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6章
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次の日。出社すると千秋と畑中に体調を心配された。
どうやら岳は、千波がファミレスに行かなかった理由を体調不良にしたらしい。
そんな彼は、千波のことを見てニコッと笑ってみせた。ただし、今日は珍しく何も言わない。
千波はいつも通り業務をこなそうとパソコンに向かう。
だが、仕事中にも関わらず涙がにじんでくる。
昨夜は一切泣けなかったのに。
まだ昨夜のことを引きずっているらしい。気分も重たく、食欲もわかない。
そこまでショックを受けているなんて、少女マンガの主人公気取りか、と自分にツッコむ。
忘れたいのに忘れられない。昨日の衝撃はそれだけ大きかった。
以前、誰かに聞いたことがある。「忘れたい」と考えている時点で忘れられないと。
(嫌だ……。しばらくこんな状態とか……)
千波は手を止めパソコンから目をそらし、誰にも聞こえないようにかすかなため息をついた。
落ち込んでいるせいか仕事の進度はいつもより遅く、周りから人が減っていく。
さすがに畑中も帰るらしい。コートを羽織って心配そうに千波のデスクに近づいた。
「若名さん大丈夫? 体調悪かったんでしょ? 適当な所で帰りなよ」
「あ、はい……。あともうちょっとです」
「無理しないでね。お疲れ様ね」
「お疲れ様です」
千波は頭を下げた。
とうとう一人になった。さっきまで岳がいたが、いつの間にかいなくなっていた。そのことに心がきゅっと締め付けられる。それはまるで────
千波はそんなはずないと頭を振り、カタカタとキーボードに指を走らせ、保存してやっと仕事を終えた。
凝った肩をポンポンと叩いていたら、頬に温かいものが当たった。
振り向くと、岳がココア缶を差し出していた。
「お疲れ。帰るぞ~」
「香椎さん? もう帰ったんじゃないんですか?」
「勝手に帰すなよ。チナが一人で頑張ってるのに帰れるかよ」
岳は千波のデスクにココアを置き、反対の手で持っている缶コーヒーをあおった。
「あーあったか。チナも飲みなよ。あったまるぞ」
「……いただきます」
おとなしくココアを飲んだ。冷たい手にちょうどいい温度だ。
ふぅ、と息をつく。心が安らいだ気がする。
「今日は珍しいな。こんな時間まで残ってるなんて」
「今日中に終わらせたかったんで。ハンパな所で止めておくと気持ち悪いですし」
「チナらしいわ」
笑いながら岳は千波の頭をワシャワシャとなでた。
「ちょ……やめて下さい」
「別にいーじゃん。もう帰るだけだし」
それもそうか、と納得しかけて慌ててしかめっ面をしてみせる。
ごめんごめん、と謝った岳は手櫛で千波の髪を整えた。
その手つきが優しくて、千波はおとなしくされるがままの状態になった。
帰るぞ、と言っていたくせに岳はなかなか帰る気配を出さなかった。
荷物はまとめてあるがコートは着ず、椅子にかけてある。シャッターを閉めた窓の前で、行ったり来たりを繰り返している。
「香椎さん何してるんですか? 会社に泊まって行くんですか?」
「ンなわけ」
「あたしもう帰りますね。さすがにもう遅いですから」
千波がマフラーを巻き、荷物を手に取ろうとしたら岳に止められた。
「あ、のさチナ!」
「はい?」
片眉をあげると、岳はらしくなく視線をそらし、頭をかいてうつむいた。
「泣いていいよ」
「は────?」
「好きだったんだろ? 昨日見た大学生」
「はぁ!?」
「ごめん! 俺見てたんだ、大学の文化祭の時にチナがあの大学生に声かけてる所」
岳の話はこうだ。
彼の恩師は図書室にいることが多かったから探しに行ったら、たまたま千波と空人が話している所を目撃してしまったと。話の内容もほとんど知っている。そこで空人が、千波が忘れられない人だと分かった。
「はっず……。ちょっとした黒歴史見られたみたいになってる……」
「お前、今日ずっと泣きそうだったじゃん。昨日だってめっちゃ辛そうだったし……。その調子だとあれから一度も泣いてないんだろ」
千波は上目遣いでうなずいた。なんでこんな急に素直になれたのか。もう理由はどうでもよかった。
あっさりとうなずいた千波に驚き、岳はわずかに目を見開いた。そしてほほえみ、片手で彼女を引き寄せて両腕で包みこんだ。
どうやら岳は、千波がファミレスに行かなかった理由を体調不良にしたらしい。
そんな彼は、千波のことを見てニコッと笑ってみせた。ただし、今日は珍しく何も言わない。
千波はいつも通り業務をこなそうとパソコンに向かう。
だが、仕事中にも関わらず涙がにじんでくる。
昨夜は一切泣けなかったのに。
まだ昨夜のことを引きずっているらしい。気分も重たく、食欲もわかない。
そこまでショックを受けているなんて、少女マンガの主人公気取りか、と自分にツッコむ。
忘れたいのに忘れられない。昨日の衝撃はそれだけ大きかった。
以前、誰かに聞いたことがある。「忘れたい」と考えている時点で忘れられないと。
(嫌だ……。しばらくこんな状態とか……)
千波は手を止めパソコンから目をそらし、誰にも聞こえないようにかすかなため息をついた。
落ち込んでいるせいか仕事の進度はいつもより遅く、周りから人が減っていく。
さすがに畑中も帰るらしい。コートを羽織って心配そうに千波のデスクに近づいた。
「若名さん大丈夫? 体調悪かったんでしょ? 適当な所で帰りなよ」
「あ、はい……。あともうちょっとです」
「無理しないでね。お疲れ様ね」
「お疲れ様です」
千波は頭を下げた。
とうとう一人になった。さっきまで岳がいたが、いつの間にかいなくなっていた。そのことに心がきゅっと締め付けられる。それはまるで────
千波はそんなはずないと頭を振り、カタカタとキーボードに指を走らせ、保存してやっと仕事を終えた。
凝った肩をポンポンと叩いていたら、頬に温かいものが当たった。
振り向くと、岳がココア缶を差し出していた。
「お疲れ。帰るぞ~」
「香椎さん? もう帰ったんじゃないんですか?」
「勝手に帰すなよ。チナが一人で頑張ってるのに帰れるかよ」
岳は千波のデスクにココアを置き、反対の手で持っている缶コーヒーをあおった。
「あーあったか。チナも飲みなよ。あったまるぞ」
「……いただきます」
おとなしくココアを飲んだ。冷たい手にちょうどいい温度だ。
ふぅ、と息をつく。心が安らいだ気がする。
「今日は珍しいな。こんな時間まで残ってるなんて」
「今日中に終わらせたかったんで。ハンパな所で止めておくと気持ち悪いですし」
「チナらしいわ」
笑いながら岳は千波の頭をワシャワシャとなでた。
「ちょ……やめて下さい」
「別にいーじゃん。もう帰るだけだし」
それもそうか、と納得しかけて慌ててしかめっ面をしてみせる。
ごめんごめん、と謝った岳は手櫛で千波の髪を整えた。
その手つきが優しくて、千波はおとなしくされるがままの状態になった。
帰るぞ、と言っていたくせに岳はなかなか帰る気配を出さなかった。
荷物はまとめてあるがコートは着ず、椅子にかけてある。シャッターを閉めた窓の前で、行ったり来たりを繰り返している。
「香椎さん何してるんですか? 会社に泊まって行くんですか?」
「ンなわけ」
「あたしもう帰りますね。さすがにもう遅いですから」
千波がマフラーを巻き、荷物を手に取ろうとしたら岳に止められた。
「あ、のさチナ!」
「はい?」
片眉をあげると、岳はらしくなく視線をそらし、頭をかいてうつむいた。
「泣いていいよ」
「は────?」
「好きだったんだろ? 昨日見た大学生」
「はぁ!?」
「ごめん! 俺見てたんだ、大学の文化祭の時にチナがあの大学生に声かけてる所」
岳の話はこうだ。
彼の恩師は図書室にいることが多かったから探しに行ったら、たまたま千波と空人が話している所を目撃してしまったと。話の内容もほとんど知っている。そこで空人が、千波が忘れられない人だと分かった。
「はっず……。ちょっとした黒歴史見られたみたいになってる……」
「お前、今日ずっと泣きそうだったじゃん。昨日だってめっちゃ辛そうだったし……。その調子だとあれから一度も泣いてないんだろ」
千波は上目遣いでうなずいた。なんでこんな急に素直になれたのか。もう理由はどうでもよかった。
あっさりとうなずいた千波に驚き、岳はわずかに目を見開いた。そしてほほえみ、片手で彼女を引き寄せて両腕で包みこんだ。
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