仕事は忙しいが、充実していた。
このまま何事もなく穏やかに日々は過ぎ、やがてリリアナに爵位を継承するのだと……疑いもしなかったのに。兄の後妻の醜さに、女性を愛することはないと思っていた私は、運命の出会いを果たす。
隣国に嫁ぎ、夫や義家族にひどい扱いを受け傷ついた女性。バレンティナ嬢――セルラノ侯爵家から逃げ、祖父である皇帝を頼ってカルレオン帝国へ助けを求めた。家族でモンテシーノス王国を捨てたエリサリデ家は、アルムニア公国を通過して帝国へ向かう。
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家族に優しい笑みを向けるバレンティナ嬢に目を奪われた。いや、心も体も捧げたくなった。一目惚れなど、物語の中だけだと思っていたのに。この身に降りかかった現実は、恐ろしいほど束縛が強い。
彼女によく思われたくて、頼りになると思って欲しくて、あれこれと心を砕いた。ようやくエスコートの権利を得るところまで漕ぎ着けたのだ。周囲がどれほど騒ごうと、邪魔をしようが関係ない。
いつか……彼女の傷ついた心が癒えて、私を振り返ってくれるまで。この恋心は疼き続けるのだろう。義父どころか、義娘リリアナにまで見抜かれているが、バレンティナ嬢はまだ気づいていない。
怖がらせないため、このままがいいのか。いっそ気づいて意識して欲しいのか。どろどろした感情を飲み込み、私は彼女に微笑んだ。
「起こしてしまってすみません」
リリアナが一緒にいたいと言っている。そう理由づけて、彼女の部屋を訪問した。もちろん夜なので、エリサリデ公爵家の家令を同行する。リリアナを彼女に預け、扉を閉めた。
「見抜かれておりましたね」
「幼くても女性は怖い。リリアナの方が上手だな」
くすっと笑う。そう、先ほど幼い義娘はこう宣ったのだ。
――おね様が怖がってるけど、お父様は一緒に寝られないんでしょ? 私が代わりにおね様を守ってあげるわ。いつか、お母様になってもらうんだもの。
普段のぎこちない話し方が嘘のように、流暢に話した。つまり、あれは演技か。幾つでも女は男より上手だ。
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