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6-2 竜馬と松浦の姫 side B
6 ハリモグラもありかもしれない
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『お待たせ』
一頻り、がさがさという音がして止むと同時に、いつも通りの紀美の声がそう言った。
「なんかいいのある?」
『そうだねえ……もともと同じタイミングで二首が歌われてる歌だから、もう片方を使うのが無難だけど……ロビン、キミにはどう見えてる?』
何が、ということなど、指定されなくてもロビンには明白だ。
小夜に纏わりつくぞろりとした、ロビンには不吉にしか見えないそれは、紛うことなく――
「蛇。古い、山の、あと水の匂いもする」
『うーん、本歌が太宰府と関係あるし、旅人の他の歌も考えると、地理的には松浦や鏡山の辺りの影響かなあ。松浦佐用姫というよりは、苧環型の古形の弟日媛子だ』
この辺り、話が早いのはとても助かるものである。
『『肥前国風土記』では、詳細は語られてないけど、状況証拠的には、蛇に魅入られて入水した、と取れる内容になっているし、早急な対応はしたいところだね』
「歌で断れば、問題ナイ、と思うんだけど」
元々の習俗的に考えて、そうなる、とロビンは踏んだが、んー、という唸り声が電話の向こうからした。
『どうかな、時間が経ちすぎてる。昔から当意即妙を尊ぶ節はあるから……でも返歌しないよりは絶対にマシか……』
ぺらり、とページが翻る音が聞こえる。
「センセイ」
『んー?』
声の調子からして、考え込み半分の生返事ではあるが、ロビンとしては刺すべき釘は早めに刺しておかねばならない。
「変な保険は打たないでね」
『ん』
やはり生返事だ。後でもう一回言おう。
こういう釘は何本刺しても良い。むしろ足りないまである。
ハリネズミやヤマアラシにしたって足りない。
長年の付き合いでロビンは心得ているし、それでもダメ元なのである。タチが悪い。
『まあ、でも、マシかなあ……』
ぼそり、と電話の向こうで紀美が呟いた。
「ナニが?」
『本来の弟日媛子の話で出る〈篠原の 弟姫の子を さ一夜も 率寝てむしだや 家に下さむ〉より、断る余地がある歌だから……まあ、『平家物語』の緒環に見られるように、神代から離れれば離れるほど、苧環型は、神側にとって穏当じゃない。そもそも、神とすら見做されない場合もある。これを神婚と見做せるのはごく一部や多少の拡大解釈によるものであって、結局のところ異類との婚姻の中の、さらに蛇に対象を絞った上での、一つのステレオタイプ。それが蛇婿譚の苧環型だ。時間の経過に連れて人の姿を取って訪う蛇という表象の権威が目減りした、と言ってもいい』
「今回のも、それと同じように蛇でしかないと考えればイイ?」
しかし、ロビンのその言葉には、歯切れの悪い唸りが返ってきた。
『んー、事前情報の話からすると、既に小夜ちゃん、萎縮してるでしょう? だから、彼女にそうさせる事自体が難しいんじゃないかな』
「わかった、それはそうだね……あと名前なんだけど、セレナ、らしいよ、読み」
ロビンの訂正に、考え半分で会話してるはずの紀美も弘と同じように、あー、小夜曲と、少しばかり緊張感に欠けた声を漏らした。
というか、そんなに簡単に思い当たる知識だろうか?
ロビンには、日本人の普通というものの範囲はよくわからない。
『うーん、ルール的に向こうも反論の一回や二回はするって想定して……そうなると、使ってきそうなのは……そしたら、こう……』
ぴらり、とまたページを繰る音がした。
『……蟹がなー、いたらなー、特に飼ってたら、ラクなんだけど、飼ってたら既に決着ついてるだろうからなー』
「……カニ? カニって、カニ?」
『そー、沢蟹』
日本固有種とされる蟹の名前を突然出されて、ロビンはしばし思考を停止した。
一頻り、がさがさという音がして止むと同時に、いつも通りの紀美の声がそう言った。
「なんかいいのある?」
『そうだねえ……もともと同じタイミングで二首が歌われてる歌だから、もう片方を使うのが無難だけど……ロビン、キミにはどう見えてる?』
何が、ということなど、指定されなくてもロビンには明白だ。
小夜に纏わりつくぞろりとした、ロビンには不吉にしか見えないそれは、紛うことなく――
「蛇。古い、山の、あと水の匂いもする」
『うーん、本歌が太宰府と関係あるし、旅人の他の歌も考えると、地理的には松浦や鏡山の辺りの影響かなあ。松浦佐用姫というよりは、苧環型の古形の弟日媛子だ』
この辺り、話が早いのはとても助かるものである。
『『肥前国風土記』では、詳細は語られてないけど、状況証拠的には、蛇に魅入られて入水した、と取れる内容になっているし、早急な対応はしたいところだね』
「歌で断れば、問題ナイ、と思うんだけど」
元々の習俗的に考えて、そうなる、とロビンは踏んだが、んー、という唸り声が電話の向こうからした。
『どうかな、時間が経ちすぎてる。昔から当意即妙を尊ぶ節はあるから……でも返歌しないよりは絶対にマシか……』
ぺらり、とページが翻る音が聞こえる。
「センセイ」
『んー?』
声の調子からして、考え込み半分の生返事ではあるが、ロビンとしては刺すべき釘は早めに刺しておかねばならない。
「変な保険は打たないでね」
『ん』
やはり生返事だ。後でもう一回言おう。
こういう釘は何本刺しても良い。むしろ足りないまである。
ハリネズミやヤマアラシにしたって足りない。
長年の付き合いでロビンは心得ているし、それでもダメ元なのである。タチが悪い。
『まあ、でも、マシかなあ……』
ぼそり、と電話の向こうで紀美が呟いた。
「ナニが?」
『本来の弟日媛子の話で出る〈篠原の 弟姫の子を さ一夜も 率寝てむしだや 家に下さむ〉より、断る余地がある歌だから……まあ、『平家物語』の緒環に見られるように、神代から離れれば離れるほど、苧環型は、神側にとって穏当じゃない。そもそも、神とすら見做されない場合もある。これを神婚と見做せるのはごく一部や多少の拡大解釈によるものであって、結局のところ異類との婚姻の中の、さらに蛇に対象を絞った上での、一つのステレオタイプ。それが蛇婿譚の苧環型だ。時間の経過に連れて人の姿を取って訪う蛇という表象の権威が目減りした、と言ってもいい』
「今回のも、それと同じように蛇でしかないと考えればイイ?」
しかし、ロビンのその言葉には、歯切れの悪い唸りが返ってきた。
『んー、事前情報の話からすると、既に小夜ちゃん、萎縮してるでしょう? だから、彼女にそうさせる事自体が難しいんじゃないかな』
「わかった、それはそうだね……あと名前なんだけど、セレナ、らしいよ、読み」
ロビンの訂正に、考え半分で会話してるはずの紀美も弘と同じように、あー、小夜曲と、少しばかり緊張感に欠けた声を漏らした。
というか、そんなに簡単に思い当たる知識だろうか?
ロビンには、日本人の普通というものの範囲はよくわからない。
『うーん、ルール的に向こうも反論の一回や二回はするって想定して……そうなると、使ってきそうなのは……そしたら、こう……』
ぴらり、とまたページを繰る音がした。
『……蟹がなー、いたらなー、特に飼ってたら、ラクなんだけど、飼ってたら既に決着ついてるだろうからなー』
「……カニ? カニって、カニ?」
『そー、沢蟹』
日本固有種とされる蟹の名前を突然出されて、ロビンはしばし思考を停止した。
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