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昔話2 弘の話
憑き物 6
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先程、少し軽くなった空気がまた重くなる。
この場における生殺与奪は、本来、弘が握っているのだ。
僕とロビンは、呪いでそれをやり過ごしているだけ。
不安と疲労で翳る弘の目をじっと真っ向から見据えていれば、根負けしたように弘は少し目を伏せた。
「……犬神、だと」
「うん」
「…………この先も、言わなきゃダメですか」
その声は震えていた。
「言って。僕がお願いしてる内に」
だから、僕はできる限り、一切の感情を排除した声で返す。
同情するのは簡単だ。
無理強いするのも、僕に限って言えば簡単だ。
だが、今回の場合、どちらに転んでも解決はないだろう。
ならば、その道は取らない。
「……穏健な方々は、皆、わたしの前では口を噤みました」
「穏健でない人は?」
譲らずに問えば、弘は苦しげに顔を歪めて、一度口を開いてから、また閉じる。
「センセイ」
ロビンの呼びかけには首を横に振った。
ロビンが見た結果ではダメだ。
弘本人の口から言わせる事に意味がある。
姿の見えない獣達ののしかかる気配は、ロビンはともかく、僕には取るに足らないのだし。
「……っ」
じりっと敵意が注がれるのが手に取るようにわかる。
弘の目の奥に、鍛冶場で打たれる真っ赤に焼けた鋼を思わせる鋭い光が宿って、睨みつけてきた。
途端に、うぉん、うわん、という犬の吠え声が無数に、うねるように響く。
「……いい加減に、してください。わかりきってますよね?」
自身の敵意が具現化された見えない犬達の中でも、弘はただ泣きそうに、できる限り抑えるように、それでも抑えきれずに語尾が揺らぐ。
可哀想、と言うのはとても簡単なこと。
だから、僕は答えずに、どうとでも取れるように目を少し細めた。
弘の握りしめた手が開かれて、指先が震えるままに、着ているハイネックの襟にかかる。
ぐっと自ら引き下げて露わにした白い喉には、鬱血の痕と、小さな三日月状の傷口が見えた。
ロビンが息を呑んだ。
「……殺され、かけました」
「うん」
相槌だけ打つ。
また、吠える声が増える。
「……兄が、間に、入って、助けて、くれて」
「うん」
「でも」
弘の言葉が途切れて、唇を震わせている。
それでも追求をやめるつもりはないと、真っ直ぐな視線を投げかければ、何度か唾を飲み込んで、最早大合唱となっている吠え声に溶け入りそうなほどか細い声をあげた。
「殺さなきゃ、増えるぞって」
「そう。旧態然としているね」
想定通りではある。
まあ流石に、その場で扼殺しようとしたというのはちょっと想定外ではあるけど。
弘が涙を溜めた目でこちらを恨めしそうに見る。
「これで、満足されましたか」
「ん、いや」
残念ながら、まだ少し足りない。
唸り声と共に、獣の熱く腥い息遣いが首筋を掠めた。
センセイ、と焦って呼びかけるロビンを無視する。
「それを聞いて、弘ちゃん、キミはどうしたいの?」
「それ、は、そんなの、だって」
「生きたいのか、死にたいのか。簡単な二択だ」
少なくとも、樹さんは弘を生かしたいから、主張は相容れないが、否定はしないだろう僕を呼んだ。
けれど、弘自身は、どこか諦めた風でありながら、殺されかけた記憶に怯えている。
だって、なんて口をついて出る時点で、義務と希望の板挟みにいることを知るのは容易い。本人が自覚しているかは別として。
「キミはどっちを望む? 答えて」
僕の問いかけに、弘は目を見開いて、そして、ぐっと唇を噛んでから口を開いた。
この場における生殺与奪は、本来、弘が握っているのだ。
僕とロビンは、呪いでそれをやり過ごしているだけ。
不安と疲労で翳る弘の目をじっと真っ向から見据えていれば、根負けしたように弘は少し目を伏せた。
「……犬神、だと」
「うん」
「…………この先も、言わなきゃダメですか」
その声は震えていた。
「言って。僕がお願いしてる内に」
だから、僕はできる限り、一切の感情を排除した声で返す。
同情するのは簡単だ。
無理強いするのも、僕に限って言えば簡単だ。
だが、今回の場合、どちらに転んでも解決はないだろう。
ならば、その道は取らない。
「……穏健な方々は、皆、わたしの前では口を噤みました」
「穏健でない人は?」
譲らずに問えば、弘は苦しげに顔を歪めて、一度口を開いてから、また閉じる。
「センセイ」
ロビンの呼びかけには首を横に振った。
ロビンが見た結果ではダメだ。
弘本人の口から言わせる事に意味がある。
姿の見えない獣達ののしかかる気配は、ロビンはともかく、僕には取るに足らないのだし。
「……っ」
じりっと敵意が注がれるのが手に取るようにわかる。
弘の目の奥に、鍛冶場で打たれる真っ赤に焼けた鋼を思わせる鋭い光が宿って、睨みつけてきた。
途端に、うぉん、うわん、という犬の吠え声が無数に、うねるように響く。
「……いい加減に、してください。わかりきってますよね?」
自身の敵意が具現化された見えない犬達の中でも、弘はただ泣きそうに、できる限り抑えるように、それでも抑えきれずに語尾が揺らぐ。
可哀想、と言うのはとても簡単なこと。
だから、僕は答えずに、どうとでも取れるように目を少し細めた。
弘の握りしめた手が開かれて、指先が震えるままに、着ているハイネックの襟にかかる。
ぐっと自ら引き下げて露わにした白い喉には、鬱血の痕と、小さな三日月状の傷口が見えた。
ロビンが息を呑んだ。
「……殺され、かけました」
「うん」
相槌だけ打つ。
また、吠える声が増える。
「……兄が、間に、入って、助けて、くれて」
「うん」
「でも」
弘の言葉が途切れて、唇を震わせている。
それでも追求をやめるつもりはないと、真っ直ぐな視線を投げかければ、何度か唾を飲み込んで、最早大合唱となっている吠え声に溶け入りそうなほどか細い声をあげた。
「殺さなきゃ、増えるぞって」
「そう。旧態然としているね」
想定通りではある。
まあ流石に、その場で扼殺しようとしたというのはちょっと想定外ではあるけど。
弘が涙を溜めた目でこちらを恨めしそうに見る。
「これで、満足されましたか」
「ん、いや」
残念ながら、まだ少し足りない。
唸り声と共に、獣の熱く腥い息遣いが首筋を掠めた。
センセイ、と焦って呼びかけるロビンを無視する。
「それを聞いて、弘ちゃん、キミはどうしたいの?」
「それ、は、そんなの、だって」
「生きたいのか、死にたいのか。簡単な二択だ」
少なくとも、樹さんは弘を生かしたいから、主張は相容れないが、否定はしないだろう僕を呼んだ。
けれど、弘自身は、どこか諦めた風でありながら、殺されかけた記憶に怯えている。
だって、なんて口をついて出る時点で、義務と希望の板挟みにいることを知るのは容易い。本人が自覚しているかは別として。
「キミはどっちを望む? 答えて」
僕の問いかけに、弘は目を見開いて、そして、ぐっと唇を噛んでから口を開いた。
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