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4章

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 舞花に与えられた座敷。床の間には鮮やかな紫の菖蒲が活けられている。

 舞花は朱雀の盃に酒を注ぎ、皿の上の飴細工に手を伸ばした。朱雀がお土産に、と持ってきたものだ。

「美しい…。何度見てもこれは食べるのがもったいのうござんすね」

「そうか? しょせん食い物だぞ?」

「もう。そんな野暮ことは言わないでおくんなまし」

 舞花が仕返しとばかりに酒の入った杯を奪おうとすると、それは勘弁と朱雀は謝った。

「禿たちの分もある。後で食わせてやってくれ」

「ありがとうございんす」

 舞花は飴細工をそっと皿に戻してほほえんだ。

 水揚げの日からしばらく経つが、朱雀はこうしてほぼ毎日舞花の元へやってくる。今日みたいに他の者への土産を持ってくることは珍しくない。もちろん楼主たちへの代金も。

 水揚げの日は、部屋で2人で布団に入っておしゃべりしただけ。その後は酒を呑んで話すだけの日を過ごしている。

 舞花は朱雀にしか座敷にあげない花魁として瞬く間に吉原中に話が広がった。お金や土産など、その豪勢ぶりもすぐに有名になった。たくさんの廓が朱雀にたくさんのお金を落としていってもらえるように、見世一番の花魁を着飾るが朱雀は舞花の元へしか通わない。

「人間でないお方がどこであんな額を手に入れるのでござんすか?」

「そりゃもちろん働いて手に入れた金さ」

 様々な時を越える、戯人族という者だと知っててから、彼が今まで行った国や時代の話を聞くのが楽しみになっていた。

 今回も本当は関ヶ原の戦いから安土桃山へ飛ぶつもりが、不具合でここへ来てしまったらしい。

 関ヶ原の戦いでは足軽として戦っていたようで、鬼強い青年と一戦交えたらしい。

 その時の報酬を舞花のために使っているようだ。

「しばらくぶりに休みをもらうのもありだし、舞花も俺に会えなくなったら寂しいだろ?」

「まぁ…なんて自意識過剰なお方…」

「ちょっと。本気で引いた顔しないでくれる?」

 舞花の演技に2人で笑いあった。



 どちらも、体の関係は結ぶことはないと思っていた。

 かたや花魁。かたや人外。

 だが、そんな障害をあっさりと越えてある晩に、2人は初めて結ばれた。

「怖くなかったか…?」

「えぇ…朱雀様でありんすから…」

「そうか…。俺は果報者だ。こんないい女に出会えて…」

「愛しい方…」

 同じ布団の中でそっと抱き合う。初めてふれあった愛しい人のぬくもりは、春の日差しよりもあたたかくて優しい。

 そして舞花が身ごもったのは、2人が初めて会ってから1年経つ頃だった。

「そうか…赤子か…!」

「朱雀様とわっちの赤子にございんす。こんなに幸せなことはございんせん」

 舞花は自分の腹部を優しい表情でさすった。朱雀は彼女の太ももに頭をのせている。甘えたい時の癖だ。

 そして朱雀は彼女に、ここを出て戯人族と共に暮らすことを提案した。

「ですがわっちはただの人間にござんすよ…。お腹の子は…」

「俺たちの仲間は人間から生まれ変わったり、戯人族同士から生まれる。舞花さえよければ仲間になって俺と生きないか? したくないことはしなくていい。ただまぁ、仕事はしないといけないんだけどな」

「仕事…」

「時代を飛んで歴史の手伝いをしたり、秘密裏で動く地味な仕事が多い」

「はぁ…」

 正直いまいちピンと来ないが、それは自分だけこの苦界から抜けるという、卑怯なことなのではないかと迷った。

 もちろん朱雀と一緒にいたい気持ちが強い。それにお腹の子は朱雀の血を引いている。自分1人で育てていくことは不可能に近い。普通とは勝手が違う。

 それに一族に受け入れてもらえるのか────。母も祖母も花魁の自分を。

 難しい顔でだまってうつむく彼女に、朱雀は肩に手を置いて立ち上がった。

「…急にこんなこと言ってごめんな。舞花にとってここは生家だもんな。簡単に答えられないよな」

「申し訳ございんせん…」

「お前が謝ることじゃないよ。でも、一族側はお前が来ることを楽しみにしているよ。比較的、女は少ないんだ。…返事はまた改めて教えてくれ」

 その日、朱雀はそれだけ言って帰った。舞花は見世が開いている間は奥の部屋で寝ているか、禿に読み書きを教えるようになっていた。

 朱雀が訪れた時は2人で吉原内への茶屋へゆっくりと散歩するのが習慣になった。

 次第に大きくなっていくお腹。朱雀は舞花を気遣って、彼女に会う日も一緒にいる時間も増やした。

 そして出産してからは、朱雀は見事としか言いようがない親バカぶりを発揮していた。

 娘だと分かってから、玩具や赤子用の衣をしょっちゅう買ってきた。もう充分すぎるあるほどある、と舞花が怒ってもそれは止まらない。無関心よりはずっといいか、と廓の者たちと笑いあった。

「夜叉。今日もいい子にしておりんしたか?」

 新しく入った禿、浅葱あさぎに舞踊を教えた後、楼主の妻に預けていた娘を迎えにいった。

 娘、夜叉は絹の衣の上にさらに、昔舞花が着ていた錦の衣でくるまれて籠の中で目をパチクリとさせていた。

「この子はお前よりも元気があるよ。さっきまででんでん太鼓をずっと振り回していたんだよ。本当に可愛い子だねぇ」

「まぁ…。お前はやんちゃに育ちそうでありんすね」

 舞花はほほえんで夜叉を抱き上げ、体をゆっくりと揺らした。

 丸い瑠璃色の瞳と、紅赤の髪は父親譲りだ。時折見せるおとなしさは母親譲りか。

「わっちの母様もこんな気持ちだったのでござんしょうか…」

「そうね。まさか舞花まで…ねぇ」

 楼主の妻は帳簿をつけながら笑った。彼女には出産するまで、母親としてのいろはを教わった。時に朱雀の甘やかせぶりを一緒に叱ってくれたり。

 その彼女の背中を見て、舞花は聞こえないようにため息をついた。

(わっちは…この人たちを捨てることになりんすか…。朱雀様についていって、後悔しないで生きていけるのでござんしょうか…)

 朱雀には結局、まだ返事をしていない。彼から急かされることもなかった。

「どうしたんだい、そんな辛気臭い顔して。華の舞花花魁に似合わないよ」

「も、申し訳ありんせん…」

「謝ることじゃないよ。もしかして吉原の外に出ていくのが怖いのかい?」

 やはり、皆の母親である彼女の目はごまかせない。舞花はうつむいて夜叉のことを見た。

「朱雀様は詳しく話さないけど、あの方は絶対にいいとこのお坊ちゃんだよ。でなきゃあんな額をポンと出せるわけがない」

「そ、そうでありんすね…」

 彼の素性を知っている舞花としては苦笑いをするしかない確信だ。楼主の妻は筆を硯の上に置いて手を休めた。

「お前なら大丈夫だよ。夜叉ちゃんも禿たちの面倒見もいいからね。器量のよさは三代続いているんだ。外に出てもやっていけるさ」

「皆は…わっちが逃げたと思いんせんか?」

「そんなバカなこと言うヤツはいないよ。私たちは嬉しいよ。大事な娘が素晴らしい人に身請けされて幸せになるんだ。こんなうれしいことはない…ってあんた泣いてんのかい? しょうがない子だねぇ…母親にもなったってのに…」

「申し訳ありんせん…」

 泣き出した舞花に、楼主の妻は笑って手ぬぐいを渡して背中をさすった。

 彼女の言葉に背中を押されたような、安心して朱雀についていける決心がついた。

(わっちは母として妻としてここを出て行きんす。夜叉をのびのびと育つのを見守り、朱雀様をお支え致しんす…)

 舞花は夜叉の瑠璃色の瞳を涙目で見つめた。
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