2 / 24
1章
2
しおりを挟む
天災地変のアジト。戦いの最前線から遠く離れた部屋に、麓はいた。
帰りが遅くなって寮に向かおうとした所を零にさらわれたのだ。
逃げようとして後ずさったが、彼は麓をやすやすと引き寄せて気絶させた。
豪奢な装飾を施された部屋の片隅で麓はうずくまり、うつらうつらとしていた。
来た時には制服だったが、零に勧められて仕方なく袴に着替えた。太陽は見えないので時間感覚はないが、ずっと制服でいるわけにもいかない。
袴はいつものとは違い、桜色の生地に金銀の花の刺繍が施されている。着物は白、赤い襦袢を重ねた。帯は黒で、銀色の打紐で締められている。
コンコンとドアをノックする音がした。麓が顔を上げるとドアが開き、零が顔をのぞかせた。麓をここへ連れ込んだ張本人だ。
「おはよう。我が君」
「おはようございます…」
麓は答えてからそっぽを向いた。
名前と正体を知らない間だったら零に心を閉ざすことなんてなかったのに。
天神地祇である麓とである零。2人は本来、敵同士。それにも関わらず零は麓を気に入っており、彼女を求めている。そばに置きたいと。
「素っ気無いではないか。以前ははにかんでくれただろう。私はもう一度、我が君のあの表情が見たい」
麓の前にひざまづいた零は、彼女の髪を一房すくってほほえんだ。今までは彼が近づくと寒くて仕方がなかったのに、言霊をかけられたことでそれはなくなった。
「…できません」
「なぜだ」
「私とあなたがここに一緒にいるなんて…笑い合えるわけがありません。おかしいでしょう…」
「おかしくなどない。私は我が君を敵だとは思っておらなんだ」
「…私はそうは思えません。凪さんたちを裏切ることはしたくありません」
麓は零の手からさりげなく離れ、足をくずして横座りになった。相変わらず顔を零と合わせないようにしている。
零は息をつくと、自分も姿勢を崩した。
「裏切り…か。その心配は必要ない」
その言葉に麓は不審な視線を向けた。零は口の端をわずかに上げ、不敵に笑んでみせた。
「奴らは私が片付ける。誰もいなくなれば裏切ったことにはなるまい。それに…先ほど、リタイアした者が出たようだ。あんな少人数で来るなど愚かなものだ…」
「どういう事っ!?」
聞き捨てならないことに麓はここに来て初めて大きな声を出した。心配そうに揺れた瞳。胸の前で組んだ手がわずかに震える。
「…誰が? どうしてですか?」
「話を聞いただけだがな。金髪の少年らしい。急に倒れたのだと」
「光君…!」
ついに恐れていたことが起きてしまった。麓の瞳は見開かれ、口元を袖で押さえている。
「…そやつは手から五芒星の塊を出しては投げつけていた。5人がかりでヤツに襲い掛かった時、それまでで1番大きな輝きを放った塊を出したとか────」
そこまで行って零は言葉を切り、何か思い出したような表情になった。
「…このような話がある。武器化身ではない能力を持つ者は自分や愛する者が命の危険にさらされると、己の中に眠る秘技が覚醒するとか。後に能力保持者が何らかの形で変化をきたす場合があり、もう二度と能力が使えなくなったり、見た目が変わったり。”禁断の妙技”と呼ぶらしい」
精霊の能力の新たな事実を知った。
光のことが余計に心配だ。しかし離れている今、何も変化がないようにと祈ることしかできない。
悔しくて唇をかみそうになったが、零の手が伸びて唇にふれられた。
何をされたのかよく分からずに彼のことをまじまじと見つめると、やわらかいほほえみを向けられた。
2回ほど唇を人差し指でなぞられる。その手つきに誘われて口が開きそうになったがこらえる。零との距離はいつの間にか近くなっていた。
「可愛らしい唇だ。やわらかくて、艶やかな桃色で花びらのようだ。そそられるではないか────」
零は麓に顔を近づけるとそっと額を合わせた。つややかな黒髪が麓の肩にこぼれてくる。彼女は何もできずに固まっていた。
零は自分の唇に、先ほどまで麓の唇にふれていた人差し指を当てた。その瞳は甘く、伏せられている。
麓は息を呑み、零のことを押し離して身を縮こませた。
「我が君?」
「あ…何してるんですか!?」
「関節キス…だろうか」
「さらっとそ、そそそそういうこと言わないでください!」
「そなたが何をしているのかと聞くから…」
「遠回ししてください!」
麓は緊張と一気に吐き出したことで息を切らして肩を上下させ、袖で必死に口元を拭っている。
霞や扇に額や頬にキスされたことならある。それは親愛から、のはず。事故ではあるが凪には指をくわえられたことも。唇にされたことはない。
ましてや身も心も許してはいけない相手に。麓の目には徐々に涙がたまっていく。
「泣いておるのか?」
「泣いてなんて…」
目元をこすった。赤く腫れてしまうのも気にせずに。
「なんで…こんなことをするんですか。私はあなたとこんな関係になった覚えはありません…」
弱弱しくなった声。麓は再びしゃがみこんで膝を抱え込んだ。
零はあごに手をかけ、麓のことを見つめた。
「そなたのことがほしいからな。これからそういう関係になっていけばよいだろう」
「嫌です!」
麓が男女として親密になりたいのは目の前の男ではない。キスをしたい相手だって。
「きっぱりと言い切るか…そのような女子は嫌いではない。ますますそなたに惹かれる…」
「お断りします。地上に帰して下さい」
「断る。我が君が強情になるのなら、私もそれ相応の態度を取らせてもらうぞ」
いたずらっぽく笑った零は楽しそうだ。逆手に取られて悔しい麓は、ムッと頬を膨らませる。これでは何を言っても埒が開かなさそうだ。
あの時聞いた寂し気な声。悲しさをこめた腕。かよわく見えた彼はどこにも見当たらない。
(少しでも同情しかけた自分がバカみたい…)
麓はため息をつくことしかできなかった。
帰りが遅くなって寮に向かおうとした所を零にさらわれたのだ。
逃げようとして後ずさったが、彼は麓をやすやすと引き寄せて気絶させた。
豪奢な装飾を施された部屋の片隅で麓はうずくまり、うつらうつらとしていた。
来た時には制服だったが、零に勧められて仕方なく袴に着替えた。太陽は見えないので時間感覚はないが、ずっと制服でいるわけにもいかない。
袴はいつものとは違い、桜色の生地に金銀の花の刺繍が施されている。着物は白、赤い襦袢を重ねた。帯は黒で、銀色の打紐で締められている。
コンコンとドアをノックする音がした。麓が顔を上げるとドアが開き、零が顔をのぞかせた。麓をここへ連れ込んだ張本人だ。
「おはよう。我が君」
「おはようございます…」
麓は答えてからそっぽを向いた。
名前と正体を知らない間だったら零に心を閉ざすことなんてなかったのに。
天神地祇である麓とである零。2人は本来、敵同士。それにも関わらず零は麓を気に入っており、彼女を求めている。そばに置きたいと。
「素っ気無いではないか。以前ははにかんでくれただろう。私はもう一度、我が君のあの表情が見たい」
麓の前にひざまづいた零は、彼女の髪を一房すくってほほえんだ。今までは彼が近づくと寒くて仕方がなかったのに、言霊をかけられたことでそれはなくなった。
「…できません」
「なぜだ」
「私とあなたがここに一緒にいるなんて…笑い合えるわけがありません。おかしいでしょう…」
「おかしくなどない。私は我が君を敵だとは思っておらなんだ」
「…私はそうは思えません。凪さんたちを裏切ることはしたくありません」
麓は零の手からさりげなく離れ、足をくずして横座りになった。相変わらず顔を零と合わせないようにしている。
零は息をつくと、自分も姿勢を崩した。
「裏切り…か。その心配は必要ない」
その言葉に麓は不審な視線を向けた。零は口の端をわずかに上げ、不敵に笑んでみせた。
「奴らは私が片付ける。誰もいなくなれば裏切ったことにはなるまい。それに…先ほど、リタイアした者が出たようだ。あんな少人数で来るなど愚かなものだ…」
「どういう事っ!?」
聞き捨てならないことに麓はここに来て初めて大きな声を出した。心配そうに揺れた瞳。胸の前で組んだ手がわずかに震える。
「…誰が? どうしてですか?」
「話を聞いただけだがな。金髪の少年らしい。急に倒れたのだと」
「光君…!」
ついに恐れていたことが起きてしまった。麓の瞳は見開かれ、口元を袖で押さえている。
「…そやつは手から五芒星の塊を出しては投げつけていた。5人がかりでヤツに襲い掛かった時、それまでで1番大きな輝きを放った塊を出したとか────」
そこまで行って零は言葉を切り、何か思い出したような表情になった。
「…このような話がある。武器化身ではない能力を持つ者は自分や愛する者が命の危険にさらされると、己の中に眠る秘技が覚醒するとか。後に能力保持者が何らかの形で変化をきたす場合があり、もう二度と能力が使えなくなったり、見た目が変わったり。”禁断の妙技”と呼ぶらしい」
精霊の能力の新たな事実を知った。
光のことが余計に心配だ。しかし離れている今、何も変化がないようにと祈ることしかできない。
悔しくて唇をかみそうになったが、零の手が伸びて唇にふれられた。
何をされたのかよく分からずに彼のことをまじまじと見つめると、やわらかいほほえみを向けられた。
2回ほど唇を人差し指でなぞられる。その手つきに誘われて口が開きそうになったがこらえる。零との距離はいつの間にか近くなっていた。
「可愛らしい唇だ。やわらかくて、艶やかな桃色で花びらのようだ。そそられるではないか────」
零は麓に顔を近づけるとそっと額を合わせた。つややかな黒髪が麓の肩にこぼれてくる。彼女は何もできずに固まっていた。
零は自分の唇に、先ほどまで麓の唇にふれていた人差し指を当てた。その瞳は甘く、伏せられている。
麓は息を呑み、零のことを押し離して身を縮こませた。
「我が君?」
「あ…何してるんですか!?」
「関節キス…だろうか」
「さらっとそ、そそそそういうこと言わないでください!」
「そなたが何をしているのかと聞くから…」
「遠回ししてください!」
麓は緊張と一気に吐き出したことで息を切らして肩を上下させ、袖で必死に口元を拭っている。
霞や扇に額や頬にキスされたことならある。それは親愛から、のはず。事故ではあるが凪には指をくわえられたことも。唇にされたことはない。
ましてや身も心も許してはいけない相手に。麓の目には徐々に涙がたまっていく。
「泣いておるのか?」
「泣いてなんて…」
目元をこすった。赤く腫れてしまうのも気にせずに。
「なんで…こんなことをするんですか。私はあなたとこんな関係になった覚えはありません…」
弱弱しくなった声。麓は再びしゃがみこんで膝を抱え込んだ。
零はあごに手をかけ、麓のことを見つめた。
「そなたのことがほしいからな。これからそういう関係になっていけばよいだろう」
「嫌です!」
麓が男女として親密になりたいのは目の前の男ではない。キスをしたい相手だって。
「きっぱりと言い切るか…そのような女子は嫌いではない。ますますそなたに惹かれる…」
「お断りします。地上に帰して下さい」
「断る。我が君が強情になるのなら、私もそれ相応の態度を取らせてもらうぞ」
いたずらっぽく笑った零は楽しそうだ。逆手に取られて悔しい麓は、ムッと頬を膨らませる。これでは何を言っても埒が開かなさそうだ。
あの時聞いた寂し気な声。悲しさをこめた腕。かよわく見えた彼はどこにも見当たらない。
(少しでも同情しかけた自分がバカみたい…)
麓はため息をつくことしかできなかった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
[R18] 18禁ゲームの世界に御招待! 王子とヤらなきゃゲームが進まない。そんなのお断りします。
ピエール
恋愛
R18 がっつりエロです。ご注意下さい
えーー!!
転生したら、いきなり推しと リアルセッ○スの真っ最中!!!
ここって、もしかしたら???
18禁PCゲーム ラブキャッスル[愛と欲望の宮廷]の世界
私って悪役令嬢のカトリーヌに転生しちゃってるの???
カトリーヌって•••、あの、淫乱の•••
マズイ、非常にマズイ、貞操の危機だ!!!
私、確か、彼氏とドライブ中に事故に遭い••••
異世界転生って事は、絶対彼氏も転生しているはず!
だって[ラノベ]ではそれがお約束!
彼を探して、一緒に こんな世界から逃げ出してやる!
カトリーヌの身体に、男達のイヤラシイ魔の手が伸びる。
果たして、主人公は、数々のエロイベントを乗り切る事が出来るのか?
ゲームはエンディングを迎える事が出来るのか?
そして、彼氏の行方は•••
攻略対象別 オムニバスエロです。
完結しておりますので最後までお楽しみいただけます。
(攻略対象に変態もいます。ご注意下さい)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる