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昔話2 弘の話
断章 鷹視と狼歩の語らい 3
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「言った通りだよ。ボクは十二年前にセンセイに助けられて、目がこうなった」
その目が、全てを見透かすほどに良い目であるのに、直視してはならないものに対してしっかりと免疫があるのは不可解、と評されていることを弘は知っている。
「まあ、知らない人から見たら、そりゃあ不可解だろうね。ボクの目は祝福だから害意を判別できても、害自体は通さない……ボクじゃなくて、センセイが対価を払ってそうしてくれた」
「……葛城さんが?」
なるほど、そういう意味で、この青年は弘の同類、なのかもしれない。
あるいは先輩、と言うべきか。
「もともとは呪いでも祝福でもなかったんだよ、これは。センセイは善き隣人達……妖精に交渉をふっかけて、祝福に変えさせて、対価として大切なものを差し出して、呪われた」
ロビンの鋭い目つきが更に鋭くなる。
そこにある怒りは己の不甲斐なさに苛立っているのか、おそらくはあの調子で軽々しく対価を払った紀美に対してなのか。
両方が入り混じっているように弘は感じた。
「呪いの方は祝福的な意味合いもないわけじゃない。というか、センセイの事を考えれば、デメリットが不確定だけど、メリットの方も大きいかもしれない。でも」
研ぎ澄まされた弘の耳が、ロビン自身の爪がその掌を削る、かり、という音を拾う。
「あの人の大切なものを、ボクが奪ったのに違いはない……センセイは、簡単に手を伸ばして自分のものを取り落とす、損な人だから」
「……変人ではあると思いますけど、善人でもある、というのはわかります」
少なくとも始終自分に気を遣っている事は見て取れた。
最初の遠慮のなさは腹を割って話すために、あえて取ったものだと、弘は理解している。
まあ、最初はちょっと劇薬地味ていたけど、ロビンに見てもらった時とか、最後の後押しとか、気遣いの塊だった。
ただ、美形の顔が突然目の前至近距離にあるのは、乙女の心情としては率直に言って、心臓にとてもとても悪い。
「うん、センセイはヘンだけど、腹立たしいほどとても優しい。それはそう」
どこか嬉しげというか、おもちゃを自慢する子供みたいに得意気な笑顔をほんのりと浮かべて、ロビンはそう言った。
ああ、どうやら、この男は単純にあの変人を慕うという感情以上の、何か重たいもの――たとえば、償いとか、罪滅ぼしとかそういうものを引き摺って日本に来たのだ、と弘は悟った。
「あの左目、少なくとも現世は見えてないよ。ボクを助けた時に、呪いの一環で視力を奪われたから」
「それは……」
「でもセンセイは、ボクと再会するまで、それを隠し通した」
気に入らないと言わんばかりに眉間にシワが寄り、凶悪な目つきが最高に凶悪になる。
が、なんというか漂う雰囲気から、これは拗ねているんだな、と弘は感じ取る。
「事の中心人物だったのに、そんな事されて、気にするなって方が難しい。そうだろ?」
「まあ、そうでしょうねえ」
ふと、何故自分はこんな愚痴まがいの告白に突き合わされてるんだ、という感想が脳裏を過る。
正直、弘は男所帯で育ったのもあってか、丁寧に振る舞えれども、お淑やかというものとはとんと縁がないので、内心では言いたい放題するタイプである。
ちらりとこちらを見たロビンは、ため息をついてとりあえずその凶相をやめ、眉間を指先でぐりぐりと均している。
見透かされたかもしれない、が、そう思ったことにこの英国人は文句を言わなかった。
「まあ、そんな経緯があったので、ボクとしては、センセイがボクを助けて得たものが無事に役立ったのを見て、思うところが軽くなったわけ。だから、キミには共犯者として生きててもらわなきゃ困る」
さらりとロビンはそう言って、刺すような視線を弘に向けてくる。
「キミが生きてることで、ボクは救われる。センセイをあんな風にして、悪い事しかなかったわけじゃない証になるから」
「……なんですか、それ」
余りに独り善がりで、余りに質が悪い。
顰め面にならなかったことを褒めてほしいぐらいだ。
弘は、今までの人生、少なくとも行動において、自分は常に自身が正しいと思う道を選択してきた自負はある。
だから、そんな事を言われたら、最悪の場合に取るべき選択が、消滅したようなものだった。
くつり、とその顔にやたらとよく似合う露骨に悪い笑みを浮かべてロビンは目を細めた。
「そうだね、質が悪いし、独り善がりだよ。たぶん、キミが生きることを望んでいる人間の中でも、最も利己的で、最も質が悪い、最悪の人間だよ」
ほんの少しの面白がるような声音と、露悪的な表情に対しては真っ直ぐすぎる物言いとを聞いて、弘は思う。
なるほど、この男もまた、あの変人と同じなのか。或いは、あの変人のためにそうした体を取っているのか。
嘘を言ってるようにも見えないが、弘に自殺は絶対に選ばせない、と結論ありきで組み立てたのだろう。
「だから、キミはボクと同じで、利己的に全部ボクのせいにすればいい」
それができるほど、この人も、変だけど、優しい。
実際のところ、ロビンは単に眼鏡などでは騙しきれない程度に目つきが悪いのだが、それはあくまで目つきが悪いだけであって、その眼差し自体はそう不快なものではないし、その声音の中心は柔らかく優しい。
けれど、その凶眼のせいで、作った露悪的な表情がやたら真に迫っている顔を見て、弘は堪えきれずに、とても久しぶりに心の底から噴き出したのだった。
その後、やって来た父親に弟子入りの話をされ、承諾するも、まず勝手に決めるな、といつも通りに叱り飛ばして一発入れたのは、乙女の秘密である。
その目が、全てを見透かすほどに良い目であるのに、直視してはならないものに対してしっかりと免疫があるのは不可解、と評されていることを弘は知っている。
「まあ、知らない人から見たら、そりゃあ不可解だろうね。ボクの目は祝福だから害意を判別できても、害自体は通さない……ボクじゃなくて、センセイが対価を払ってそうしてくれた」
「……葛城さんが?」
なるほど、そういう意味で、この青年は弘の同類、なのかもしれない。
あるいは先輩、と言うべきか。
「もともとは呪いでも祝福でもなかったんだよ、これは。センセイは善き隣人達……妖精に交渉をふっかけて、祝福に変えさせて、対価として大切なものを差し出して、呪われた」
ロビンの鋭い目つきが更に鋭くなる。
そこにある怒りは己の不甲斐なさに苛立っているのか、おそらくはあの調子で軽々しく対価を払った紀美に対してなのか。
両方が入り混じっているように弘は感じた。
「呪いの方は祝福的な意味合いもないわけじゃない。というか、センセイの事を考えれば、デメリットが不確定だけど、メリットの方も大きいかもしれない。でも」
研ぎ澄まされた弘の耳が、ロビン自身の爪がその掌を削る、かり、という音を拾う。
「あの人の大切なものを、ボクが奪ったのに違いはない……センセイは、簡単に手を伸ばして自分のものを取り落とす、損な人だから」
「……変人ではあると思いますけど、善人でもある、というのはわかります」
少なくとも始終自分に気を遣っている事は見て取れた。
最初の遠慮のなさは腹を割って話すために、あえて取ったものだと、弘は理解している。
まあ、最初はちょっと劇薬地味ていたけど、ロビンに見てもらった時とか、最後の後押しとか、気遣いの塊だった。
ただ、美形の顔が突然目の前至近距離にあるのは、乙女の心情としては率直に言って、心臓にとてもとても悪い。
「うん、センセイはヘンだけど、腹立たしいほどとても優しい。それはそう」
どこか嬉しげというか、おもちゃを自慢する子供みたいに得意気な笑顔をほんのりと浮かべて、ロビンはそう言った。
ああ、どうやら、この男は単純にあの変人を慕うという感情以上の、何か重たいもの――たとえば、償いとか、罪滅ぼしとかそういうものを引き摺って日本に来たのだ、と弘は悟った。
「あの左目、少なくとも現世は見えてないよ。ボクを助けた時に、呪いの一環で視力を奪われたから」
「それは……」
「でもセンセイは、ボクと再会するまで、それを隠し通した」
気に入らないと言わんばかりに眉間にシワが寄り、凶悪な目つきが最高に凶悪になる。
が、なんというか漂う雰囲気から、これは拗ねているんだな、と弘は感じ取る。
「事の中心人物だったのに、そんな事されて、気にするなって方が難しい。そうだろ?」
「まあ、そうでしょうねえ」
ふと、何故自分はこんな愚痴まがいの告白に突き合わされてるんだ、という感想が脳裏を過る。
正直、弘は男所帯で育ったのもあってか、丁寧に振る舞えれども、お淑やかというものとはとんと縁がないので、内心では言いたい放題するタイプである。
ちらりとこちらを見たロビンは、ため息をついてとりあえずその凶相をやめ、眉間を指先でぐりぐりと均している。
見透かされたかもしれない、が、そう思ったことにこの英国人は文句を言わなかった。
「まあ、そんな経緯があったので、ボクとしては、センセイがボクを助けて得たものが無事に役立ったのを見て、思うところが軽くなったわけ。だから、キミには共犯者として生きててもらわなきゃ困る」
さらりとロビンはそう言って、刺すような視線を弘に向けてくる。
「キミが生きてることで、ボクは救われる。センセイをあんな風にして、悪い事しかなかったわけじゃない証になるから」
「……なんですか、それ」
余りに独り善がりで、余りに質が悪い。
顰め面にならなかったことを褒めてほしいぐらいだ。
弘は、今までの人生、少なくとも行動において、自分は常に自身が正しいと思う道を選択してきた自負はある。
だから、そんな事を言われたら、最悪の場合に取るべき選択が、消滅したようなものだった。
くつり、とその顔にやたらとよく似合う露骨に悪い笑みを浮かべてロビンは目を細めた。
「そうだね、質が悪いし、独り善がりだよ。たぶん、キミが生きることを望んでいる人間の中でも、最も利己的で、最も質が悪い、最悪の人間だよ」
ほんの少しの面白がるような声音と、露悪的な表情に対しては真っ直ぐすぎる物言いとを聞いて、弘は思う。
なるほど、この男もまた、あの変人と同じなのか。或いは、あの変人のためにそうした体を取っているのか。
嘘を言ってるようにも見えないが、弘に自殺は絶対に選ばせない、と結論ありきで組み立てたのだろう。
「だから、キミはボクと同じで、利己的に全部ボクのせいにすればいい」
それができるほど、この人も、変だけど、優しい。
実際のところ、ロビンは単に眼鏡などでは騙しきれない程度に目つきが悪いのだが、それはあくまで目つきが悪いだけであって、その眼差し自体はそう不快なものではないし、その声音の中心は柔らかく優しい。
けれど、その凶眼のせいで、作った露悪的な表情がやたら真に迫っている顔を見て、弘は堪えきれずに、とても久しぶりに心の底から噴き出したのだった。
その後、やって来た父親に弟子入りの話をされ、承諾するも、まず勝手に決めるな、といつも通りに叱り飛ばして一発入れたのは、乙女の秘密である。
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