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眼光紙背に徹して
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――タロットカード。一般的に知られた大アルカナではなく、トランプと紐づくともされる小アルカナ。
内、聖杯のスートのエース。
その正位置が意味するところは、「満ち足りる」こと。
――ペリカンはヨーロッパにおいて、自身の胸を傷つけ、流れた血で子を養うとされる。
そのため、自己犠牲と慈愛の象徴とされ、紋章上に配置される多岐に渡る図像――チャージの中には、胸を傷つけ子を養うペリカンという「慈愛のペリカン」と呼ばれる図像も存在する。
そして、母乳は母体の血を濾過して作られる。実質血液と同じだ。
その意味で言えば、ペリカンの図像と母乳を与える母の像は、とても近しいものと考えられる。
――心理学や精神分析学において、人は常に「生きていたい」という本能的な欲望と、「死にたい」という本能的な欲望を無意識に抱いているとされる。
これを、エロス、タナトスと呼び、死の欲動が上回った場合に人は死ぬという。
これを一部精神分析学においては、生の欲動とは「己に欠けた何かを得ようとする=欲望」の対象を次から次へと乗り換えていく事であり、これが完全に満たされてしまった場合、すなわち「それ以上何かを得る気を持たない」状態こそが死と結びつくと唱えられた。
同時に「己に欠けた何かを得ようとする=欲望」を満たそうとする本能的な欲望こそが死の欲動であるともされた。
――ブルガリアには「吸血鬼の花嫁」と題される話が複数伝わっている。
他の多くの民話と同様に、この話は複数のバリエーションがあるが、メインとなるのは若い娘と、その娘の恋人の吸血鬼である。
結末にもバリエーションがある。
一つに、恋人を吸血鬼と知りながら、恋人の問いに嘘をつき続けた娘は、周りの人間と己が命を失う。
一つに、恋人を吸血鬼と知るも、娘を愛した吸血鬼は身を呈して他の吸血鬼から娘を守る。
一つに、恋人を吸血鬼と知り、吸血鬼から解放する術を知った娘は、勇敢にも恋人を吸血鬼から救う。
いずれにせよ、愛こそが物語の展開の契機である。
何もそれは吸血鬼に限らない。
たとえば、「美女と野獣」、「鷹フィニストの羽根」、グリム童話の「紅薔薇と雪白」、「歌って跳ねるヒバリ」、「マレーン姫」など枚挙には暇がない。
ワーグナーのオペラ、「さまよえるオランダ人」に施された、その呪いを解く「乙女の愛」という伝説の改変もまた、多くの受け手は自然と受け入れた。
多くの民話で、伝説で、物語で、それは、或いはその証として行う行為は、あらゆる艱難辛苦を乗り越え、呪いを解く契機であり、奇跡をも産む。
その愛は、恋愛に限らず、「鵞鳥白鳥」、「七頭の竜」、「金の鳥」や「六羽のカラス」、「森の中の三人の小人」を見れば、友愛や兄弟愛、隣人愛も含む。
特に、おにいちゃんが生まれたヨーロッパでは。
きっとそれは、宗教的な影響も大きいことは明確だ。
だって、ルサールカの伝承のように、唯一神教下で許されぬ存在が愛故に己が身を滅ぼしたりするのだから。
――だから、おにいちゃんは、きっと定型然として繰り返される、愛に賭けたんだ。
内、聖杯のスートのエース。
その正位置が意味するところは、「満ち足りる」こと。
――ペリカンはヨーロッパにおいて、自身の胸を傷つけ、流れた血で子を養うとされる。
そのため、自己犠牲と慈愛の象徴とされ、紋章上に配置される多岐に渡る図像――チャージの中には、胸を傷つけ子を養うペリカンという「慈愛のペリカン」と呼ばれる図像も存在する。
そして、母乳は母体の血を濾過して作られる。実質血液と同じだ。
その意味で言えば、ペリカンの図像と母乳を与える母の像は、とても近しいものと考えられる。
――心理学や精神分析学において、人は常に「生きていたい」という本能的な欲望と、「死にたい」という本能的な欲望を無意識に抱いているとされる。
これを、エロス、タナトスと呼び、死の欲動が上回った場合に人は死ぬという。
これを一部精神分析学においては、生の欲動とは「己に欠けた何かを得ようとする=欲望」の対象を次から次へと乗り換えていく事であり、これが完全に満たされてしまった場合、すなわち「それ以上何かを得る気を持たない」状態こそが死と結びつくと唱えられた。
同時に「己に欠けた何かを得ようとする=欲望」を満たそうとする本能的な欲望こそが死の欲動であるともされた。
――ブルガリアには「吸血鬼の花嫁」と題される話が複数伝わっている。
他の多くの民話と同様に、この話は複数のバリエーションがあるが、メインとなるのは若い娘と、その娘の恋人の吸血鬼である。
結末にもバリエーションがある。
一つに、恋人を吸血鬼と知りながら、恋人の問いに嘘をつき続けた娘は、周りの人間と己が命を失う。
一つに、恋人を吸血鬼と知るも、娘を愛した吸血鬼は身を呈して他の吸血鬼から娘を守る。
一つに、恋人を吸血鬼と知り、吸血鬼から解放する術を知った娘は、勇敢にも恋人を吸血鬼から救う。
いずれにせよ、愛こそが物語の展開の契機である。
何もそれは吸血鬼に限らない。
たとえば、「美女と野獣」、「鷹フィニストの羽根」、グリム童話の「紅薔薇と雪白」、「歌って跳ねるヒバリ」、「マレーン姫」など枚挙には暇がない。
ワーグナーのオペラ、「さまよえるオランダ人」に施された、その呪いを解く「乙女の愛」という伝説の改変もまた、多くの受け手は自然と受け入れた。
多くの民話で、伝説で、物語で、それは、或いはその証として行う行為は、あらゆる艱難辛苦を乗り越え、呪いを解く契機であり、奇跡をも産む。
その愛は、恋愛に限らず、「鵞鳥白鳥」、「七頭の竜」、「金の鳥」や「六羽のカラス」、「森の中の三人の小人」を見れば、友愛や兄弟愛、隣人愛も含む。
特に、おにいちゃんが生まれたヨーロッパでは。
きっとそれは、宗教的な影響も大きいことは明確だ。
だって、ルサールカの伝承のように、唯一神教下で許されぬ存在が愛故に己が身を滅ぼしたりするのだから。
――だから、おにいちゃんは、きっと定型然として繰り返される、愛に賭けたんだ。
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