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4章
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舞花の母も祖母も花魁だった。
母は舞鈴、祖母は舞蘭という源氏名だったと、楼主である夫婦から聞いた。
2人とも短命で、舞花は2人の顔を知ることなく育った。
「お前もたくさんのお客様がつくような花魁になるんだよ。母や祖母のような」
「あい…」
幼い頃から姉のような年頃の遊女に付いて、読み書きや舞踊、唄を教えこまれた。
そこはやはり三代続く花魁だからだろうか。彼女の飲み込みは異様に早かった。
だが彼女はお客を取るだとかお金を稼ぐということに興味はなく、姉の遊女たちに教えられることを覚えていくのが楽しくて、いつまでもそうしていたいと思っていたほど。自分が勉強が好きだと気付いたのは10歳を過ぎる頃。
「お前も水揚げをしなきゃねぇ…」
楼主が煙管を片手につぶやいたのを聞いた時、冷や汗がどっと吹き出し悪寒が走った。
水揚げとは見習い遊女が初めて男に肌をさらすこと。つまり────処女を捧げ、遊女としての本格的な仕事が始まること。
「でもわっちは…まだまだ勉強が足りんせん。水揚げでしたら淡紅藤や蘇芳が見世に並ぶことを楽しみにしているお客様が多いと聞いておりんす」
「それは私も知っているさ。でもそれはお前も同じだよ。あの伝説の花魁の娘であり孫だ。注目されないワケがない。お前は芸が一際達者だ。あの2人より早く見世に出したい」
実は分かっていた。姉についてお客の酌をしている時、”この禿の水揚げはいつなのか。水揚げの相手は決まっているのか”と聞かれることが度々あった。
その時はあいまいな笑みで自分は今の所予定はなく、当分禿だと徳利をかたむけた。それを聞いていた芸者が”旦那に水揚げの相手に立候補してもらいなよ”と冗談混じりに三味線をベベンと鳴らした。
冗談じゃないと思った。自分が男に肌をさらすなんて考えたくなかった。きっとロクにお互いを知らないまま女にされる。
こんな世界に産み落とされたことを恨んだことはなかった。だが、このような話をされるようになってからは己の運命を呪うようになった。
舞花の水揚げの話はあれよあれよという間に進んでしまい、後は相手を決めるだけとなってしまった。
月夜の晩。舞花は中庭に面する縁側で、板の間に座り込んで月を眺めていた。今宵は三日月。夜空で輝く月の色は、遊女たちの白い肌に似ていた。
「わっちは…どうなっていきんすか…」
外の世界を知らない彼女は、たとえ吉原から逃げ出しても生きていく術を持っていないので生きていけない。
自分は結局、ここでしか生きていけないのだと分かった時、死んでしまいたいとさえ思った。
(死んで生まれ変わったら、自由に生きたい。好いた男と結婚して、可愛い赤子がほしい。その子にはこんな思いはさせない…)
月を見つめて目を細め、決意に燃えていたら。
「あ…れ? どこだここ」
「は…?」
庭の隅にいたのは、妙に奇抜に和服を着崩した赤っぽい髪をした男。全体的に毛先がはねており、襟足は長い。彼は腰と頭に手を当てて困り果てた顔をしていた。
「だ…れ?」
「あ…。お嬢さんここの人?」
「えぇ…」
「ちなみにここって何時代?」
「江戸にありんすが」
「江戸!? それとその話し方…ここは楼閣? 吉原?」
コクッとうなずくと、男はその場でしゃがみこんだ。
「しくったー…。なんで安土桃山じゃない…。しかも場所が場所かー…」
「あの…その言い方はちょっと」
「ごめん。偏見だね…」
男は顔の前で手を出して謝り、舞花のそばまで歩いてきた。月明かりと竹で組まれた照明に照らされた男は端正な顔立ちをしており、身体は細身でもガッシリとしていた。
切れ長の瑠璃色の瞳は宝石のようで、かんざしのとんぼ玉より綺麗だ。
「俺は朱雀。君は?」
「舞花と申しんす」
「舞う花で舞花…。みやびだね」
「ありがとうございんす」
その場で手をつくと、大げさだよと朱雀は笑った。
「あ、ここに見知らぬ男がいたのは内緒でよろしくね。俺は来る場所を間違えただけだから」
「はぁ…? 何を言ってるのかよう分かりんせんが…あっ」
「ん?」
舞花は頬を染め、男を見上げた。こんなことを思いつくなんて自分でも珍しいと思う。
怪しくはないと確信している。見習い遊女として様々な客を見てきたから、人を見る目は長けている自信がある。
「わっちを…今夜だけ連れ出しておくんなまし」
「は?」
頭をかいていた男はポカンとした。
「君…自分が何言ってるか分かってる? 初対面の男だよ? バレたら楼主から怒られるよ?」
「よいのです。今夜はお暇を頂いておりんすゆえ。夜が空けるまで」
「はぁ…。ていうか俺が何者か分からないのにいいの? ひどい場所に連れてかれて売られるかもよ?」
「その時は舌をかみ切って死んでやりんす」
堂々とした様子で言い放ち背筋を伸ばすと、朱雀は困り顔で頭を抱えた。
「場所も時代も…居合わせた小娘も────予想外すぎて勘弁してくれ…」
「できないと言ったらこの場で叫んでやりんす。今夜もお客はたくさんおりんすから…。ここ一面の障子が全て開きんすよ」
「うわ…確実に俺しょっぴかれるじゃん…。だー分かった! 吉原の外に一晩連れてけばいいんだな!?」
朱雀の半ば怒鳴っている声に、舞花は目を輝かせてコクコクと素早くうなずいた。
母は舞鈴、祖母は舞蘭という源氏名だったと、楼主である夫婦から聞いた。
2人とも短命で、舞花は2人の顔を知ることなく育った。
「お前もたくさんのお客様がつくような花魁になるんだよ。母や祖母のような」
「あい…」
幼い頃から姉のような年頃の遊女に付いて、読み書きや舞踊、唄を教えこまれた。
そこはやはり三代続く花魁だからだろうか。彼女の飲み込みは異様に早かった。
だが彼女はお客を取るだとかお金を稼ぐということに興味はなく、姉の遊女たちに教えられることを覚えていくのが楽しくて、いつまでもそうしていたいと思っていたほど。自分が勉強が好きだと気付いたのは10歳を過ぎる頃。
「お前も水揚げをしなきゃねぇ…」
楼主が煙管を片手につぶやいたのを聞いた時、冷や汗がどっと吹き出し悪寒が走った。
水揚げとは見習い遊女が初めて男に肌をさらすこと。つまり────処女を捧げ、遊女としての本格的な仕事が始まること。
「でもわっちは…まだまだ勉強が足りんせん。水揚げでしたら淡紅藤や蘇芳が見世に並ぶことを楽しみにしているお客様が多いと聞いておりんす」
「それは私も知っているさ。でもそれはお前も同じだよ。あの伝説の花魁の娘であり孫だ。注目されないワケがない。お前は芸が一際達者だ。あの2人より早く見世に出したい」
実は分かっていた。姉についてお客の酌をしている時、”この禿の水揚げはいつなのか。水揚げの相手は決まっているのか”と聞かれることが度々あった。
その時はあいまいな笑みで自分は今の所予定はなく、当分禿だと徳利をかたむけた。それを聞いていた芸者が”旦那に水揚げの相手に立候補してもらいなよ”と冗談混じりに三味線をベベンと鳴らした。
冗談じゃないと思った。自分が男に肌をさらすなんて考えたくなかった。きっとロクにお互いを知らないまま女にされる。
こんな世界に産み落とされたことを恨んだことはなかった。だが、このような話をされるようになってからは己の運命を呪うようになった。
舞花の水揚げの話はあれよあれよという間に進んでしまい、後は相手を決めるだけとなってしまった。
月夜の晩。舞花は中庭に面する縁側で、板の間に座り込んで月を眺めていた。今宵は三日月。夜空で輝く月の色は、遊女たちの白い肌に似ていた。
「わっちは…どうなっていきんすか…」
外の世界を知らない彼女は、たとえ吉原から逃げ出しても生きていく術を持っていないので生きていけない。
自分は結局、ここでしか生きていけないのだと分かった時、死んでしまいたいとさえ思った。
(死んで生まれ変わったら、自由に生きたい。好いた男と結婚して、可愛い赤子がほしい。その子にはこんな思いはさせない…)
月を見つめて目を細め、決意に燃えていたら。
「あ…れ? どこだここ」
「は…?」
庭の隅にいたのは、妙に奇抜に和服を着崩した赤っぽい髪をした男。全体的に毛先がはねており、襟足は長い。彼は腰と頭に手を当てて困り果てた顔をしていた。
「だ…れ?」
「あ…。お嬢さんここの人?」
「えぇ…」
「ちなみにここって何時代?」
「江戸にありんすが」
「江戸!? それとその話し方…ここは楼閣? 吉原?」
コクッとうなずくと、男はその場でしゃがみこんだ。
「しくったー…。なんで安土桃山じゃない…。しかも場所が場所かー…」
「あの…その言い方はちょっと」
「ごめん。偏見だね…」
男は顔の前で手を出して謝り、舞花のそばまで歩いてきた。月明かりと竹で組まれた照明に照らされた男は端正な顔立ちをしており、身体は細身でもガッシリとしていた。
切れ長の瑠璃色の瞳は宝石のようで、かんざしのとんぼ玉より綺麗だ。
「俺は朱雀。君は?」
「舞花と申しんす」
「舞う花で舞花…。みやびだね」
「ありがとうございんす」
その場で手をつくと、大げさだよと朱雀は笑った。
「あ、ここに見知らぬ男がいたのは内緒でよろしくね。俺は来る場所を間違えただけだから」
「はぁ…? 何を言ってるのかよう分かりんせんが…あっ」
「ん?」
舞花は頬を染め、男を見上げた。こんなことを思いつくなんて自分でも珍しいと思う。
怪しくはないと確信している。見習い遊女として様々な客を見てきたから、人を見る目は長けている自信がある。
「わっちを…今夜だけ連れ出しておくんなまし」
「は?」
頭をかいていた男はポカンとした。
「君…自分が何言ってるか分かってる? 初対面の男だよ? バレたら楼主から怒られるよ?」
「よいのです。今夜はお暇を頂いておりんすゆえ。夜が空けるまで」
「はぁ…。ていうか俺が何者か分からないのにいいの? ひどい場所に連れてかれて売られるかもよ?」
「その時は舌をかみ切って死んでやりんす」
堂々とした様子で言い放ち背筋を伸ばすと、朱雀は困り顔で頭を抱えた。
「場所も時代も…居合わせた小娘も────予想外すぎて勘弁してくれ…」
「できないと言ったらこの場で叫んでやりんす。今夜もお客はたくさんおりんすから…。ここ一面の障子が全て開きんすよ」
「うわ…確実に俺しょっぴかれるじゃん…。だー分かった! 吉原の外に一晩連れてけばいいんだな!?」
朱雀の半ば怒鳴っている声に、舞花は目を輝かせてコクコクと素早くうなずいた。
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