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過去の記憶を乗り越えて

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「ごめん、我慢できなかった……嫌いになった?」

 途中コンビニに寄り、言葉少なに晩御飯を買い込んだ。手を繋いで私の家に向かい、玄関を入ったところで、すぐに紘人さんに抱きしめられた。怒ったふりをするべきか、このまま絆されているべきか、悩ましい。紘人さんが私の髪に頬ずりしている気配に、好きな気持ちが勝ってしまった。

「嫌わないですよ……すごくドキドキしましたけど、ね。もう、あんなリスクのあること、ダメじゃないですか」
「うん。ほんとごめん。由奈がつけてくれた手書きのメモとか見てたらさ、もうすっごく好き……ってなっちゃって、早く抱きたくて仕方なくて、可愛いスカート見てたら我慢できなかった」

 後ろからさわさわとお尻を撫でまわされる。

「ダメです……玄関、薄いから、部屋入りましょう……」
「……由奈の部屋、楽しみ」

 靴を脱いで部屋を案内する。できる限り掃除はしたつもりだった。ラグに紘人さんを座らせて、買ってきた晩御飯を並べる。不健康でも、時間が惜しかった。

「……先にシちゃ、ダメ?」

 紘人さんの目つきは鋭く、ダメと言わせるつもりはなさそうだった。瞳に吸い込まれていくように彼に手を伸ばすと、彼はその手を取ってベッドに向かった。促されるままにベッドに寝転がる。
いつも一人で寝ているベッドに彼がいる。それだけでどうしようもなく興奮してしまう。彼が覆いかぶさってきて、甘いような辛いような香りで胸がいっぱいになった。紘人さんの首筋に顔を埋め、思い切り息を吸い込んだ。

「この部屋、由奈の匂いでいっぱいで、由奈のこと抱きしめてるみたい……先週俺の部屋に来たとき、由奈も同じ気分だったのかな……」
「そう、ですよ。ベッド、紘人さんの香りでいっぱいで、抱きしめられてるみたいでした」
「そっか……今、本物がいるから、こっちで堪能して?」

 紘人さんが唇に噛みついてきた。生暖かい舌で唇をこじ開けられ、舌を絡めとられてしまえば何一つ抵抗はできず、気が付くと私は服を脱がされていた。可愛いと言ってくれたタイトスカートはラグに置かれ、いやらしい染みのついたストッキングは丸まってその横に落ちている。

「! んむっ、ぅ、ぁ、んぁ……」
 
 遠慮なく奥へと差し込まれる舌が、知り尽くした場所であると言いたげに上顎や歯列をなぞる。口の隙間から洩れる高い声と、くちゅ、ぴちゃ、という水音に耳を塞ぎたくなった。跳ねて奥へひっこみそうになる舌は追いかけられ、すぐに絡めとられ、貪るように舐められ吸われた。

「由奈、きれい……」
「やだ、そんな、見ないで……!」
「……俺、由奈に嫌われるのが、由奈がどこかに行ってしまうのが怖くて、がっついて、無理させて、本当にごめんね……」

 紘人さんは切なげに眉を下げて、泣きそうな声で呟いた。目元が興奮に赤く染まっているのに、理性がぎりぎりのところで言葉を紡がせたのだろう。紘人さんが経験してきたことを思えば、そう思うのは致し方ないことで、失いたくないと思ってくれることが、私にとっては嬉しいことだった。

「紘人さん、私はどこにも行ったりしませんよ。そう言ってくれて、私は紘人さんに愛されてるってわかって、とっても幸せなんです。紘人さんみたいな素敵な人、一緒にいいて居心地がいい人、初めてで、私だってずっとずっと一緒にいたいって、思ってるんです」
「……うん、ありがとう。比べてるわけじゃなくても、どうしてああなってしまったのか、今でもわからなくて……好きな人に、好きでい続けてもらうために、どうしたらいいのか、不安になるんだ」
「紘人さん……」

 ごめん、ごめん、と呟きながらを抱きしめてくる紘人さんが愛おしかった。子どもをあやすように彼の頭を撫でると、強張っていた彼の身体から力が抜けていく。浮気をされた原因は、ついぞ説明されなかったらしい。

「好きって気持ちばっかり先走って、ごめん。由奈が、ちゃんと俺のこと好きでいてくれてるのはわかってる。俺のこと見て、幸せそうにへにゃへにゃ笑うところ、あれが演技や社交辞令だなんて思えない……けど、こういうことするのも……大丈夫? 俺、可愛い由奈のこと、由奈自身に理解してほしくて、つい色々説明しちゃうし、由奈に求めてほしくて色々言わせようとしちゃうし、由奈が本当は嫌がってたら、どうしようって……今更だし、かっこつかないな」
「紘人さん。いいです。いいんですよ。かっこいい紘人さんも好きだし、弱ってるところも、好きです。正直、紘人さんをこんなに傷つけた元カノさんはぶん殴ってやりたいくらいだし紘人さんは何も謝ることしていません。オフィスでの件は、謝ってもいいですけど、それ以外は、ダメです」
「由奈……ありがとうね、本当に。今日は、ごめん」
「それと、いやらしいこといっぱい言ってくるところも……嫌いじゃないし、だって、紘人さんが私のこといっぱい求めてくれて、いっぱい気持ちよくさせようとしてくれるって……すごく伝わるから、嫌じゃ、ないんです。私、嫌なことはちゃんと嫌って言いますから」
「うん。わかった……でも、それはそれで、嫌って言わなかったことは全部“いい”って言っているように聞こえるけど、大丈夫?」

 捨てられていた仔犬のような顔をしていたはずの紘人さんが、大型肉食動物の目つきに変わる。

「……いい、です。私も、こんな気持ちは初めてでよくわからないんです。でも、紘人さんに意地悪なこと言われると、くすぐったくて、もっとしてほしい気持ちになるから、きっと嫌じゃないんだと、思います」
「そっか。じゃあ、我慢せずに、由奈のこと愛させてもらうね。これからも、たまに弱いところが出てくるかもしれないけど……でも、由奈に向き合ってる気持ちは本当だから」
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