看取り人

織部

文字の大きさ
上 下
32 / 56
シウマイ弁当に卵焼き

シウマイ弁当と卵焼き(10)

しおりを挟む
 天井を向いたまま母親の目が動く。
 まるでそこに何か映像か文章でも浮かんでいるかのように目が動く。
「私のことはどこまで知ってる?」
 母親は、掠れた声で言う。
 呼吸が微かに荒く、一言喋るだけで痛みが走るように顔を歪める。
「概要程度です」
 看取り人は、小さい声で答える。
「叔母さん・・・貴方の妹の7つ年が上で幼い頃から優等生で通っていたこと。市立大学を優秀な成績で卒業して大手の医療機器メーカーに就職したこと。そして妹さんが大学生の頃に失踪したこと。そこまでです」
「正解だよ」
 母親は、そう呟いて息を短く吐く。
「何故・・失踪されたんですか?」
「・・・深い意味はないよ」
 母親は、天井に書かれた文章を読むように言う。
「別に何かの事件に巻き込まれた訳でも、男に騙された訳でもない。強いていうなら立派な人間でいることに疲れたんだ」
 看取り人は、眉を顰める。
「私はね。努力の人間だったんだ」
 決して頭の良い人間でもなければ運動神経だって人並み、容姿だって妹のような端正な作りではない。
「だから努力した。認められるように努力した」
 別に親にプレッシャーをかけられた訳でもない。勉強が出来ないと貶されるような学校でもなければ友達も優しい子達ばかりだ。
 強いて言うなら・・・。
「妹に認められたかった」
 7つ年下の妹。
 自分と違い、要領が良くて何でも器用にこなし、頭も良く、容姿も淡麗な妹に。
「妹さんは・・・貴方に憧れていたと言ってましたよ」
 看取り人に姉の事を語る叔母さんはとても苦しそうだった。
 叔母さんの知る姉は、まさに理想だった。
 将来、こんな素敵な女性になりたいって思うくらいに輝いていたと言う。
「そう見せてたからだよ」
 母親は、遠い目を天井に向ける。
「あの子の前で私は強い姉、賢い姉をずっと演じていたから」
「何故です?」
 看取り人の質問に母親は苦笑する。
「姉としての見栄・・だね。今にして思えばあの子が生まれ落ちた瞬間から私は見栄を張り続けていたんだ。そして・・・」
 母親は、目を閉じ、そして開ける。
「ある時を境にそれが弾けた」
 大学生になった妹が彼氏を連れてきた。
 高校生の一時期はヤンチャして家族にも自分にも迷惑を掛けていたのにしっかりと更生して姉を追いかけるように市立大学に入学し、しっかりと彼氏まで作っていた。
 その彼氏を見てがっかりした。
 綺麗な顔立ちをした妹が選んだとは思えない平凡な顔立ちをした男。
 きっと自分にはない魅力がたくさんあるのだろうと今にすれば思うが当時の母親はそんな考えに思い至ることもなかった。
 母親の頭を埋め尽くしたのはこんな平凡でつまらない男ばかりを見て、自分に見向きもしなくなった、その事実だった。
 その瞬間に母親の頭は弾けた。
 何のために自分は頑張ってきたのだろう?
 何のために自分の持つ力以上の事をするために全ての楽しみを捨てて努力してきたのだろう?
 一度、そう思ってしまったらもう歯車は止まらなかった。気がついたら会社に辞表を出し、必要最低限の荷物とお金を持って母親は家を出た。
 両親は当然、警察に捜索届を出して母親を探した。
 興信所にも依頼した。
 しかし、母親は見つからなかった。
 母親の隠れ方が上手かった訳でなく、単に運が良かっただけだ。
 母親は、名前を偽り、離れた街のキャバクラでホステスをして過ごした。
 場末の、今まで働いていたところの半分にも満たない給料に福利厚生もしっかりしてない。衛生管理も出来てないから店員が何をしようが知ったことではない。
 放ったらかし。
 そんな言葉がとても似合う職場。
 だから、母親はとても居心地が良かった。
 見栄を張らなくていい。
 格好つけなくていい。
 ありのままの自分を晒してもいい。
 ありとあらゆる縛りから解放された母親がハマったのは男だった。
 母親は、店に来るあらゆる男と寝た。
 会社の役員という男もいれば定年退職した高齢者、そして大学生と名乗る若い男、ありとあらゆる男と寝た。母親は彼らに筆下ろしと快楽を与える身代わりにお金をもらった。かなりの金額だが本格的な店に行くよりは安い。それに見た目の良い母親と行為が出来るなら安いものだと男達は考えていた。
 そんな中、母親は妊娠した。
 この生活を続けてから8年経っての初めての妊娠だった。それが運の良いことなのか悪いことなのかは分からない。しかも、たくさんの男と関係を持ったから誰が父親かも分からない。
 普通なら堕胎を考えるだろう。
 保険には入っていないが日々の泡銭で中絶費用くらいは自費で払えるくらい持っていた。
 それに関係を持った男達を脅して行けば費用くらいは出すだろう。
 しかし、母親は子どもを産むことにした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

俺は彼女に養われたい

のあはむら
恋愛
働かずに楽して生きる――それが主人公・桐崎霧の昔からの夢。幼い頃から貧しい家庭で育った霧は、「将来はお金持ちの女性と結婚してヒモになる」という不純極まりない目標を胸に抱いていた。だが、その夢を実現するためには、まず金持ちの女性と出会わなければならない。 そこで霧が目をつけたのは、大金持ちしか通えない超名門校「桜華院学園」。家庭の経済状況では到底通えないはずだったが、死に物狂いで勉強を重ね、特待生として入学を勝ち取った。 ところが、いざ入学してみるとそこはセレブだらけの異世界。性格のクセが強く一筋縄ではいかない相手ばかりだ。おまけに霧を敵視する女子も出現し、霧の前途は波乱だらけ! 「ヒモになるのも楽じゃない……!」 果たして桐崎はお金持ち女子と付き合い、夢のヒモライフを手に入れられるのか? ※他のサイトでも掲載しています。

君の音、僕の音

オレガノ
ライト文芸
『君の音、僕の音』は、まっすぐで不器用な中学生・葉月涼が、自分の「音」と向き合いながら成長していく物語です。 ピアノが唯一の心の拠り所だった涼は、繊細で内向的な性格から、自分に自信が持てず、いつも人の顔色ばかり気にしています。 でも、そんな彼のそばには、優しく寄り添ってくれる猫のショパン、明るく前向きな幼なじみのアオイ、そして密かに想いを寄せてくれるクラスメイトの真澄がいます。 この物語は、音楽の才能を問う話ではありません。「自分って、いったい何だろう」「本当にこのままでいいの?」と迷うあなたのための物語です。 涼の奏でる音には、喜びや悲しみ、焦りや希望――そんな揺れる気持ちがそのまま込められています。とても静かで、だけど胸の奥に深く届く音です。 読んでいると、あなたの中にもある「ちょっとだけ信じたい自分の何か」が、そっと息を吹き返してくれるかもしれません。 誰かに認められるためじゃなく、誰かを驚かせるためでもなく、「自分が自分のままでもいいんだ」と思える――そんな瞬間が、この物語のどこかできっと、あなたを待っています。 ひとつの旋律のように、やさしく、切なく、でも温かい時間を、どうかあなたもこの物語の中で過ごしてみてください。 あなたの心にも、きっと「あなただけの音」があるはずです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

雨上がりに僕らは駆けていく Part1

平木明日香
恋愛
「隕石衝突の日(ジャイアント・インパクト)」 そう呼ばれた日から、世界は雲に覆われた。 明日は来る 誰もが、そう思っていた。 ごくありふれた日常の真後ろで、穏やかな陽に照らされた世界の輪郭を見るように。 風は時の流れに身を任せていた。 時は風の音の中に流れていた。 空は青く、どこまでも広かった。 それはまるで、雨の降る予感さえ、消し去るようで 世界が滅ぶのは、運命だった。 それは、偶然の産物に等しいものだったが、逃れられない「時間」でもあった。 未来。 ——数えきれないほどの膨大な「明日」が、世界にはあった。 けれども、その「時間」は来なかった。 秒速12kmという隕石の落下が、成層圏を越え、地上へと降ってきた。 明日へと流れる「空」を、越えて。 あの日から、決して止むことがない雨が降った。 隕石衝突で大気中に巻き上げられた塵や煤が、巨大な雲になったからだ。 その雲は空を覆い、世界を暗闇に包んだ。 明けることのない夜を、もたらしたのだ。 もう、空を飛ぶ鳥はいない。 翼を広げられる場所はない。 「未来」は、手の届かないところまで消え去った。 ずっと遠く、光さえも追いつけない、距離の果てに。 …けれども「今日」は、まだ残されていた。 それは「明日」に届き得るものではなかったが、“そうなれるかもしれない可能性“を秘めていた。 1995年、——1月。 世界の運命が揺らいだ、あの場所で。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

処理中です...