(両)片想いではいられない

堂宮ツキ乃

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 科学の授業中。

 今日の内容は酸化と還元という、THE科学な内容。実は文系である薫子にとっては気が重い単元だ。

 そう言うとアンは”どうせカオなんて勉強すればできるじゃん! 文系なんて嘘でしょーが!”と、子どもっぽく拗ねる。そんな彼女は薫子の斜め前の席で睡眠学習中だ。

 薫子が何とか授業についていけるのは担当がコウだからだ。正直、中学生の理科の成績は褒められたものではなかった。

 コウが黒板にいくつか科学反応式を書き、各自でそれを解くことになった。

 彼はぐるぐると教室を周り、眠たそうにしている生徒に声をかけている。アンが叩き起こされるのも時間の問題だろう。

「カオー。朗報だぞ」

 薫子がシャーペンを走らせていると、幼なじみのミツヤに声をかけられた。

 手を止めて顔を横に向けると、彼は顔をニンマリとさせた。

葉山はやま覚えてる? 中三の時に同じクラスだったヤツ。この前カオのこと久しぶりに見かけたらしくて会いたいってよ。どうする?」

「嫌。行かない」

 首を振るとミツヤにデコピンをくらわされた。

「痛っ」

「……ったくカオは。そんなんじゃいつまでたっても彼氏できないぞ。これが高校生活最後のリア充になるチャンスかもよ?」

「余計なお世話……」

「バーカ。こちとら奥手な幼なじみを気にかけてるんですけど」

 ミツヤは幼い頃からずっとそうだった。聞き入れなければすぐにデコピン。お節介な男子だ。

「自分だって彼女いないくせに」

「ほっとけ。なぁ、好かれてる相手と付き合ってみるのもありじゃね? そっからそいつのこと好きになるかもしんないし」

 ミツヤの考えることには一理ある。しかし、薫子は首を縦に振りたくなかった。

 だって今の自分には。薫子は席と席の間を歩くコウのことを遠目に見つめた。

(先生とは……)

 彼とどうこうなりたい、という気持ちはない。自分にはそもそも無理だ。ミツヤの言う通り消極的だから。

 問題を解くのを再開しようとしたら、ミツヤがからかい口調になった。

「あ、実は好きな人でもいんのか?」

 シャーペンを置こうとした手が止まる。瞬時に否定できなかった。

「う……」

「起きて~。ここ、テストで大事だから」

 声にならない声をもらすと、いつの間にかコウがアンの席の前にいた。容赦なく肩を揺さぶっている。ミツヤも視線をアンに移した。

 当の本人はムニャムニャ言いながら体を起こし、目をこすっている。

「おはよう。眠れる野獣さん」

「はァ!? 野獣!?」

 コウの一言でハッキリと目を開けた彼女は、突拍子のない声を上げた。

「なんつーこと言うんですか!?」 

「や……。だってアンさん、寝方が姫じゃないもん。どう見ても野獣だよ」

 コウとアンのやりとりに薫子は笑いをこらえられなかった。それはミツヤも。

「ちょっと! 二人まで何笑ってんのさ! 襲うよ!?」

「そう言う当たりホントに野獣じゃねーか」

 ミツヤの一言にクラスのほとんどが手を叩いて笑った。










 薫子は姿勢よく熱心にノートの上でシャーペンを走らせていた。斜め前の席にいるアンとは大違いだ。

(ほっとこ……。いつものことだし)

 コウは心の中で苦笑いをし、挙手した生徒の元へ行ってノートをのぞいた。

「会って話したいってよ。どーする?」

(んん!?)

 眉が音を立てそうな勢いでグッ寄る。目の前の生徒に怪訝な顔をされ、慌てて取り繕ったが聞き流すことはできなかった。

 コウは生徒の質問に答えながらミツヤの声に耳を立てた。我ながら器用なことをしている。

 実はミツヤのことは以前からマークしていた。見ている限り、彼が薫子に一番近しい唯一の男子生徒だからだ。

 どうやら彼は薫子に誰かをマッチングさせようとしているらしい。

 首を振った彼女に安心したのも束の間。ミツヤは薫子にデコピンをくらわせた。

 そういうスキンシップも許されるのか、と引け目を感じる。硬直しかけたコウは別の生徒に呼ばれ、再び手元をのぞいた。

「そんなんじゃいつまでたっても彼氏できないぞ」

 そこで初めて薫子が年齢=彼氏いない歴だと知る。

 強情な彼女の言葉にほっとしたがそろそろ邪魔をしたい。強情な態度に出た彼女の手助けも兼ねて。

「起きて~。今日の内容、今度のテストで大事だから」

 授業が始まってから爆睡しているアンの肩を叩いた。残念ながら彼女はそう簡単に起きない。去年から見慣れた光景だ。

 アンはうなりながら寝返りを打った。どうやら夢の中らしい。コウは強めに肩を揺さぶり、いつもより大きめの声で起こしにかかった。

 今日は彼女が寝ていることに感謝した。いつもは成績に響かせているが、今日のはおまけしようと決める。

 思惑通り、二人は話すのをやめた。アンも寝ぼけまなこで体を起こし、ガラガラの声で”んあ……”とつぶやいた。

 コウはにっこりと笑い、アンにノートを開かせた。漂白でもしたのか、というくらい真っ白だ。

「おはよう。眠れる野獣さん」

 薫子が耳がくすぐったくなる柔らかい声で笑っていた。普段はクールでも、笑うと女の子らしさが増す。

 そんな彼女に彼氏ができるのは近い将来かもしれない。

 コウは一緒になって笑いながらも眉を下げた。










 ”今度の科学のテスト範囲、さっぱり分かんないから一緒に教えてもらお!”と、薫子はアンに誘われた。

 というわけで特別に化学室で勉強会が開かれた。もちろん講師はコウだ。アンは授業中の眠れる野獣事件を反省したらしい。テスト週間前なのにテスト対策をするなんて、天と地がひっくり返るのかと身構えてしまった。

 ちなみに化学室は授業後、曜日によって漫研部の部室になる。薫子がいつの日かここで泣いた時、活動日じゃなくて良かったと後からほっとした。

 テストの範囲をおさらいし終えたところでアンが伸びをした。

「今日の先生のスーツ、ホストっぽいわ~」

 衣替えは過ぎたがまだまだ暑い日が多い。コウはネクタイを外し、灰色のワイシャツの袖を肘までまくり上げている。

 薫子は内心”眼福……”と、まじまじと観察していた。男の人の腕まくりにはつい見惚れてしまう。引き締まった腕の筋肉の感じとか、わずかに浮き上がった血管とか。それがコウなのでなおさらドギマギする。

「先生は純粋な教師です。カオちゃんはアンさんみたいなこと言わないのにね」

 今、目があったら顔が赤くなりそうだ。薫子は必死に首を縦に振ると彼の視線から逃げた。開いた問題集に目を落とし、シャーペンを握る手に力をこめる。

「カオはクール女子だもんね」

「そうだね。眠れる野獣と違ってよく勉ky」

「うるさーい!まだ言うんですかそれ!? カオのことはカオちゃんって呼ぶくせに……」

「……もしかしてヤキモチ?」

「妬くかー!」

 先生と軽口を叩き合えるアンがうらやましくなった。彼女のように明るくてさっぱりとした性格なら、どんなにかっこいい人の前でも緊張して固まることはないだろう。

 薫子はシャーペンを顎に軽く当てた。

 すると視線を感じ、顔を上げたらコウと目が合った。

「……分からないことがあったら聞いてね。カオちゃんだったら余裕かもしれないけど」

 何ですかと言いかけるより先に彼が口を開いた。ちょっと挙動不審に見えなくない。










 テスト当日。コウが薫子のクラスへ見回りに行った時。

 彼女の机の前で立ち止まってしまった。

 いつもと同じ、真剣な面持ちで懸命にシャーペンを走らせている姿に釘付けになった。その表情は努力家の彼女らしい。小さくほほえむと、クラス全体を見渡した。

 テストの問題について質問はないようなので、次のクラスへ行くことにした。

「……じゃっ、最後まで頑張って下さい」

 その応援の九割は目の前の薫子に向けて。彼女の斜め前のアンは珍しく、シャーペンを勢いよく走らせていた。特別授業が役に立ったのなら嬉しい。

 教室を出たコウはジャケットの衿を直し、手の平を握りしめた。

 実を言うと、薫子との接点が増えていく直前に事件が起きていた。
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