君を知らなければこんな想いを知らずに生きた

堂宮ツキ乃

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 レイトとセイラのデスクは背中合わせ。仕事の合間に暇ができるとよく二人で話す。

 15時になると業務が落ち着くのがいつものルーティーンだ。レイトはセイラの席の隣へ、キャスターつきの椅子でサーと移動した。

 彼女のデスクはすっきりと整頓されており、デスク周りには必要最低限の筆記用具や付箋、メモパッドしか置かれていない。

 手元にはマイマグカップ。彼女はいつもそれにお茶を淹れている。

 部署の出入り口付近にはポットとコーヒーメーカーが置かれ、その横には緑茶やフレーバーティーのティーバッグが常備されている。さながらファミレスのドリンクバーコーナーだ。

 一息入れようとポット周りに集まった者たちが、自分のマグカップやタンブラーを片手に談笑している。

「お疲れ様」

 セイラの声に横を見ると、彼女がクッキーを差し出していた。

 彼女はデスク周りの物は少ないが、引き出しには何種類ものお菓子を常備している。レイトはいつもそれをもらい、休憩のお供にしている。

「最近はこの時間で夕暮れみたいな空の色になるね」

「もう秋も終わりですもんね~」

「こんな時はあったかいほうじ茶に限るよ」

 セイラはクッキーをかじると、満足そうにマグカップに口をつけた。

 レイトはクッキーを口に放り込み、包装をゴミ箱に丸め入れた。

「セイラさんは彼氏とかいないんですか?」

「彼氏とかって……。また唐突だね」

「好きな人は?」

「どっちもいないよ」

「じゃあ俺にチャンスありますね!」

 困り顔のセイラにレイトは親指を立ててみせた。

 彼女は照れることはなく、乾いた笑い声を上げるだけ。

「君はそういうことばっか言って……。彼女たちがいるんでしょう。この前だって……」

 彼女は何か言いたげだったがそれを遮った。

「じゃあ別れたらいいんスね?」

「簡単に言って……。彼女たちがかわいそうじゃない」

 メールが来たのに気づいたセイラがパソコンに向き合った。

 首を手に当て、顔をかたむける。迷うような手つきでキーボードを叩き、左手でマグを持ち上げる。

「ちょっといい?」

「ん?」

 男性社員に声をかけられたセイラが振り返った。書類を受け取り、うんうんと話を聞きながら大き目の付箋を手にとった。それにペンを走らせると書類に貼り付ける。

 ボブの横髪が流れて彼女の横顔を隠す。レイトがそっと手を伸ばすと、セイラがこぼれた横髪を耳にかけた。

 細い指、ほんのりラベンダーの色に染まった爪。形のいい耳たぶにはクリアな花のイヤリング。ガラスの花がきらめいた。

 伏せたまつ毛は長く、ちょっと低い鼻が可愛らしい。唇は桃のような柔らかいピンクに染まっていた。

「どうしたの?」

 セイラが首をかしげ、こちらを見た。

 レイトは椅子の上で飛び上がると、赤くなった顔で両手と首を振った。

「あ、な、何も……」

 尻すぼみな言葉と同時に肩を縮みこませた。

 いつもだったらここで思わせぶりな言葉を一つ二つささやき、その気にさせているのに。

 ただただ彼女の横顔に見とれていた。今まで近くで見ようとしなかったのがもったいない。

 セイラは目を細めて立ち上がると、つられて腰を浮かせたレイトの額を指で押し付けた。

「あまり女性のことを見るもんじゃないよ」

 ツンと押されると、催眠術にかけられたように背もたれに深くもたれかかった。

 彼女からの思わぬスキンシップに呆けていると、セイラはコピー機の前へ移動してしまった。その内の一枚をコピーすると戻ってきて、レイトに渡した。

「今頼まれたヤツなんだけど、木山君に手伝ってもらっていいかな?」

 なんですかこれ、と彼が聞く前にセイラは付箋部分を指差した。

 首をかしげた困ったほほえみが可愛らしくて、レイトはビシィッと敬礼をして立ち上がった。

「ぜ……全力でやらせていただきやす!」

「そ、そう……? じゃあよろしくね」

 セイラは引いたようだが、レイトはウインクをしながら親指を立てた。

 他の仕事もあるが、セイラに頼まれた仕事は気合の入り方が俄然違う。

 休憩を早々に切り上げてパソコンに向かうと、後ろから楽しそうな話し声が聞こえてきた。

 振り向くとさっきの男性社員がセイラに話しかけている。

「この会社のあれだけどさ……」

「マニュアル変えた方がいいよね」

「いつまで更新しねーんだ、って?」

「やだ、そんなことは言ってないってば」

 男性社員はセイラと同年代。話は盛り上がっているようで、セイラは口元を手で押さえた。目は柔らかく細められている。

 レイトはセイラの顔を盗み見た。穏やかな彼女は微笑をたたえていることが多い。

「木山君? 気になることでもあった?」

 また見つめていることに気づかれたらしい。セイラがコピーの原本をトントンと指さした。

「何も……。進捗順調です!」

「ん。ありがと」

 セイラはやはり柔和な笑顔を浮かべ、男性社員との会話を再開した。










 セイラは会社で”ほとんどの仕事をかじっているなんでも屋”になりつつあった。

 彼女自身はどれも中途半端にできたりできなかったりするので、なんでもかんでもアテにされたくなかった。

『セイラさん助けて~。俺も手伝うから~』

『いいよ。何?』

 その点、レイトとは持ちつ持たれつの関係がずっと続いている。お互いに補助し合ってるせいか、背中を預け合っていると勝手に思っていた。

 レイトと話しているところをいろんな人に見られているせいか、彼のことをよく聞かれる。そのほとんどが若い女性社員や入りたての社員。質問内容は彼がどんな人なのか、彼に恋人はいるのか、などなど。傍からはレイトに近しい存在に見えるらしい。

「木山君? いいコだよ。おもしろくて仕事は真面目に取り組むコ」

「そうじゃなくて! どんな人が好きそうかを教えてほしいんですよ!」

「好きそう……」

 昼休み。

 昼ご飯は各自、持参したり外へ食べに行ったりする。

 セイラはお気に入りのインドカレー屋が近くにあるので、電話で注文して会社に届けてもらっている。今日も陽気な店員と世間話をしながら受け取った。よく注文してくれるから、とマンゴーラッシーをおまけしてくれた。

 ほくほくしながら社内に戻ると、セイラのデスクに見慣れぬ女子社員が鼻息荒く立っていた。その手には可愛らしい巾着。その中身は弁当だった。

 セイラに聞きたいことがあるから昼休みを一緒に、と現れた彼女は若い女性社員だった。聞けば部署は全く別。どうりで見覚えがないわけだ。

「君は木山君のことが好きなんだ?」

「そっそれはなんというか、ちょっと気になるかなって……。野暮ですよ!」

 近くから椅子を引っ張ってきた彼女は膝に弁当を載せていた。顔を赤くしてごにょごにょと口ごもる。ちなみに当の本人であるレイトはいつも昼ご飯は外食派。

 セイラはふーんとナンをちぎり、カレーに浸した。今日はいつもと趣向を変えてほうれん草のラム肉カレーにしてみた。予想以上に緑色で驚いたが、まろやかでおいしかった。かために調理されたラム肉の食感もいい。
 
「本人に聞くのが一番早いと思うよ」

「無理です……。だからこうして天木さんに聞きに来たんですよぉ~……」

 この泣きつかれ方はいつものパターンだ。図々しい者だと、ここでレイトとの仲を取り持ってくれないかと上目遣いになる。もちろん断るが。

 レイトの彼女を増やすわけにはいかない、この子がかわいそうだ、というのが主な理由だ。

 セイラはウェットティッシュで手を拭きながら問いかけた。

「あなたはそれを知ってどうするの?」

「え? 木山さんの理想に近づけるようになろうかな、って」

「いつか付き合いたいとか?」

「まぁ……勇気が出れば? 告白しようかなぁ……」

 これもいつものパターンか。セイラはウエットティッシュをゴミ箱に放り、彼女と向かい合うように座り直した。

「今話しかけられないなら告白は難しいかもよ」

「そんなぁ~……。天木さん意外と厳しい……」

「だってそうじゃない? 練習で手を抜いてる人は本番で本気を出せないって言うじゃない」

「体育会系? 部活じゃないのに……」

 セイラはマンゴーラッシーを飲みながら目を閉じ、首を振った。ヨーグルトの爽やかな甘みと、マンゴーのご褒美な甘さが体にしみる。午後からの仕事も頑張れそうだ。今度店長にお礼を言いつつ、久しぶりにお店へ食べに行こうと決めた。

「それは普段の生活でも言えるよ。手抜きして仕事してると、急に忙しくなった時に対応できないしね」

「急に話しかけるのは無理です……」

「ただいまー」

「あら、おかえり」

「ひゃう!」

 突然レイトが帰ってきて女性社員が飛び上がった。

 レイトは知らない社員の姿には目をくれず、セイラに笑いかけた。椅子の上に載せたビジネスバッグの中に手を突っ込む。

「財布忘れちった~。食い逃げするとこだった~」

「スマホは持ってるでしょ。コード決済でもよかったんじゃない」

「あ」

 思い出したという顔で苦笑いをし、再びレイトは出て行った。女性社員は顔をぽ~っとピンクに染め、その後ろ姿を見送った。

 その後彼女はしずしずと弁当を食べ終え、セイラに一言礼を伝えると静かに帰っていった。
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