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昔話2 弘の話
ποτνια θηρων 8
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「地母神という神格は殊、他の神格よりも民衆にとって重要だ。今日の糧は異界から齎される見えない豊穣という権能で支えられ、生死を司るために明日の我が身の行方もまた、彼女の手の内にある。だから、キリスト教が広まっても、その相容れない世界観ですら否定しきれない存在として民間の伝承に残り続けた……とはいえ、いい側面ほどキリスト教に吸収され、悪い側面ほど地母神に押し付けられた。まあいい側面はカトリックのマリア信仰辺りが吸収したり、無理矢理に天使にしてみたりしたわけだ、結局三大天使以外堕天したに落ち着いたけど。でも悪い側面を押し付けられたが故に、怪異にこそ恐ろしき母としての側面が残る。その一つが野生の猟団」
う、え、と小さく口にする弘に構わず続ける。
筋道が見えた今、ロビンも止める事はない。
「ホレおばさんやペルヒタが洗礼前に亡くなった子供を率いるのは、彼女が地母神の系譜であるからだ。ガブリエルの猟犬は地母神をキリスト教の天使、それも死の天使の側面があり、三大天使の一角をも担うガブリエルに置き換えたに過ぎない。野生の猟団が魔女の騎行、ガンドライドと呼ばれることがあるのも地母神信仰とキリスト教の二律背反上にあるからだ。しかし、そもそも恐ろしき母の本質としては、獣を従えるのは表象として。あくまでその獣はその力の荒々しさの表現でしかない」
さて、とそこで一呼吸を置く。
「弘ちゃん、伊邪那岐の黄泉下り、わかる?」
「え、それは、まあ、はい。流石に、それぐらいは知ってないと……」
意外、と言わんばかりに目を見開いて、ちょっとだけ戸惑いながらも、弘はそう答えた。
まあ、知ってるだろうと思ったから振ったんだけどさ。
「なら、八雷神も、泉津醜女もわかるね?」
「亡くなった伊邪那美命の身体に陣取っていた雷神と、その様を伊邪那岐命に見られて怒った伊邪那美命がけしかけた黄泉国の女達、ですよね」
陣取る、けしかけた、という表現に、うんまあそうね、間違ってはないね、と思う。
言葉の選択の端々で思うけど、やっぱり、根っこは逞しいよな、この子。
「うん、それも結局はそういうことだ」
「はい?」
「……地母神の死の側面、恐ろしき母としての荒々しい力の表象ってことでしょ、センセイ」
ロビンが僕の言いたいことを見事に補足してくれる。
「……確かに、伊邪那美命は、日本神話において多くの神を生んだ神ですが」
「豊穣に紐づかないことであれば、それはあくまで神話の構成上における話であって、そのエピソードから読み取れる神格に対してはササイな話……ってセンセイは考えてる」
「そうだね。記紀は共に歴史として編纂された神話であるからして、可能な限り、歴史として整合性が取れるようにエピソードの選別がされている。だから、ギリシャ神話のような複数エピソードの比較による神格の考察というのが難しくて、その名前からの考察が多いわけだけど。とはいえ、『日本書紀』はどれを本筋として取ってるか、に揺れが生じてるからそこで多少の比較はできるんだけどね」
それでも、諸説を諸説のまま伝えるギリシャ神話と比較すれば雀の涙である。
『風土記』が相当量残ってれば、この辺りは捗ったんだろうけど、ほとんど散逸してるからなあ。
「それでも、伊邪那美が土地を生み、多くの神々を生み、その果てに死を司る荒々しき黄泉津大神となった話はそこに記述されているし、そこから読み取れるその神格は典型的な地母神の像でしかなく、かつての信仰の実態が伝わっていない以上、読み取れるものを基盤とする他ない。そもそも雷というものは、世界的に荒ぶる神の力の表象だし」
だろ? と首を傾げれば、なるほど? と語尾に明らかにクエスチョンマークをつけて、純粋なココアの粉を口に含んだような顔で、弘も首を傾げた。
う、え、と小さく口にする弘に構わず続ける。
筋道が見えた今、ロビンも止める事はない。
「ホレおばさんやペルヒタが洗礼前に亡くなった子供を率いるのは、彼女が地母神の系譜であるからだ。ガブリエルの猟犬は地母神をキリスト教の天使、それも死の天使の側面があり、三大天使の一角をも担うガブリエルに置き換えたに過ぎない。野生の猟団が魔女の騎行、ガンドライドと呼ばれることがあるのも地母神信仰とキリスト教の二律背反上にあるからだ。しかし、そもそも恐ろしき母の本質としては、獣を従えるのは表象として。あくまでその獣はその力の荒々しさの表現でしかない」
さて、とそこで一呼吸を置く。
「弘ちゃん、伊邪那岐の黄泉下り、わかる?」
「え、それは、まあ、はい。流石に、それぐらいは知ってないと……」
意外、と言わんばかりに目を見開いて、ちょっとだけ戸惑いながらも、弘はそう答えた。
まあ、知ってるだろうと思ったから振ったんだけどさ。
「なら、八雷神も、泉津醜女もわかるね?」
「亡くなった伊邪那美命の身体に陣取っていた雷神と、その様を伊邪那岐命に見られて怒った伊邪那美命がけしかけた黄泉国の女達、ですよね」
陣取る、けしかけた、という表現に、うんまあそうね、間違ってはないね、と思う。
言葉の選択の端々で思うけど、やっぱり、根っこは逞しいよな、この子。
「うん、それも結局はそういうことだ」
「はい?」
「……地母神の死の側面、恐ろしき母としての荒々しい力の表象ってことでしょ、センセイ」
ロビンが僕の言いたいことを見事に補足してくれる。
「……確かに、伊邪那美命は、日本神話において多くの神を生んだ神ですが」
「豊穣に紐づかないことであれば、それはあくまで神話の構成上における話であって、そのエピソードから読み取れる神格に対してはササイな話……ってセンセイは考えてる」
「そうだね。記紀は共に歴史として編纂された神話であるからして、可能な限り、歴史として整合性が取れるようにエピソードの選別がされている。だから、ギリシャ神話のような複数エピソードの比較による神格の考察というのが難しくて、その名前からの考察が多いわけだけど。とはいえ、『日本書紀』はどれを本筋として取ってるか、に揺れが生じてるからそこで多少の比較はできるんだけどね」
それでも、諸説を諸説のまま伝えるギリシャ神話と比較すれば雀の涙である。
『風土記』が相当量残ってれば、この辺りは捗ったんだろうけど、ほとんど散逸してるからなあ。
「それでも、伊邪那美が土地を生み、多くの神々を生み、その果てに死を司る荒々しき黄泉津大神となった話はそこに記述されているし、そこから読み取れるその神格は典型的な地母神の像でしかなく、かつての信仰の実態が伝わっていない以上、読み取れるものを基盤とする他ない。そもそも雷というものは、世界的に荒ぶる神の力の表象だし」
だろ? と首を傾げれば、なるほど? と語尾に明らかにクエスチョンマークをつけて、純粋なココアの粉を口に含んだような顔で、弘も首を傾げた。
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