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3章
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アジトの最深部ともいえる場所。凪はそこにたどり着いた。
やっと来た────。
本当は今にも倒れて眠りこけたい。着替えも入浴も面倒くさいくらい。
しかし疲労に耐え、中堅の精霊たちは全て片付けた。彼らがいなくなると他の精霊が出てくることはなく、残すは零のみなのだろうと踏んだ凪はアジトを歩き進めることにした。
抜刀したままの海竜剣を手にし、傷がひりひりするのを我慢していた。”天”に戻って体を休めて体勢を立て直す手もあったが、ここまで来たら零を仕留めたい。ヤツも待ち構えているはずだ────。
「…来たか」
急に開けた場所に出て立ち止まると、その奥に玉座でくつろいでいる男と目が合った。
ピンと張りつめた空気。
凪は久しぶりに会う因縁の男と対峙した。この憎い顔を忘れたことはない。凪は顔をしかめた。
玉座に座っていた零は立ち上がり、凪に向かって3歩ほど近づいた。
「久方ぶりだ、凪殿。うれしくはないが」
「そっくりそのまま返してやるよ。俺だっておめーの顔は見たかねェ」
距離を取ってにらみ合う。零は口だけを動かして冷たい微笑を浮かべた。普段はただの優男にしか見えないが、こうして氷のような表情がヤツの本性なんだろう。
「奇遇だ、私もだ。貴様が仲間を引き連れてここまで来たがために、私は部下を総動員せなばならなくなった。だがもう彼らには戦う力はない。戦意喪失した者もいる」
「けっ。全部俺のせいかよ…元はと言えばおめーが下らねェことしてるのが悪ィんだろうが。もしおめーがおとなしく、ただの”天”の言霊を授かった雪の精霊でいたらこんなことにはならなかった。俺らがいがみ合うことも、アイツらがケガをすることも────雷がいなくなることも」
「ほぅ…雷殿を出すか。好きな女、な」
「うるせー。今は関係ねェ話だ。とりあえず出せや、精霊たちの結晶。そしたら俺はおめーに手を上げずにおとなしく帰ってやるから」
海竜剣を持ったのと反対の手を差し出した。零はアゴを持ち上げてせせら笑う。
「出す? 誰にも渡さぬ。私が簡単にうなずくとでも思ってるのかバカめ」
「おめーに言われたくねェわアホ」
アマテラスにバカ、アホ呼ばわりされている2人。それを彼らが知っているのかは謎。
凪は舌打ちをすると海竜剣の切っ先を零に向けた。好戦的な、らんらんと怪しげに光る黄金色の瞳で。
「…ふむ。やはり私たちにはこれしかないのだな」
零はつぶやくと、手のひらを差し出してその上に吹雪を舞い上がらせた。それはみるみる形を成していき、剣となった。持ち手から切っ先まで冷気を放つ氷でできている。
凪は口の端を上げて零の剣を見つめた。彼は海竜剣の柄を両手で持ち直して構えた。
「おもしれェ…初めて見たぜ────すぐに砕いてやる」
突然響いた金属音。零が凪に飛び掛かったのだ。零の氷の剣を凪が海竜剣で受け止める。
(思ったより重てェ…!)
凪が歯を食いしばって耐える。氷でできているはずなのにこんな勢いでぶつかってきても割れる気配がない。
押し返そうと一歩踏み出すと零が離れた。つんのめりそうになったのをこらえ、素早く構える。
刀を交える度に「今度こそ割れろ」と祈りながら気合いをこめて刀を振り下ろすのだが、やはりびくともしない。おまけにずっしりと重みが来る。実は鋼鉄よりも重い物でできているのでないかと疑いたくなる。
持ち主の表情も変わることなく、汗ひとつ浮かべていなかった。
「さっきの言葉はなんだったのだ?」
余裕の笑みを浮かべた零が話しかけてくる。凪は埒が明かないと考え、零から跳び離れた。正直自分の方が押されている。片膝をついて肩で息をし、額から流れた汗を拭った。
「るっせーよ…タイミング図ってんだよ」
心臓を一突きにしてやろうかと思っているのに、交わされるか剣に邪魔される。凪は舌打ちして頭をかいた。体力の消耗が今までより早い。やはり今日は”天”に戻るべきだったのか。判断を誤ったことに初めて後悔した。
「…どうだか」
つぶやいて剣を下ろし、零は凪から顔をそらした。
────今殺ってやる!
凪は素早く刀を片手で握り締め、低い姿勢から刀を突きつけたその時だった。
零が凪の行動を見てこちらも俊敏に踏み込み、刀を振り下ろした。袈裟懸けだ。
瞳孔まで開いた時には左の二の腕に瞬間的に冷たさを感じた。しかしその後、激しい熱を伴った痛みが走った。
「ぐっ…」
海竜剣が落ち、膝をつく。刀を握っていた手は今は、零に切られた傷口を押さえた。肩の付け根に近い場所がワイシャツごとざっくりと斬られている。血が流れだし、強く押さえても止まる気配がない。右手が赤く染まっていくだけだ。
零は凪の血がついた氷の剣を払い、剣と同じ冷たい目で凪を見下ろす。彼の剣は溶けて消えていく。
「これでおしまいだ、凪殿。先の戦闘で集中力も体力も削れたにも関わらず、不意をつけるとでも思ったのか?」
「ぐっ…」
「今までの戦闘で追ってきた傷、疲労、集中力のなさ。全て重なった今の貴様は安からない。どう見ても自己治癒力はな無いようだしな」
言い返そうと顔を上げると、零は冷たい瞳で口を動かしていた。
『気絶せよ』
これは────。凪が答えを出そうとした時にはもう、思考回路と瞳が強制的に閉じられてきていた。抗えない眠気にも似た感覚にが重くなってきた。
(ちくしょ…ここまでかよ…)
薄れゆく意識の中で凪は最後の抵抗で拳を握った。それはよく風紀委員にくらわせる拳骨とは比べ物にならないほど力が入っていない。
同時に脳裏に浮かんできたのは数多の思い出。
風紀委員とバカやったり、寮長にヘアピンを投げられたり。あの学園での出来事が鮮明に流れていく。
(これが、走馬灯ってヤツか…そっか…俺は死ぬのか…)
静かに覚悟した時に浮かんだのは、萌黄色の髪の娘。眉を下げて寂しそうな顔で、凪のことを静かに見つめていた。最後に見た表情。そうさせたのは自分のせいだ。
(ごめ…な…冷たくして…嫌い…ねェ────)
麓の他の表情を思い出しながら途切れる意識の中、凪は目を閉じてそれきり動かなくなってしまった。
放られたままの海竜剣は鈍く光っていたが、持ち主と同じようにやがて輝きを失った。
やっと来た────。
本当は今にも倒れて眠りこけたい。着替えも入浴も面倒くさいくらい。
しかし疲労に耐え、中堅の精霊たちは全て片付けた。彼らがいなくなると他の精霊が出てくることはなく、残すは零のみなのだろうと踏んだ凪はアジトを歩き進めることにした。
抜刀したままの海竜剣を手にし、傷がひりひりするのを我慢していた。”天”に戻って体を休めて体勢を立て直す手もあったが、ここまで来たら零を仕留めたい。ヤツも待ち構えているはずだ────。
「…来たか」
急に開けた場所に出て立ち止まると、その奥に玉座でくつろいでいる男と目が合った。
ピンと張りつめた空気。
凪は久しぶりに会う因縁の男と対峙した。この憎い顔を忘れたことはない。凪は顔をしかめた。
玉座に座っていた零は立ち上がり、凪に向かって3歩ほど近づいた。
「久方ぶりだ、凪殿。うれしくはないが」
「そっくりそのまま返してやるよ。俺だっておめーの顔は見たかねェ」
距離を取ってにらみ合う。零は口だけを動かして冷たい微笑を浮かべた。普段はただの優男にしか見えないが、こうして氷のような表情がヤツの本性なんだろう。
「奇遇だ、私もだ。貴様が仲間を引き連れてここまで来たがために、私は部下を総動員せなばならなくなった。だがもう彼らには戦う力はない。戦意喪失した者もいる」
「けっ。全部俺のせいかよ…元はと言えばおめーが下らねェことしてるのが悪ィんだろうが。もしおめーがおとなしく、ただの”天”の言霊を授かった雪の精霊でいたらこんなことにはならなかった。俺らがいがみ合うことも、アイツらがケガをすることも────雷がいなくなることも」
「ほぅ…雷殿を出すか。好きな女、な」
「うるせー。今は関係ねェ話だ。とりあえず出せや、精霊たちの結晶。そしたら俺はおめーに手を上げずにおとなしく帰ってやるから」
海竜剣を持ったのと反対の手を差し出した。零はアゴを持ち上げてせせら笑う。
「出す? 誰にも渡さぬ。私が簡単にうなずくとでも思ってるのかバカめ」
「おめーに言われたくねェわアホ」
アマテラスにバカ、アホ呼ばわりされている2人。それを彼らが知っているのかは謎。
凪は舌打ちをすると海竜剣の切っ先を零に向けた。好戦的な、らんらんと怪しげに光る黄金色の瞳で。
「…ふむ。やはり私たちにはこれしかないのだな」
零はつぶやくと、手のひらを差し出してその上に吹雪を舞い上がらせた。それはみるみる形を成していき、剣となった。持ち手から切っ先まで冷気を放つ氷でできている。
凪は口の端を上げて零の剣を見つめた。彼は海竜剣の柄を両手で持ち直して構えた。
「おもしれェ…初めて見たぜ────すぐに砕いてやる」
突然響いた金属音。零が凪に飛び掛かったのだ。零の氷の剣を凪が海竜剣で受け止める。
(思ったより重てェ…!)
凪が歯を食いしばって耐える。氷でできているはずなのにこんな勢いでぶつかってきても割れる気配がない。
押し返そうと一歩踏み出すと零が離れた。つんのめりそうになったのをこらえ、素早く構える。
刀を交える度に「今度こそ割れろ」と祈りながら気合いをこめて刀を振り下ろすのだが、やはりびくともしない。おまけにずっしりと重みが来る。実は鋼鉄よりも重い物でできているのでないかと疑いたくなる。
持ち主の表情も変わることなく、汗ひとつ浮かべていなかった。
「さっきの言葉はなんだったのだ?」
余裕の笑みを浮かべた零が話しかけてくる。凪は埒が明かないと考え、零から跳び離れた。正直自分の方が押されている。片膝をついて肩で息をし、額から流れた汗を拭った。
「るっせーよ…タイミング図ってんだよ」
心臓を一突きにしてやろうかと思っているのに、交わされるか剣に邪魔される。凪は舌打ちして頭をかいた。体力の消耗が今までより早い。やはり今日は”天”に戻るべきだったのか。判断を誤ったことに初めて後悔した。
「…どうだか」
つぶやいて剣を下ろし、零は凪から顔をそらした。
────今殺ってやる!
凪は素早く刀を片手で握り締め、低い姿勢から刀を突きつけたその時だった。
零が凪の行動を見てこちらも俊敏に踏み込み、刀を振り下ろした。袈裟懸けだ。
瞳孔まで開いた時には左の二の腕に瞬間的に冷たさを感じた。しかしその後、激しい熱を伴った痛みが走った。
「ぐっ…」
海竜剣が落ち、膝をつく。刀を握っていた手は今は、零に切られた傷口を押さえた。肩の付け根に近い場所がワイシャツごとざっくりと斬られている。血が流れだし、強く押さえても止まる気配がない。右手が赤く染まっていくだけだ。
零は凪の血がついた氷の剣を払い、剣と同じ冷たい目で凪を見下ろす。彼の剣は溶けて消えていく。
「これでおしまいだ、凪殿。先の戦闘で集中力も体力も削れたにも関わらず、不意をつけるとでも思ったのか?」
「ぐっ…」
「今までの戦闘で追ってきた傷、疲労、集中力のなさ。全て重なった今の貴様は安からない。どう見ても自己治癒力はな無いようだしな」
言い返そうと顔を上げると、零は冷たい瞳で口を動かしていた。
『気絶せよ』
これは────。凪が答えを出そうとした時にはもう、思考回路と瞳が強制的に閉じられてきていた。抗えない眠気にも似た感覚にが重くなってきた。
(ちくしょ…ここまでかよ…)
薄れゆく意識の中で凪は最後の抵抗で拳を握った。それはよく風紀委員にくらわせる拳骨とは比べ物にならないほど力が入っていない。
同時に脳裏に浮かんできたのは数多の思い出。
風紀委員とバカやったり、寮長にヘアピンを投げられたり。あの学園での出来事が鮮明に流れていく。
(これが、走馬灯ってヤツか…そっか…俺は死ぬのか…)
静かに覚悟した時に浮かんだのは、萌黄色の髪の娘。眉を下げて寂しそうな顔で、凪のことを静かに見つめていた。最後に見た表情。そうさせたのは自分のせいだ。
(ごめ…な…冷たくして…嫌い…ねェ────)
麓の他の表情を思い出しながら途切れる意識の中、凪は目を閉じてそれきり動かなくなってしまった。
放られたままの海竜剣は鈍く光っていたが、持ち主と同じようにやがて輝きを失った。
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