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2章
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麓が早く寮を出た朝。
着替えてから朝食を終え、寮を出たのはまだ外が薄暗い時刻。太陽はチラッとだけ姿を見せている。
その遠いまぶしさに目を細め、学校に向かって歩き出そうとすると呼び止められた。
「麓ちゃーん。おはよー」
扇の声だ。それは分かったのだが、どこからなのか…。
きょろきょろと辺りを見回すと再び声がした。
「こっちこっち。上だよ」
「あ、おはようございます」
麓は彼の姿を見つけると、丁寧にお辞儀をした。彼は部屋の窓から手を振っている。おまけにまだ寝間着姿だ。起きたばかりなのかもしれない。
「まだ時間あるー? ちょっと待っててほしいんだけど」
「いいですよ」
麓がうなずくと扇はほほえみ、窓を閉めて引っ込んだ。
風紀委員寮だけ独立して、他の寮から離れていてよかった。朝の静かな空間には扇の声がよく響く。
彼を待っている間に、かじかんだ手に息を吹きかける。
(…あっ)
冷たい素手を見て思い出した。いつも外出するときに着けている手袋を忘れてきてしまった。今日は早めに登校する、ということに集中して他のことに気が回らなかったのかもしれない。
取りに行ってもいい。寮からはまだ、そんなに距離は離れていない。
「麓ちゃんお待たせー」
結論を出す前に、扇が爽やかな笑顔で寮から出て来た。ワイシャツの上にコートを羽織っている。慌てて着替えてきたのか、ワイシャツのボタンは上の方は外れている。
「じゃ、行こう」
「…? はい」
こうなったら戻りにくい。麓はうなずき、扇と学校に向かって歩き出した。
風が吹いてくる側に扇が並んで歩いているからか、激しく吹いていた風がほんの少しだけ柔らかくなった気がする。
それでもやはり、寒いことには変わらない。小さなくしゃみが出た。上から扇の優しい声が降ってくる。
「大丈夫? 風邪でも引いた?」
「そんなことないです、大丈夫です」
「そーお? あれ、手袋してないじゃん。いつものヤツ」
「今日は忘れちゃいました」
「しっかり者の麓ちゃんが珍しいね。…ちょっと待ってて」
扇は立ち止まり、自分がつけている灰色の手袋を右側だけ外して麓に渡した。
「はい、これ。着けて」
「でも」
「いいから」
扇に言われて、彼女の手にはぶかぶかとした手袋をかじかんだ手にはめ、振ったり広げたりした。いつもとサイズが違うので指がフィットしない。しかしその手袋には扇のぬくもりが残っており、ほんのりと温かい。
すると、何もしていない左手が、手袋よりもはっきりとした温かさに包まれた。
扇の顔を見上げると、彼はいたずらっぽく笑っていた。
「こうして手をつなげばお互い寒くないでしょ」
扇は握った手を掲げて見せた。
自分の手よりずっと大きく、細長いがごつごつとして男らしい指にしっかりと包まれている。改めて見るとそれは、じわじわと照れがくる。
「なんだかすみません…」
「そこは”ありがとう”だよ」
扇は笑いながら人差し指で麓の頬をつついた。
東校舎にたどり着き、これからまた寮に戻るという扇にもう片方の手袋を渡された。
帰ってきた時に返してくれればいいよ、と。
結局、彼がここまで一緒に来た理由は不明だ。
教室に向かう途中に窓から外を見ると、雪でも雨でもないものが降ってきていた。
さっきまで空模様は怪しくなかったのに。
扇は濡れることなく無事に帰れただろうか。心配しつつ、教室に向かった。
麓が今日こうして早く登校したのは、とある精霊に呼び出されたから。
なんでも聞かせておきたい話があるらしい。
あの彼女がそんなことを言うなんて珍しいことだ。普段、積極的に話をしないタイプなのに。基本、無表情なので何を考えているのか読めない。
麓が教室のドアを開けるとすでに暖房が効いており、心地よい温かさに包まれた。
窓際では1人、こちらに背を向けて空を見ている精霊。そこでは冷えるだろうに、わざわざ。
麓は彼女の名前を呼んだ。
「おはよう────露さん」
小さな背中に声をかけると、彼女が振り向いた。いつも通りの無表情で。
露はあいさつを返す代わりに天気の話をした。
「今日もいつも通り寒い。でも、雨は雪になりきれずに霙」
彼女は淡々と告げ、空を睨み上げる。今日初めての、表情らしい表情をした。
「霙は本来、比較的温かい日に振る。だからこれはおかしい。異常気象とかじゃない。麓はこれがなんなのか分かる?」
露は麓と視線を合わせずに話した。それは元々聞く気はなかったらしく、麓の返事を待たなかった。
憂いを帯びつつも、怒りをにじませたつらそうな表情を浮かべていた。
「天災地変のしわざ…、たぶん」
衝撃的だった。麓はわずかに目を見開き、露のことを見つめた。
まさか光以外のクラスメイトから、その組織の名を聞く日が来るとは。
状況を飲み込みにくいままの麓はうなずき、肩にかけたバッグを机の横にかけた。
「麓には、知っておいてほしい。これは蔓も知ってる」
「蔓さんも?」
「うん。アイツは昔からの知り合いだから。あの人のことを知ってる」
一緒に行動していることが多い、露と蔓。その理由はそういうことだったのだ。
そこで出て来たあの人という代名詞。おそらくそれが、今回のキーワードになるのだろう。露の表情は懐かしそうだった。
彼女は窓に背を向け、ポツポツと語り始めた。
着替えてから朝食を終え、寮を出たのはまだ外が薄暗い時刻。太陽はチラッとだけ姿を見せている。
その遠いまぶしさに目を細め、学校に向かって歩き出そうとすると呼び止められた。
「麓ちゃーん。おはよー」
扇の声だ。それは分かったのだが、どこからなのか…。
きょろきょろと辺りを見回すと再び声がした。
「こっちこっち。上だよ」
「あ、おはようございます」
麓は彼の姿を見つけると、丁寧にお辞儀をした。彼は部屋の窓から手を振っている。おまけにまだ寝間着姿だ。起きたばかりなのかもしれない。
「まだ時間あるー? ちょっと待っててほしいんだけど」
「いいですよ」
麓がうなずくと扇はほほえみ、窓を閉めて引っ込んだ。
風紀委員寮だけ独立して、他の寮から離れていてよかった。朝の静かな空間には扇の声がよく響く。
彼を待っている間に、かじかんだ手に息を吹きかける。
(…あっ)
冷たい素手を見て思い出した。いつも外出するときに着けている手袋を忘れてきてしまった。今日は早めに登校する、ということに集中して他のことに気が回らなかったのかもしれない。
取りに行ってもいい。寮からはまだ、そんなに距離は離れていない。
「麓ちゃんお待たせー」
結論を出す前に、扇が爽やかな笑顔で寮から出て来た。ワイシャツの上にコートを羽織っている。慌てて着替えてきたのか、ワイシャツのボタンは上の方は外れている。
「じゃ、行こう」
「…? はい」
こうなったら戻りにくい。麓はうなずき、扇と学校に向かって歩き出した。
風が吹いてくる側に扇が並んで歩いているからか、激しく吹いていた風がほんの少しだけ柔らかくなった気がする。
それでもやはり、寒いことには変わらない。小さなくしゃみが出た。上から扇の優しい声が降ってくる。
「大丈夫? 風邪でも引いた?」
「そんなことないです、大丈夫です」
「そーお? あれ、手袋してないじゃん。いつものヤツ」
「今日は忘れちゃいました」
「しっかり者の麓ちゃんが珍しいね。…ちょっと待ってて」
扇は立ち止まり、自分がつけている灰色の手袋を右側だけ外して麓に渡した。
「はい、これ。着けて」
「でも」
「いいから」
扇に言われて、彼女の手にはぶかぶかとした手袋をかじかんだ手にはめ、振ったり広げたりした。いつもとサイズが違うので指がフィットしない。しかしその手袋には扇のぬくもりが残っており、ほんのりと温かい。
すると、何もしていない左手が、手袋よりもはっきりとした温かさに包まれた。
扇の顔を見上げると、彼はいたずらっぽく笑っていた。
「こうして手をつなげばお互い寒くないでしょ」
扇は握った手を掲げて見せた。
自分の手よりずっと大きく、細長いがごつごつとして男らしい指にしっかりと包まれている。改めて見るとそれは、じわじわと照れがくる。
「なんだかすみません…」
「そこは”ありがとう”だよ」
扇は笑いながら人差し指で麓の頬をつついた。
東校舎にたどり着き、これからまた寮に戻るという扇にもう片方の手袋を渡された。
帰ってきた時に返してくれればいいよ、と。
結局、彼がここまで一緒に来た理由は不明だ。
教室に向かう途中に窓から外を見ると、雪でも雨でもないものが降ってきていた。
さっきまで空模様は怪しくなかったのに。
扇は濡れることなく無事に帰れただろうか。心配しつつ、教室に向かった。
麓が今日こうして早く登校したのは、とある精霊に呼び出されたから。
なんでも聞かせておきたい話があるらしい。
あの彼女がそんなことを言うなんて珍しいことだ。普段、積極的に話をしないタイプなのに。基本、無表情なので何を考えているのか読めない。
麓が教室のドアを開けるとすでに暖房が効いており、心地よい温かさに包まれた。
窓際では1人、こちらに背を向けて空を見ている精霊。そこでは冷えるだろうに、わざわざ。
麓は彼女の名前を呼んだ。
「おはよう────露さん」
小さな背中に声をかけると、彼女が振り向いた。いつも通りの無表情で。
露はあいさつを返す代わりに天気の話をした。
「今日もいつも通り寒い。でも、雨は雪になりきれずに霙」
彼女は淡々と告げ、空を睨み上げる。今日初めての、表情らしい表情をした。
「霙は本来、比較的温かい日に振る。だからこれはおかしい。異常気象とかじゃない。麓はこれがなんなのか分かる?」
露は麓と視線を合わせずに話した。それは元々聞く気はなかったらしく、麓の返事を待たなかった。
憂いを帯びつつも、怒りをにじませたつらそうな表情を浮かべていた。
「天災地変のしわざ…、たぶん」
衝撃的だった。麓はわずかに目を見開き、露のことを見つめた。
まさか光以外のクラスメイトから、その組織の名を聞く日が来るとは。
状況を飲み込みにくいままの麓はうなずき、肩にかけたバッグを机の横にかけた。
「麓には、知っておいてほしい。これは蔓も知ってる」
「蔓さんも?」
「うん。アイツは昔からの知り合いだから。あの人のことを知ってる」
一緒に行動していることが多い、露と蔓。その理由はそういうことだったのだ。
そこで出て来たあの人という代名詞。おそらくそれが、今回のキーワードになるのだろう。露の表情は懐かしそうだった。
彼女は窓に背を向け、ポツポツと語り始めた。
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