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男装神主と口裂け女
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こじんまりとした社務所に入ると、ユズカが鍵を持って出てきた。
神社の裏手には建物がある。鍵を使って開けると中は意外と広く、一行は矢羽根村で滞在した建物を思い出した。
廊下を抜け、先を歩くユズカは雨戸を豪快に一気に開けた。外からの空気が流れ込み、木と落ち葉の湿った匂いがした。
「祭事に使う物を保管しているんだ。祭りが近い時はここで準備をしている」
急に明るくなった室内で気づいたのは、板張りの床と広い縁側。大きな桐箪笥もあるがどれも質素な造りだ。
「矢羽根村でもこういう建物に滞在してました」
「そうか。そこと同じように過ごしてくれたらいい。布団は干しておいたのがあるからそれを使って」
「ありがとうございますっス!」
ユズカが指さした方を見ると、縁側の外で布団が物干し竿に引っ掛けられている。
征司と京弥とサスケはさっそく取り込もうと、縁側の外へ出て行った。
男子たちの元気のよさにユズカは笑い、残った二人に顔を向けた。
「風呂は村の共同浴場がある。手拭いはそこに置いてあるのを使いなさい」
「共同浴場……?」
その単語に菊光の眉がピクリと動く。小紅は矢羽根村でのことを思い出し、菊光の肩に手を置いた。
「あ、ユズカさん。菊光は事情があって一人でお風呂に入りたいんです」
「事情? まぁ分かった。終い湯にはなるがなんとかできるだろう」
「かたじけない」
菊光は硬い表情で腰を折った。
食事は村で最年長だという女性が用意してくれることになった。
夕方になると縁側にユズカが現れ、その後ろで老夫婦が台車のようなものを押していた。
彼女は六十代くらいで、ふくよかな見た目は征司の母によく似ている。
「カツミさんだ。私もいつもご飯を食べさせてもらっている」
「ユズから話は聞いてるわ。上がってもいいかしら?」
紹介された彼女は人のよさそうな笑顔を浮かべていた。
燭台に火を灯し、全員で円を描くように座った。
カツミが台車で運んでいたのは様々な大きさの鍋。
ご飯も煮物も焼き物も。彼女が作った食事はどれもおいしくて、故郷の母の味を思い出した。
到着してから建物の掃除をしていた一行は、無我夢中で箸を動かし続けた。
「ささ、おかわりは? まだまだあるよ」
しゃもじを片手にぽってりとした手を差し出す様子は母にそっくりで。征司はこっそりと涙ぐんだ。
ユズカは酒を片手に煮物をつまんでいる。片膝を立て、手酌をする様子は18の貫禄ではない。
「ユズ、あんたもしっかり食べなさい。この子たちみたいに」
「私はいいよ。君たち、私の分も食べてくれていいから」
「またあんたは……大事な体なのよ?」
「米は酒で摂取してるから大丈夫だよ」
「あんたのお父さんもそう言ってたわ。血は争えないわね」
カツミは呆れたため息をつきながらも、煮物のおかわりをついだ。それをユズカの前に置くと、橙色の頭に手を置いた。
「そういえばユズカ殿のご家族は? ぜひ挨拶をさせて頂きたいんだが」
京弥はお茶が入った湯呑を片手に、ユズカの隣に腰を下ろした。
家族、という単語にユズカの顔に影が落ちた。カツミも笑顔だが眉が下がっている。
「……亡くなったんだ」
「え……」
「数年前、突然お年寄りたちを中心にどんどん弱っていったんだ。私の両親と兄は看病に走り回って、過労で死んでしまった」
「私の夫もその時に亡くなったのよ。この村に入った時気づいたかしら? 若い人ばかりだったでしょう」
「確かに……」
重苦しい空気が流れ、征司たちはおし黙った。ずっと動かし続けていた箸も止まる。
京弥は目を伏せ、ユズカの肩を抱き寄せようとした。だが、彼女が立ち上がる方が早かった。
「今の話は気にしないでくれ。私は共同浴場の湯加減でも見てくるよ」
「俺も行こうかな。場所を知っておきたいし」
「それなら後で案内するから。ゆっくりしてて」
ユズカはおちょこの中身を一気にあおると、髪を翻して出て行った。
「悪いことを聞いたな……」
京弥が座り直すと、サスケは気まずそうな表情で脇腹をつついた。
「京弥の兄貴、口説きたいからって近づきすぎっスよ。菊光の兄貴の顔がずっと厳しいっス」
「はっ!? ボクはただユズカさんの迷惑を考えて……」
「とか言いながらヤキモチ妬いてんだろ?」
「なワケないだろ!」
肩を抱かれた菊光はその腕を払い、京弥から距離をとった。
ふくれっ面で玄米をかきこんだ。
「菊光ー。湯加減はどうだー?」
「ちょうどいいです!」
先にお風呂に入りに行った征司たちを見送り、晩御飯の片づけをしていたらいい時間になった。
他に入る人はいなくなったから、と菊光はユズカに連れられて共同浴場に来た。
女湯と男湯に分かれているが、天井に隙間があってお互いの声が聞こえる。
体を洗って湯舟に浸かると、ユズカの声が響いた。高くも低くもない心地よい声は、浴場で美しく反響する。
「本当だったら一緒に入りたかったんだけどな」
「あ……ダメだろ!」
「そうか? 菊光とだったら私はいいけどな」
ぱしゃん、とお湯を肩にかける音がする。
すらりとしたユズカの体はさぞ綺麗なことだろう。小柄で筋肉質な菊光と違って。
「ユズカさんはどうして男装しているんですか?」
「自分の決意、かな。この村では神主は男しかなれない。だが後継者は私しかいなかった。男装は自分を守るためでもある。時々弱い心がのぞくんだ。でも村は守りたい。強い心で……」
お湯をかける音がやんだ。菊光も湯舟の壁に背をつき、天井を仰いだ。
天井の中心は空いており、夜は星空が見えるようになっている。雨の日は板を置いて雨粒を防いでいるらしい。
「正直男装のつもりはないんだけどな。でも周りにはそう見えるよな」
「かっこいいから」
「ありがとう。菊光も似合ってるよ。奇抜でかっこいい」
「そうですか?」
「あぁ。実はいいとこ育ちなんじゃないか? この村では見たことのない生地と紐を使っているだろう。南蛮のものか?」
「さ、さぁ。貰い物だからよく分からない……」
「ふーん。まぁそういうことにしておこう」
菊光がくちごもると、ユズカは小さく笑った。またお湯を肩にかけているのだろう。ぱしゃんぱしゃんという音が静かに響いた。
菊光がユズカと滞在先である建物に戻ると、征司たちが布団を敷いていた。
二人に気がつくと、彼らはそれぞれの布団の前で姿勢を正した。
「ユズカさん。村で困ってることはありませんか? 俺たちはこれまで、いろんな村で妖や物の怪の類の問題を解決してきました。何かお役に立てることがあったら教えてください」
「征司? 急にどうしたんだ……」
菊光が手拭いで頭を拭いていると、彼らは神妙な顔つきをしていた。
まるで何かを知っているのかのような。
部屋の隅ではカツミが洗い終えた食器を拭いて重ねている。
「ないよ。ないけど……」
突然の征司の申し出にユズカは言葉を濁らせた。
眉が曇った表情に征司とサスケが食いつく。
「ありますよね!?」
「征司、わくわくするんじゃねぇ」
「やっぱりこうでないとっスよ!」
京弥は諫めているが、その顔には興味津々な様子が隠しきれていない。小紅は不安そうに顔を曇らせ、ユズカのことを気づかわし気に見つめた。
「いや……心配することはない」
「ユズカ」
食器を片付け終えたカツミが立ち上がった。
「頼ってみたらどう? この子たちの武勇伝、なかなかよ」
「カツさん……! 話したのか?」
ユズカは大声を上げそうなのをこらえ、苦しそうに声を絞り出した。
「まだよ。あなたが説明しなさい。じゃあね、また明日。朝ごはん届けに来るからね」
カツミが去った後、わずかな沈黙が流れた。
ユズカに声をかけるのを誰もがためらったからだ。
彼女は拳を握りしめ、眉間にシワを寄せている。
その横顔には諦めと後悔が混ざり、疲弊している。あの麗しい巫女姿からは想像できなかった表情だ。
「……すまない。カツさんが余計なことを言ったみたいだな」
「ユズカさん、教えてください。そんな顔を見せられたら引くに引けません」
手拭いをとった菊光が眉に力を入れる。
直球な物言いにユズカは観念したのか、肩を落としてうなだれた。
「あぁ……時々だが襲ってくるんだ。私の従姉妹が」
「へ?」
「従姉妹……?」
まさかの親族。妖や物の怪の類ではないのか。征司たちは怪訝な表情になり、顔を見合わせ合った。
「ただの人間に神貴を使うわけには……」
「人間じゃないんだ。……人間ではなくなってしまったんだ。彼女は口裂け女、と呼ばれている」
口裂け女。それなら征司達の村でも聞いたことがある。
これも桜の精の話のように、子どもたちを山に近づけないための口実である。実際に存在しないものと思っていた。
他の村でも度々耳にしていたが、誰も信じていない公然の嘘と捉える者が多い。
「従姉妹は数年前の謎の病にかかったが一命を取り留めた。だが、後遺症なのか顔に赤黒い痣が浮き上がって消えなくなってしまった」
無意識だろう。ユズカは自分の頬を撫でた。燭台の火に照らされた肌は艶やかでシミ一つない。
「病が終焉に向かった頃、遺体を焼くために町から人がたくさん来た。その中に医者がいて、医者は顔を作り変えることができると言ったんだ。整形手術というらしいのだが……従姉妹は藁にも縋る想いで手術をお願いした。本当に気にしていたんだ。私たちがどれだけ言っても聞き入れてくれなかった……」
「整形手術って……南蛮からの技術か。まだ最近伝わったばかりだろう? その医者、胡散臭いな……」
顔をしかめた菊光に、ユズカは力なく笑った。
「全く同感だよ……。そんなことができる医者がこんな田舎にフラッと現れるわけがない」
「それで……手術は成功したのか?」
西洋の技術について異様に詳しい菊光に、征司たちは首を傾げた。
やはりいいところのお坊ちゃんなのだろうかと疑惑が深まる。
「いいや。やっぱりやぶだったよ。そいつは医者には医者だったけど、刃物を握ってできることなんてなかった。手を滑らせたせいで従姉妹の口は左右に大きく裂けてしまった……」
「……っ!」
「……小紅、外行くか?」
「ごめんなさい……」
想像して口元を押さえた小紅の顔色は青白い。それを見かねた征司は彼女を連れて建物を出て行った。
その後を視線で追い、京弥は口の端を上げた。
「なんだ、気が利くようになったじゃないか」
「ホントっス! 珍しいっすね!」
「菊光は平気なのか?」
「何も怖気づくことはない」
菊光は自分の布団をバサッと広げ、その上で胡坐をかいた。腕を組んでユズカを見上げる。
「ユズカさん。口裂け女はいつ襲ってくるんですか? しょっちゅうですか?」
「本当に時々だ。今は森の中でひっそりと暮らしている。人里を離れて恨みを募らせている間に……人外になってしまったのだと思う。走る速さが尋常じゃないし」
「村人たちも襲われるだろう。どうして話してくれなかったんだ」
京弥が立ち上がってユズカの前で腕を広げた。それに背を向け、彼女は首を振った。
「私のことしか眼中にないから村人たちは大丈夫だ」
「ユズカ殿だけ……? 何か因縁があるんスか」
「それはない! ……と思う。私たちは本当にいい友だちだったんだ」
仲が良かった頃のことを思い出しているのだろう。ユズカは遠い目で懐かしむようにほほえんだ。
「……俺が守ろう。ユズカ、お前にそんな顔は似合わない」
京弥は甘い声でユズカと距離を縮めた。それをつまらなさそうに菊光が見上げる。
彼は顔を背けようとするユズカの肩に手を置き、ほほえみかける。
サスケも枕に足を取られながらも駆け寄った。
「きっとお前の唯一の肉親なんだろ? 従姉妹の心は必ず取り戻す」
「そうっス! きっと前みたいに笑い合える日を取り戻せるっスよ!」
「京弥……サスケ……ありがとう」
涙ぐんだユズカは何度もうなずき、手をさすった。
その様子を菊光は、戻ってきた征司と小紅に肩を叩かれるまで真顔で見つめ続けた。
神社の裏手には建物がある。鍵を使って開けると中は意外と広く、一行は矢羽根村で滞在した建物を思い出した。
廊下を抜け、先を歩くユズカは雨戸を豪快に一気に開けた。外からの空気が流れ込み、木と落ち葉の湿った匂いがした。
「祭事に使う物を保管しているんだ。祭りが近い時はここで準備をしている」
急に明るくなった室内で気づいたのは、板張りの床と広い縁側。大きな桐箪笥もあるがどれも質素な造りだ。
「矢羽根村でもこういう建物に滞在してました」
「そうか。そこと同じように過ごしてくれたらいい。布団は干しておいたのがあるからそれを使って」
「ありがとうございますっス!」
ユズカが指さした方を見ると、縁側の外で布団が物干し竿に引っ掛けられている。
征司と京弥とサスケはさっそく取り込もうと、縁側の外へ出て行った。
男子たちの元気のよさにユズカは笑い、残った二人に顔を向けた。
「風呂は村の共同浴場がある。手拭いはそこに置いてあるのを使いなさい」
「共同浴場……?」
その単語に菊光の眉がピクリと動く。小紅は矢羽根村でのことを思い出し、菊光の肩に手を置いた。
「あ、ユズカさん。菊光は事情があって一人でお風呂に入りたいんです」
「事情? まぁ分かった。終い湯にはなるがなんとかできるだろう」
「かたじけない」
菊光は硬い表情で腰を折った。
食事は村で最年長だという女性が用意してくれることになった。
夕方になると縁側にユズカが現れ、その後ろで老夫婦が台車のようなものを押していた。
彼女は六十代くらいで、ふくよかな見た目は征司の母によく似ている。
「カツミさんだ。私もいつもご飯を食べさせてもらっている」
「ユズから話は聞いてるわ。上がってもいいかしら?」
紹介された彼女は人のよさそうな笑顔を浮かべていた。
燭台に火を灯し、全員で円を描くように座った。
カツミが台車で運んでいたのは様々な大きさの鍋。
ご飯も煮物も焼き物も。彼女が作った食事はどれもおいしくて、故郷の母の味を思い出した。
到着してから建物の掃除をしていた一行は、無我夢中で箸を動かし続けた。
「ささ、おかわりは? まだまだあるよ」
しゃもじを片手にぽってりとした手を差し出す様子は母にそっくりで。征司はこっそりと涙ぐんだ。
ユズカは酒を片手に煮物をつまんでいる。片膝を立て、手酌をする様子は18の貫禄ではない。
「ユズ、あんたもしっかり食べなさい。この子たちみたいに」
「私はいいよ。君たち、私の分も食べてくれていいから」
「またあんたは……大事な体なのよ?」
「米は酒で摂取してるから大丈夫だよ」
「あんたのお父さんもそう言ってたわ。血は争えないわね」
カツミは呆れたため息をつきながらも、煮物のおかわりをついだ。それをユズカの前に置くと、橙色の頭に手を置いた。
「そういえばユズカ殿のご家族は? ぜひ挨拶をさせて頂きたいんだが」
京弥はお茶が入った湯呑を片手に、ユズカの隣に腰を下ろした。
家族、という単語にユズカの顔に影が落ちた。カツミも笑顔だが眉が下がっている。
「……亡くなったんだ」
「え……」
「数年前、突然お年寄りたちを中心にどんどん弱っていったんだ。私の両親と兄は看病に走り回って、過労で死んでしまった」
「私の夫もその時に亡くなったのよ。この村に入った時気づいたかしら? 若い人ばかりだったでしょう」
「確かに……」
重苦しい空気が流れ、征司たちはおし黙った。ずっと動かし続けていた箸も止まる。
京弥は目を伏せ、ユズカの肩を抱き寄せようとした。だが、彼女が立ち上がる方が早かった。
「今の話は気にしないでくれ。私は共同浴場の湯加減でも見てくるよ」
「俺も行こうかな。場所を知っておきたいし」
「それなら後で案内するから。ゆっくりしてて」
ユズカはおちょこの中身を一気にあおると、髪を翻して出て行った。
「悪いことを聞いたな……」
京弥が座り直すと、サスケは気まずそうな表情で脇腹をつついた。
「京弥の兄貴、口説きたいからって近づきすぎっスよ。菊光の兄貴の顔がずっと厳しいっス」
「はっ!? ボクはただユズカさんの迷惑を考えて……」
「とか言いながらヤキモチ妬いてんだろ?」
「なワケないだろ!」
肩を抱かれた菊光はその腕を払い、京弥から距離をとった。
ふくれっ面で玄米をかきこんだ。
「菊光ー。湯加減はどうだー?」
「ちょうどいいです!」
先にお風呂に入りに行った征司たちを見送り、晩御飯の片づけをしていたらいい時間になった。
他に入る人はいなくなったから、と菊光はユズカに連れられて共同浴場に来た。
女湯と男湯に分かれているが、天井に隙間があってお互いの声が聞こえる。
体を洗って湯舟に浸かると、ユズカの声が響いた。高くも低くもない心地よい声は、浴場で美しく反響する。
「本当だったら一緒に入りたかったんだけどな」
「あ……ダメだろ!」
「そうか? 菊光とだったら私はいいけどな」
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すらりとしたユズカの体はさぞ綺麗なことだろう。小柄で筋肉質な菊光と違って。
「ユズカさんはどうして男装しているんですか?」
「自分の決意、かな。この村では神主は男しかなれない。だが後継者は私しかいなかった。男装は自分を守るためでもある。時々弱い心がのぞくんだ。でも村は守りたい。強い心で……」
お湯をかける音がやんだ。菊光も湯舟の壁に背をつき、天井を仰いだ。
天井の中心は空いており、夜は星空が見えるようになっている。雨の日は板を置いて雨粒を防いでいるらしい。
「正直男装のつもりはないんだけどな。でも周りにはそう見えるよな」
「かっこいいから」
「ありがとう。菊光も似合ってるよ。奇抜でかっこいい」
「そうですか?」
「あぁ。実はいいとこ育ちなんじゃないか? この村では見たことのない生地と紐を使っているだろう。南蛮のものか?」
「さ、さぁ。貰い物だからよく分からない……」
「ふーん。まぁそういうことにしておこう」
菊光がくちごもると、ユズカは小さく笑った。またお湯を肩にかけているのだろう。ぱしゃんぱしゃんという音が静かに響いた。
菊光がユズカと滞在先である建物に戻ると、征司たちが布団を敷いていた。
二人に気がつくと、彼らはそれぞれの布団の前で姿勢を正した。
「ユズカさん。村で困ってることはありませんか? 俺たちはこれまで、いろんな村で妖や物の怪の類の問題を解決してきました。何かお役に立てることがあったら教えてください」
「征司? 急にどうしたんだ……」
菊光が手拭いで頭を拭いていると、彼らは神妙な顔つきをしていた。
まるで何かを知っているのかのような。
部屋の隅ではカツミが洗い終えた食器を拭いて重ねている。
「ないよ。ないけど……」
突然の征司の申し出にユズカは言葉を濁らせた。
眉が曇った表情に征司とサスケが食いつく。
「ありますよね!?」
「征司、わくわくするんじゃねぇ」
「やっぱりこうでないとっスよ!」
京弥は諫めているが、その顔には興味津々な様子が隠しきれていない。小紅は不安そうに顔を曇らせ、ユズカのことを気づかわし気に見つめた。
「いや……心配することはない」
「ユズカ」
食器を片付け終えたカツミが立ち上がった。
「頼ってみたらどう? この子たちの武勇伝、なかなかよ」
「カツさん……! 話したのか?」
ユズカは大声を上げそうなのをこらえ、苦しそうに声を絞り出した。
「まだよ。あなたが説明しなさい。じゃあね、また明日。朝ごはん届けに来るからね」
カツミが去った後、わずかな沈黙が流れた。
ユズカに声をかけるのを誰もがためらったからだ。
彼女は拳を握りしめ、眉間にシワを寄せている。
その横顔には諦めと後悔が混ざり、疲弊している。あの麗しい巫女姿からは想像できなかった表情だ。
「……すまない。カツさんが余計なことを言ったみたいだな」
「ユズカさん、教えてください。そんな顔を見せられたら引くに引けません」
手拭いをとった菊光が眉に力を入れる。
直球な物言いにユズカは観念したのか、肩を落としてうなだれた。
「あぁ……時々だが襲ってくるんだ。私の従姉妹が」
「へ?」
「従姉妹……?」
まさかの親族。妖や物の怪の類ではないのか。征司たちは怪訝な表情になり、顔を見合わせ合った。
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「人間じゃないんだ。……人間ではなくなってしまったんだ。彼女は口裂け女、と呼ばれている」
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他の村でも度々耳にしていたが、誰も信じていない公然の嘘と捉える者が多い。
「従姉妹は数年前の謎の病にかかったが一命を取り留めた。だが、後遺症なのか顔に赤黒い痣が浮き上がって消えなくなってしまった」
無意識だろう。ユズカは自分の頬を撫でた。燭台の火に照らされた肌は艶やかでシミ一つない。
「病が終焉に向かった頃、遺体を焼くために町から人がたくさん来た。その中に医者がいて、医者は顔を作り変えることができると言ったんだ。整形手術というらしいのだが……従姉妹は藁にも縋る想いで手術をお願いした。本当に気にしていたんだ。私たちがどれだけ言っても聞き入れてくれなかった……」
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「……っ!」
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「菊光は平気なのか?」
「何も怖気づくことはない」
菊光は自分の布団をバサッと広げ、その上で胡坐をかいた。腕を組んでユズカを見上げる。
「ユズカさん。口裂け女はいつ襲ってくるんですか? しょっちゅうですか?」
「本当に時々だ。今は森の中でひっそりと暮らしている。人里を離れて恨みを募らせている間に……人外になってしまったのだと思う。走る速さが尋常じゃないし」
「村人たちも襲われるだろう。どうして話してくれなかったんだ」
京弥が立ち上がってユズカの前で腕を広げた。それに背を向け、彼女は首を振った。
「私のことしか眼中にないから村人たちは大丈夫だ」
「ユズカ殿だけ……? 何か因縁があるんスか」
「それはない! ……と思う。私たちは本当にいい友だちだったんだ」
仲が良かった頃のことを思い出しているのだろう。ユズカは遠い目で懐かしむようにほほえんだ。
「……俺が守ろう。ユズカ、お前にそんな顔は似合わない」
京弥は甘い声でユズカと距離を縮めた。それをつまらなさそうに菊光が見上げる。
彼は顔を背けようとするユズカの肩に手を置き、ほほえみかける。
サスケも枕に足を取られながらも駆け寄った。
「きっとお前の唯一の肉親なんだろ? 従姉妹の心は必ず取り戻す」
「そうっス! きっと前みたいに笑い合える日を取り戻せるっスよ!」
「京弥……サスケ……ありがとう」
涙ぐんだユズカは何度もうなずき、手をさすった。
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田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
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