怪異から論理の糸を縒る

板久咲絢芽

文字の大きさ
上 下
208 / 266
閑話2 蛍招き

8 山路は黄泉路

しおりを挟む


どれほど歩いた頃だろう。
絶対こんなに時間はかからないが、それでももう少しで戻れる、という確信ができたぐらいだ。

「日本神話における冥界を指すと言われる黄泉よみ、という言葉の語源にはいくつか説があってね」

そんな風に、青年が口を開いた。

黄泉よみに黄色い泉と字を当てるのは、大陸の影響下である証拠ではあるんだけど、そうした字義は置いといて、という大和言葉の音の語源、といったところだね」

蛍を肩にくっつけたまま、奈月なつきははあ、とだけ答えた。

「一つの有力な説として、の古形は『古事記』で出てくる黄泉神よもつかみ黄泉大神よもつおおかみで見られるように、であって、この語自体が母音ぼいん変換で作られた語なのではないか、というのがある」
って普通にそのへんの山のですか?」

そうだよ、と呑気な声が返ってくる。

「というのも、古代日本の葬送地は山であったと考えられるからだ。古墳だって山を造成するようなものだしね。そうした山への意識が垣間見かいまみえるのは『万葉集』にある柿本人麻呂かきのもとのひとまろの長歌における『なげけども せむすべらに れども よしをなみ 大鳥おおとりの 羽易はがいに わがる いもますと 人のへば 石根いわねさくみて なづみし けくもそなき うつせみと おもいもが たまかぎる ほのかにだにも 見えぬおもば』の節や、この長歌の後に収録されてる『衾道ふすまぢを 引手ひきでに いもを置きて 山路やまぢを行けば けりともなし』かな。どちらも亡くなった妻を題材として、前者は嘆いてもどうしようもない中、羽易はがいの山に妻がいると人に言われてやって来たが、ほんのわずかにも見えやしない、後者は引手ひきでの山に妻の遺体をほうむって山道を行くのは生きた心地がしないという歌だ」

少しだけ、髪の毛が後ろに引かれた気がしたが振り向かずに青年を見上げる。

「死んだはずのお前の妻がどこそこの山にいる、なんて他人が言う時点でおかしいのさ。なら、考えられるのは、その根底に死者は山にいてしかるべきという考えがあるということ。山は人から見たら身近な他の世界だったんだ」

さあっと前の方から少し強く、先程の生ぬるい風とは全く違うすずしくさわやかな風が吹き抜けた。
同時に肩から蛍がひらりと飛び上がって、風に乗るように今来た方に飛んで行ってしまう。

「あ、待って」

思わず振り返ってしまったが、止められる事はない。
そして、今まで歩いてきたほど長くはない道の上を待つことなく、蛍の光がひらりと遠ざかる。

「……」
「もう少し先で大きな道路に出るでしょ? そこまで送るね」

呆然ぼうぜんたたず奈月なつきの横に立ち、去っていく蛍を見送った青年がそう告げてくる。
それでも、名残なごりしくて動けない奈月なつきに苦笑すると青年は口を開いた。

「時間も事象も本質的には不可逆。過ぎた事をなかった事にはできないように、失ったものを戻す事はできないよ。たとえ神代かみよであっても、冥界下めいかいくだりは何らかの犠牲なしに実ることはないし、生者が死者を冥界から連れて出るのも同じことだ。でも」

そこで目を細めて、少し悪戯いたずらっぽく青年は笑った。

まねくのは別。それに応じるかどうか、は死者の側に、許すかどうかは冥界の側に権利がある。そして、キミはもうやり方、わかっただろ?」
「……そう、ですね」

そう答えて、笑おうとして、うまく笑えた気はしなかった。
そして、そんな少ししんみりした空気を

「いたー!」

大きな女性の声が切り裂いた。
目の前の青年がやけにびくっとして、奈月なつきが声のした方に目を向ければ、ウルフヘアのおねえさんが一人、こちらに猛ダッシュで駆けて来る。

「何してんですか、先生!」

なかなかのスピードでここまで駆けて来たおねえさんは、息を切らすこともなく、青年を先生と呼びつつも、完全にしかり飛ばすトーンでそう言った。
青年の方は肩身がせまそうに身をすくめている。

「いや、その、ちょっと、案内、みたいな?」

視線をらしながら答える青年をじっとりとした目でたっぷりめつけてから、彼女は気を取り直したように奈月なつきの方を見た。

「まー、起きた事は仕方ないので、後回しにするとして」

空気からして、お説教するのは確定なんだ、と奈月なつきは確信した。

「こんな不審者でしかない上に、頼りなく見える先生だけじゃアレでしょう。わたしも一緒に送りますよ」
「頼りなく見えるは余計じゃない?」

先生と呼んでる割にあつかいが雑な気がするし、青年側も不審者あつかいに慣れ過ぎている。

「それは五点接地法できるようになってから言ってください」
「いや、それはできる人の方が少ないからね?」

ハードルが高いのか低いのかわからない二人にはさまれて、奈月なつきは今度こそ、声を上げて笑ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

File■■ 【厳選■ch怖い話】むしごさまをよぶ  

雨音
ホラー
むしごさま。 それは■■の■■。 蟲にくわれないように ※ちゃんねる知識は曖昧あやふやなものです。ご容赦くださいませ。

ill〜怪異特務課事件簿〜

錦木
ホラー
現実の常識が通用しない『怪異』絡みの事件を扱う「怪異特務課」。 ミステリアスで冷徹な捜査官・名護、真面目である事情により怪異と深くつながる体質となってしまった捜査官・戸草。 とある秘密を共有する二人は協力して怪奇事件の捜査を行う。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

焔鬼

はじめアキラ@テンセイゲーム発売中
ホラー
「昨日の夜、行方不明になった子もそうだったのかなあ。どっかの防空壕とか、そういう場所に入って出られなくなった、とかだったら笑えないよね」  焔ヶ町。そこは、焔鬼様、という鬼の神様が守るとされる小さな町だった。  ある夏、その町で一人の女子中学生・古鷹未散が失踪する。夜中にこっそり家の窓から抜け出していなくなったというのだ。  家出か何かだろう、と同じ中学校に通っていた衣笠梨華は、友人の五十鈴マイとともにタカをくくっていた。たとえ、その失踪の状況に不自然な点が数多くあったとしても。  しかし、その古鷹未散は、黒焦げの死体となって発見されることになる。  幼い頃から焔ヶ町に住んでいるマイは、「焔鬼様の仕業では」と怯え始めた。友人を安心させるために、梨華は独自に調査を開始するが。

処理中です...