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昔話2 弘の話
ποτνια θηρων 7
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「あ」
繋げられそうと頭の片隅が囁く。
浮かんだ図像は何も、マイナー過ぎるものでもない。
「違う、近いけど、違う。八番目と入れ替えられた十一番目、タロットカードの大アルカナ、力または剛毅! そっちの方が近い!」
「た、タロット? いえ、聖人が出てきたのも驚きでしたけど」
ちらりと弘はロビンの方を見て言った。
しかし、ロビンはロビンでそれを気にせずに、なるほど、と呟いている。
「力の絵の獅子は本能だっけ」
「うん、本能を意味する獅子を己の力を意味する無限を冠した素手の乙女が制御する、それがタロットの八番目または十一番目の力の図像の一般的解釈だ」
で、と言ってからロビンと共に視線を弘に注げば、向けられた本人はびくっと身体を固くする。
「本能を察知する犬神と本能を表す獅子を対応させようというところだけど……」
「くくりとしては野獣?」
ロビンのその言葉に、また口が勝手に、あ、とだけ零した。
「センセイ?」
「……野獣、獣の女主人! これなら地母神に繋がる!」
「ぽと?」
物が落ちた時の擬音語みたいな声を上げる弘を前に、一度大きく息を吸う。
「ポトニア・テーローン、これ自体は古代ギリシャ語で、テーローンは獣、ポトニアは印欧祖語辺りまで遡っての主人を意味する語の女性形。つまり、獣の女主人って訳になる。ポトニアという語の影響は古代ギリシャでは他にもあって、大地母神デーメーテールの娘の名、女主人を意味するデスポイナのポイナの部分もそれ。デスポイナだけで一神格と考えられる場合と、デーメーテールの娘にして冥界の女神ペルセポネーの別名とされることもある」
さっきの垂れ流しとは違い、意識的に弘の目を見つめて僕は続けた。
「ポトニア・テーローンは狭義では月と狩りと森の処女神アルテミスの別名だ。彼女は森と狩りを権能として統べる、つまり狩人に獲物である獣を与えるか否かを握っていた。一方で、処女神であるにもかかわらず、彼女は本来的には地母神に紐づく存在だ。それはエフェソスの神殿にあったと言われる豊穣祈願で大量の牛の睾丸を捧げられたアルテミス像や、生まれてすぐに双子の片割れの太陽神アポロンを生むレートーに対して、出産の女神エイレイテュイアの代わりに産婆としての対応をしたという逸話から読み解ける」
「きょ、狭義ですか?」
「うん。広義には地母神の系列の女神で、図像として描かれる場合に獣を従える女神全般を指す。メソポタミアのイナンナあるいは同系譜のイシュタルは獅子を従えるとされるし、古代ギリシャ周りのキュベレーもまた獅子を従える地母神だ。ヒンドゥー教のシヴァの妃の一人、あるいはパールヴァティーの別側面と言われるドゥルガーも獅子や虎に騎乗するとされる。イナンナとイシュタル、キュベレーでは不可分だが、ドゥルガーに加え、森という異界を統べるアルテミス、イシュタル系統から派生したと考えられるアプロディーテーへの『ホメーロス風讃歌』での狼などの獣と戯れる記述、犬を従えるメソポタミアの病と治癒の神ニンティヌガやグラ、冥界の神として獣を従えるヘカテーやヘルまで考慮して考えれば、つまるところ、地母神としては恐るべき母の面にこの獣の女主人という属性は紐づきやすい」
とりあえず知ってもらわねば、弘自身の認識を曲げねば変質はできない。
いや、僕とロビンだけで十分なのかもしれないけど、万全を期したいところだし。
繋げられそうと頭の片隅が囁く。
浮かんだ図像は何も、マイナー過ぎるものでもない。
「違う、近いけど、違う。八番目と入れ替えられた十一番目、タロットカードの大アルカナ、力または剛毅! そっちの方が近い!」
「た、タロット? いえ、聖人が出てきたのも驚きでしたけど」
ちらりと弘はロビンの方を見て言った。
しかし、ロビンはロビンでそれを気にせずに、なるほど、と呟いている。
「力の絵の獅子は本能だっけ」
「うん、本能を意味する獅子を己の力を意味する無限を冠した素手の乙女が制御する、それがタロットの八番目または十一番目の力の図像の一般的解釈だ」
で、と言ってからロビンと共に視線を弘に注げば、向けられた本人はびくっと身体を固くする。
「本能を察知する犬神と本能を表す獅子を対応させようというところだけど……」
「くくりとしては野獣?」
ロビンのその言葉に、また口が勝手に、あ、とだけ零した。
「センセイ?」
「……野獣、獣の女主人! これなら地母神に繋がる!」
「ぽと?」
物が落ちた時の擬音語みたいな声を上げる弘を前に、一度大きく息を吸う。
「ポトニア・テーローン、これ自体は古代ギリシャ語で、テーローンは獣、ポトニアは印欧祖語辺りまで遡っての主人を意味する語の女性形。つまり、獣の女主人って訳になる。ポトニアという語の影響は古代ギリシャでは他にもあって、大地母神デーメーテールの娘の名、女主人を意味するデスポイナのポイナの部分もそれ。デスポイナだけで一神格と考えられる場合と、デーメーテールの娘にして冥界の女神ペルセポネーの別名とされることもある」
さっきの垂れ流しとは違い、意識的に弘の目を見つめて僕は続けた。
「ポトニア・テーローンは狭義では月と狩りと森の処女神アルテミスの別名だ。彼女は森と狩りを権能として統べる、つまり狩人に獲物である獣を与えるか否かを握っていた。一方で、処女神であるにもかかわらず、彼女は本来的には地母神に紐づく存在だ。それはエフェソスの神殿にあったと言われる豊穣祈願で大量の牛の睾丸を捧げられたアルテミス像や、生まれてすぐに双子の片割れの太陽神アポロンを生むレートーに対して、出産の女神エイレイテュイアの代わりに産婆としての対応をしたという逸話から読み解ける」
「きょ、狭義ですか?」
「うん。広義には地母神の系列の女神で、図像として描かれる場合に獣を従える女神全般を指す。メソポタミアのイナンナあるいは同系譜のイシュタルは獅子を従えるとされるし、古代ギリシャ周りのキュベレーもまた獅子を従える地母神だ。ヒンドゥー教のシヴァの妃の一人、あるいはパールヴァティーの別側面と言われるドゥルガーも獅子や虎に騎乗するとされる。イナンナとイシュタル、キュベレーでは不可分だが、ドゥルガーに加え、森という異界を統べるアルテミス、イシュタル系統から派生したと考えられるアプロディーテーへの『ホメーロス風讃歌』での狼などの獣と戯れる記述、犬を従えるメソポタミアの病と治癒の神ニンティヌガやグラ、冥界の神として獣を従えるヘカテーやヘルまで考慮して考えれば、つまるところ、地母神としては恐るべき母の面にこの獣の女主人という属性は紐づきやすい」
とりあえず知ってもらわねば、弘自身の認識を曲げねば変質はできない。
いや、僕とロビンだけで十分なのかもしれないけど、万全を期したいところだし。
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