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1章

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 イベントの次の日は身体がけだるい。

 のんびりとあくびをして駐車場を出て会社に向かって歩いていく。

 襟に白いラインが入った黒のジャケットに黒のタイトスカート。これがいつもの千波の出勤スタイル。

 肩にかけたバッグを持ち直すと、後ろから声がした。

「チナちゃんおはよー」

 その声に"うわっ"と声を上げそうになったがなんとかこらえる。

 千波は振り返って軽く会釈をした。 

「おはようございます。……ってか名前で呼んでいいなんて言った覚えないんですけど」

「いーじゃんいーじゃん俺らの仲なんだから」

「そうなった覚えはない」

 千波は白い目で会社の先輩────香椎かしいがくを見上げる。

 彼は一昨日、イベントですれ違った男。結局、開き直っていつも会社で会うようにイベント中に声をかけられたが。部署は違うが会社の集まりや社内ですれ違い様に声をかけてくるので、わりと近い存在であったりする。

「それより……。香椎さんもレイヤーだったんですね」

 お互いの趣味のことを持ちかけると、岳は照れたように頭をかいて笑った。

「はは……。チナちゃんこそ。でもバレたのがチナで良かったよ。しかも仲間だったし」

「これはお互い、内密ということで」

「もちろん。弱み握ったとか思うなよ?」

「バレました?」

「さっそく思ったのかよ!」

「あっ、バカ」

 岳はバッグを持っていない方の手で千波の頭を小突く。彼女は丁寧にセットした髪を慌てて手櫛で直した。

「整えんの早いね。チナはウィッグは自分でセットする派?」

「はい。髪をいじるのけっこう好きなんで」

「すごくね? 俺なんか全部友だち任せだよ」 

 まさか会社でこんな話をする日が来るなんて。しかも相手が相手だし。

 割と普通に談笑しているが、ななとゆきの前では岳のことを"苦手な人"なんて言った理由は────。

「がっくんおはよ~」

「はよざま!」

 歳を食った猫なで声がし、それに答えた岳の姿を見て、千波は一人でスタスタと先へ進んだ。

 猫なで声を放った女のことは見なかったが、声ですぐにわかった。自分の部署のお局様だと。

 若い女性社員はどんなに仕事ができても気に入らない、若い男性社員や高い地位にいる者には好かれよう、認められようとする、絵に描いたような中年の女。千波は入社した時から嫌いだった。

 他の人も、表面上は仲良くしていてもこのお局が嫌いらしい。

 それなのにコイツは。

(腹の中ではどうやら……)

 わずかに振り向き、冷たい視線を投げる。

 どんなに疎まれている存在でも愛想よく応じる、岳のそういう所が苦手だった。

 千波は嫌いな人には、自分から口を聞かない。

 そもそも彼女は警戒心が強いタイプで、会社で心を開くのも時間がかかった。

 だからなのか、誰にでも好かれて誰とでも仲良くなれる岳が正直うらやましかった。その反面、表では見事な対応だなんて皮肉ることも珍しくない。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 昼休憩。

 食堂へ行く途中、いつの間にか岳が合流しており、到着すると千波の隣を陣取っていた。

 千波はカルボナーラの上の卵をつついてボソッとつぶやく。 

「……なんですか」

「朝あんなサッサと行っちゃって話したりないからさ」

 隣で岳は割り箸を割り、丼を持ち上げた。中身をチラッと見ると牛丼のようだ。

「一昨日は写真撮らせてくれてありがとうね。俺、あのキャラめっちゃ好きでさ」

「ふーん」

「チナのことも好きだけどな」

「思ってもないこと言うな」

「本気だけど」

 真面目な声音に、フォークを持つ手が固まった。

 その様子に岳は口角を上げて目を細めた。
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