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宗介は、白い天井の節目をじっと数えていた。
一体いつから数えているのか?
本当にこの数は正しいのか?
そんなことももう分からなくなっていた。
この殺風景な部屋に入ってどれだけの時間が流れたんだろうか?
無機質な白い壁、小さい窓から見える青い空、どこにでもあるようなベージュ色のキャビネット、どうでもいい情報を流し続けるテレビ、鼻に付けられた酸素チューブの先に繋がった仰々しい機械の音、そしてこの部屋に入ってからのほとんど時間、この窶れた身体を横たえる固くも柔らかくもない介護用のベッド・・・。
宗介は、痛くも苦しくもない、ただ怠いだけの動かなくなりつつある身体をベッドに預け、つまらないテレビの音を聞き、天井を節目の個性を見分けられるくらいに見つめたまま、時が来るのを待っていた。
終末の時を。
自分の命が終わる瞬間を。
この靴箱の中のような味気のないホスピスの中で。
ステージⅣ
そう医師から告げられたのはようやく銀杏が艶やかに黄色く色づき始めたくらいの時期だったろうか?温暖化の影響で今年はいつにもまして遅かったような気がする。
「桜は、見れないでしょうね」
宗介と同じ年くらいの40絡みの女医は少し間を溜めながらそう告げた。この医師がこんなに躊躇いを持って話すのを見たのは初めてかもしれない。
彼女との付き合いは長い。
36の時に市でも有名な総合病院であるこの場所で初期の胃癌と告げられてからの付き合いだからもう6年になるだろうか?自分は、彼女の身体のことは何も知らないが自分の身体のことは筋肉の筋から内臓、血液に至るまで全て彼女に知られているという何とも色気のない間柄だ。そして彼女は、宗介の身体がどんな状態になっても冷徹に真実を告げた。声を震わすことも、目を潤ますこともなく、淡々と事実を告げる。
そんな彼女が躊躇いを見せている。目を反らし、短い髪の端を弄り、白いマスク越しに鼻を触る。
それはつまり宗介の残された時間はほとんど存在しないことを言葉ではなく、身体で示していた。
何と色気のないボディーランゲージなのだろう。
彼女は、予後の治療の選択について宗介に話した。
桜が見えるか見れないか、つまり余命は半年は残されている。
宗介にできる選択は2つ。
化学的治療を行い、苦痛を伴いながらも寿命を伸ばす足掻きをすること。
積極的な治療を行わず、痛みと苦しみの緩和のみを行い、残された寿命の中で穏やかに過ごすこと、だ。
その選択肢を彼女から投げかけられた時、宗介は今のように白い天井を見上げた。
その時、見えたのは天井の意味を持たない節目でも、シミでもなく、42年と言う人生の記憶の泡だった。
もう既に亡くなった両親、付き合いの無くなった友達、社長という肩書にだけ付いてくる部下、幼少期から今日までの様々なライフイベント・・・。
どれを取っても惜しいものなんか無かった。
5年生存率を超えていたので油断していたし、多少のショックも受けた。しかし、振り返ればどれもこれもやり切ったと言えるし、残していく後悔もない。
(いや、たった1つだけある・・・か)
波瀾万丈でありながら空虚な自分の人生の中でもっとも妖しく、悩ましく、そして艶やかに煌めいていた宝石のような時間が。
これを言葉にするならきっと"青春"と呼べるものなのだろう。
自分の人生の中で最も輝いて、最も痛い思い出。
しかし、それが残された短い時間の中で戻ってくることは決してない。
そう・・・決してないのだ。
「治療はしません。苦痛のない余生を望みます」
宗介の言葉に彼女は、小さく頷いてカルテに今の言葉を打ち込んだ。
そこからの動きはとても早かった。
彼女の指示で宗介は、総合病院の中にある地域連携室に足を運んだ。
今後の宗介の生活についての相談をする為だ。
宗介の対応をしてくれたのはMSW・・メディカルソーシャルワーカーと呼ばれるまだ20代半ばの可愛らしい女性であった。MSWと言う言葉を初めて聞いたので具体的に何をするのかと聞いたところ、宗介が残りの生活を安定して過ごすことが出来るように必要な制度の紹介や手続き、場合によっては転院の支援をしてくれるらしい。
彼女から提示されたのは3つ。
自宅で最後の最後まで過ごすこと。
緩和ケア病棟と呼ばれる末期癌の患者が最後まで過ごす病院に入院すること。ちなみにこの総合病院にはないらしい。ずっと生活する場でなく、予約だけして最後の1ヶ月から数週間になったら入院して過ごすのだと言う。
最後に提案されたのがホスピス。治療などは行わず、痛みと苦しみのケアを行う。医師は常駐していないが看護師やヘルパーは常駐しているのでケアはとても行き届く。家ではないが身体の動く内は比較的自由に過ごしていいらしい。
そこまで聞いた時点で宗介の中ではホスピスの一択しかなかった。
宗介は、MSWに意向を伝えると彼女は、直ぐに予約を入れてくれた。やはり直ぐには入れるものではなく、空きが出るまではしばらく待つしかないらしい。
「その間に死んだらどうしようか?」
冗談めかしにMSWに言うと彼女は少し困ったように苦笑いを浮かべた。
自宅で過ごす間の生活についてはケアマネジャーに調整してもらうらしい。高齢者と呼ばれる年でないのに介護保険を使えるのかと聞いたら40過ぎて末期癌の場合は申請出来るらしい。そんなことも知らなかったので宗介はただただ驚いた。
ケアマネジャーは、直ぐに彼が自宅でも不安なく生活出来るよう訪問してくれる医師や看護師や買い物をしてくれるヘルパーを調整し、具合が悪くなっても自宅内で不便がないよう介護ベッドやトイレに手すりを付けてくれた。宗介と大して歳の変わらない男性ケアマネジャーだが腕は確かなようで宗介の質問にも的確に答えてくれた。そのお陰でホスピスに入居するまでの期間は特に問題なく過ごすことが出来た。
次に宗介がやらなければいけなかったのは会社の引き継ぎと自分の財産管理だった。
大学時代に起業したIT系の会社はお陰様で民放でCMを流せるくらいには大きくなった。支社も出来、社員も2000人は超える。ただ、かなりワンマンでやってきた為に後継者選びに困ってしまった。順当に行けば一緒に会社を立ち上げた副社長なのだろうが優秀だし、自分よりも人望もあるが正直、会社を引っ張っていけるかと言うと心ともない。専務や常務の方が経営者としては優秀だ。とりあえずは3役で運営してもらうことにし、代表取締役に関しては株主総会で決めてもらうことで落ち着いた。彼らは淡々と宗介の話しを聞き、同意した。彼らは、代表取締役としての宗介のことは慕ってくれていたが、一人間としての宗介にはまったく関心がない。役を降りることにも降りた後のことにも何の関心も示さなかった。
財産管理については会社の顧問弁護士にそのまま代理人としてお願いした。年はいっているがとても信頼できる人間なのでそこは安心していた。自分がいなくなった後の葬儀や財産の処分も遺言通りにしてくれることだろう。
全ての手続きを終えると宗介は安心し切ってしまったからか少しずつ身体が弱っていくのを感じていた。時折くる激しい痛みを麻薬で押さえ、ケアマネジャーにその都度、必要なことを調整してもらいながらホスピスに入居するその日を待った。
そして2ヶ月前、待ちに待ったホスピスへの入居をすることが出来たのだ。
宗介・・・宗介・・。
窓の景色が暗くなっている。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
それとも意識が混濁していたようだ。
誰か懐かしい声が聞こえたような気がしたがそれも夢でのことだろうか?
宗介は、ぼおっと天井を見る。
もう節目を数える気にはならなかった。
身体が怠い。
指1本動かそうとするだけで疲れる。
痛みがないのが救いだ。
きっと寝てられない。
「目が覚めましたか?」
突然、聞こえた声に宗介は目を大きく開ける。
このホスピスには決して似合わない、若く、高い、力のある声が。
宗介は、ゆっくりと首を右に向ける。
少年がパイプ椅子に座ってこちらを見ていた。
恐らく16、7歳くらいだろうか?柔らかそうに光沢のある黒髪に三白眼、少し尖った顎に色白の肌、細い身体にブレザーの制服を着ており、膝にコンパクトタイプのノートパソコンを乗せている。
どこからどう見ても高校生だ。
そして宗介に高校生の知り合いなど1人もいない。
「君は・・?」
宗介は、絞り出すように声を出す。
まだ、声が出ることに驚いた。
少年は、三白眼を細めて宗介を見る。
「僕は、看取り人です」
少年は、淡々とした言葉で言う。
「貴方と最後の時を過ごす為に参りました」
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宗介は、白い天井の節目をじっと数えていた。
一体いつから数えているのか?
本当にこの数は正しいのか?
そんなことももう分からなくなっていた。
この殺風景な部屋に入ってどれだけの時間が流れたんだろうか?
無機質な白い壁、小さい窓から見える青い空、どこにでもあるようなベージュ色のキャビネット、どうでもいい情報を流し続けるテレビ、鼻に付けられた酸素チューブの先に繋がった仰々しい機械の音、そしてこの部屋に入ってからのほとんど時間、この窶れた身体を横たえる固くも柔らかくもない介護用のベッド・・・。
宗介は、痛くも苦しくもない、ただ怠いだけの動かなくなりつつある身体をベッドに預け、つまらないテレビの音を聞き、天井を節目の個性を見分けられるくらいに見つめたまま、時が来るのを待っていた。
終末の時を。
自分の命が終わる瞬間を。
この靴箱の中のような味気のないホスピスの中で。
ステージⅣ
そう医師から告げられたのはようやく銀杏が艶やかに黄色く色づき始めたくらいの時期だったろうか?温暖化の影響で今年はいつにもまして遅かったような気がする。
「桜は、見れないでしょうね」
宗介と同じ年くらいの40絡みの女医は少し間を溜めながらそう告げた。この医師がこんなに躊躇いを持って話すのを見たのは初めてかもしれない。
彼女との付き合いは長い。
36の時に市でも有名な総合病院であるこの場所で初期の胃癌と告げられてからの付き合いだからもう6年になるだろうか?自分は、彼女の身体のことは何も知らないが自分の身体のことは筋肉の筋から内臓、血液に至るまで全て彼女に知られているという何とも色気のない間柄だ。そして彼女は、宗介の身体がどんな状態になっても冷徹に真実を告げた。声を震わすことも、目を潤ますこともなく、淡々と事実を告げる。
そんな彼女が躊躇いを見せている。目を反らし、短い髪の端を弄り、白いマスク越しに鼻を触る。
それはつまり宗介の残された時間はほとんど存在しないことを言葉ではなく、身体で示していた。
何と色気のないボディーランゲージなのだろう。
彼女は、予後の治療の選択について宗介に話した。
桜が見えるか見れないか、つまり余命は半年は残されている。
宗介にできる選択は2つ。
化学的治療を行い、苦痛を伴いながらも寿命を伸ばす足掻きをすること。
積極的な治療を行わず、痛みと苦しみの緩和のみを行い、残された寿命の中で穏やかに過ごすこと、だ。
その選択肢を彼女から投げかけられた時、宗介は今のように白い天井を見上げた。
その時、見えたのは天井の意味を持たない節目でも、シミでもなく、42年と言う人生の記憶の泡だった。
もう既に亡くなった両親、付き合いの無くなった友達、社長という肩書にだけ付いてくる部下、幼少期から今日までの様々なライフイベント・・・。
どれを取っても惜しいものなんか無かった。
5年生存率を超えていたので油断していたし、多少のショックも受けた。しかし、振り返ればどれもこれもやり切ったと言えるし、残していく後悔もない。
(いや、たった1つだけある・・・か)
波瀾万丈でありながら空虚な自分の人生の中でもっとも妖しく、悩ましく、そして艶やかに煌めいていた宝石のような時間が。
これを言葉にするならきっと"青春"と呼べるものなのだろう。
自分の人生の中で最も輝いて、最も痛い思い出。
しかし、それが残された短い時間の中で戻ってくることは決してない。
そう・・・決してないのだ。
「治療はしません。苦痛のない余生を望みます」
宗介の言葉に彼女は、小さく頷いてカルテに今の言葉を打ち込んだ。
そこからの動きはとても早かった。
彼女の指示で宗介は、総合病院の中にある地域連携室に足を運んだ。
今後の宗介の生活についての相談をする為だ。
宗介の対応をしてくれたのはMSW・・メディカルソーシャルワーカーと呼ばれるまだ20代半ばの可愛らしい女性であった。MSWと言う言葉を初めて聞いたので具体的に何をするのかと聞いたところ、宗介が残りの生活を安定して過ごすことが出来るように必要な制度の紹介や手続き、場合によっては転院の支援をしてくれるらしい。
彼女から提示されたのは3つ。
自宅で最後の最後まで過ごすこと。
緩和ケア病棟と呼ばれる末期癌の患者が最後まで過ごす病院に入院すること。ちなみにこの総合病院にはないらしい。ずっと生活する場でなく、予約だけして最後の1ヶ月から数週間になったら入院して過ごすのだと言う。
最後に提案されたのがホスピス。治療などは行わず、痛みと苦しみのケアを行う。医師は常駐していないが看護師やヘルパーは常駐しているのでケアはとても行き届く。家ではないが身体の動く内は比較的自由に過ごしていいらしい。
そこまで聞いた時点で宗介の中ではホスピスの一択しかなかった。
宗介は、MSWに意向を伝えると彼女は、直ぐに予約を入れてくれた。やはり直ぐには入れるものではなく、空きが出るまではしばらく待つしかないらしい。
「その間に死んだらどうしようか?」
冗談めかしにMSWに言うと彼女は少し困ったように苦笑いを浮かべた。
自宅で過ごす間の生活についてはケアマネジャーに調整してもらうらしい。高齢者と呼ばれる年でないのに介護保険を使えるのかと聞いたら40過ぎて末期癌の場合は申請出来るらしい。そんなことも知らなかったので宗介はただただ驚いた。
ケアマネジャーは、直ぐに彼が自宅でも不安なく生活出来るよう訪問してくれる医師や看護師や買い物をしてくれるヘルパーを調整し、具合が悪くなっても自宅内で不便がないよう介護ベッドやトイレに手すりを付けてくれた。宗介と大して歳の変わらない男性ケアマネジャーだが腕は確かなようで宗介の質問にも的確に答えてくれた。そのお陰でホスピスに入居するまでの期間は特に問題なく過ごすことが出来た。
次に宗介がやらなければいけなかったのは会社の引き継ぎと自分の財産管理だった。
大学時代に起業したIT系の会社はお陰様で民放でCMを流せるくらいには大きくなった。支社も出来、社員も2000人は超える。ただ、かなりワンマンでやってきた為に後継者選びに困ってしまった。順当に行けば一緒に会社を立ち上げた副社長なのだろうが優秀だし、自分よりも人望もあるが正直、会社を引っ張っていけるかと言うと心ともない。専務や常務の方が経営者としては優秀だ。とりあえずは3役で運営してもらうことにし、代表取締役に関しては株主総会で決めてもらうことで落ち着いた。彼らは淡々と宗介の話しを聞き、同意した。彼らは、代表取締役としての宗介のことは慕ってくれていたが、一人間としての宗介にはまったく関心がない。役を降りることにも降りた後のことにも何の関心も示さなかった。
財産管理については会社の顧問弁護士にそのまま代理人としてお願いした。年はいっているがとても信頼できる人間なのでそこは安心していた。自分がいなくなった後の葬儀や財産の処分も遺言通りにしてくれることだろう。
全ての手続きを終えると宗介は安心し切ってしまったからか少しずつ身体が弱っていくのを感じていた。時折くる激しい痛みを麻薬で押さえ、ケアマネジャーにその都度、必要なことを調整してもらいながらホスピスに入居するその日を待った。
そして2ヶ月前、待ちに待ったホスピスへの入居をすることが出来たのだ。
宗介・・・宗介・・。
窓の景色が暗くなっている。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
それとも意識が混濁していたようだ。
誰か懐かしい声が聞こえたような気がしたがそれも夢でのことだろうか?
宗介は、ぼおっと天井を見る。
もう節目を数える気にはならなかった。
身体が怠い。
指1本動かそうとするだけで疲れる。
痛みがないのが救いだ。
きっと寝てられない。
「目が覚めましたか?」
突然、聞こえた声に宗介は目を大きく開ける。
このホスピスには決して似合わない、若く、高い、力のある声が。
宗介は、ゆっくりと首を右に向ける。
少年がパイプ椅子に座ってこちらを見ていた。
恐らく16、7歳くらいだろうか?柔らかそうに光沢のある黒髪に三白眼、少し尖った顎に色白の肌、細い身体にブレザーの制服を着ており、膝にコンパクトタイプのノートパソコンを乗せている。
どこからどう見ても高校生だ。
そして宗介に高校生の知り合いなど1人もいない。
「君は・・?」
宗介は、絞り出すように声を出す。
まだ、声が出ることに驚いた。
少年は、三白眼を細めて宗介を見る。
「僕は、看取り人です」
少年は、淡々とした言葉で言う。
「貴方と最後の時を過ごす為に参りました」
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