127 / 209
4-1 うろを満たすは side A
序 砂嵐の記憶
しおりを挟む
――ざーっ
暗い部屋の中。
いや、既に家中で光を放つものはただ一つだけ。
美佳の目の前で、ぽつんと光を放つ、白と黒のランダムに入り混じる画面とノイズを垂れ流すテレビだけ。
――ざーっ
ざらざらとしたノイズ音を耳にしたまま、美佳は目を閉じる。
そして、
「ひとーつ、ふたーつ、みっつ……」
およそ十秒のカウント。
大丈夫。作法には則っている。だから、大丈夫。
そんな過信なのか、恐怖への誤魔化しなのかわからない事を思いながら、カウントは十に到達した。
最初に用意しておいたカッターナイフは、既に美佳が今立っているすぐ横のテーブルの上に置いてある。
目を開けても、テレビの砂嵐の画面に照らされたカッターナイフは、置いた時のそのままの姿でそこにあった。
――ざーっ
ざらつく砂嵐のノイズが耳の奥を削りとるように振動させる。
緊張して、過敏になっているのかもしれない。
カッターナイフを手にした美佳は、そのまますぐ隣の風呂場へと向かった。
風呂場の浴槽にはたっぷりと水……というよりは美佳が入浴した後に冷めた湯が張ったままで、その中には異様な姿のぬいぐるみが沈めてある。
相当にデフォルメされた女の子の姿をしたそのぬいぐるみの胸から腹にかけては、少し歪に縦に裂かれた後、赤い糸で縫われた上に、その糸の余りがぬいぐるみの胴にぐるぐると幾重にも巻かれて、括られたその端が鎌首をもたげた蛇のように、水中に揺らいでいた。
ぬいぐるみの表面が、やたらとでこぼこしているのは気のせいではない。
縦に裂いたぬいぐるみの腹。そこから全ての綿を引き出して、代わりに米と自分の爪の混合物を詰め込んだせいだ。
全部、全部、美佳がやった。
たぶん、ここからは一切引き返せない。
きちきちきちと、カッターナイフの刃先を伸ばす。
ごくり、と唾を飲み込んで、十秒分の水を吸った米の詰まったぬいぐるみを、浴槽の底から引き上げる。
綿の代わりにビーズが詰まったタイプのぬいぐるみや枕を思わせる触感が、過敏になった神経を刺激する。
「……ちゃん、みーつけた」
決められた通りに、自分が付けた名前を呼んで、そして糸が余り巻き付いていない、首元の近くに、刃を出したカッターナイフを突き立てた。
ぶつりと、布が断ち切れた感触と、中の米と刃がさりさりと擦れ合う感触が、カッターナイフを握った右腕を這い上がる。
怖気づいてはいられない。ここからはスピード勝負だ。
カッターナイフを引き抜いて、きちきちと刃を収め、適当にポケットに突っ込む。
「次は……ちゃんが鬼」
言うやいなや、美佳は浴槽にぬいぐるみを投げ捨て、塩水の入ったコップを置いたウォークインクローゼットに向かう。
所詮、一人暮らしのワンルーム。
隠れ場所にしたクローゼットまで三十秒もかからない。
けれど、忘れられない。
その三十秒に満たない間に、粘るように絡みついた視線の気配が、どうしても、どうしても。
――そこで美佳は目を覚まして、当時とはまた別のワンルームの天井を見上げて、ひっと喉の奥で小さく悲鳴を上げた。
気づいてしまったからだ。
――十年経とうと、あの視線は振り切れていなかったのだと。
暗い部屋の中。
いや、既に家中で光を放つものはただ一つだけ。
美佳の目の前で、ぽつんと光を放つ、白と黒のランダムに入り混じる画面とノイズを垂れ流すテレビだけ。
――ざーっ
ざらざらとしたノイズ音を耳にしたまま、美佳は目を閉じる。
そして、
「ひとーつ、ふたーつ、みっつ……」
およそ十秒のカウント。
大丈夫。作法には則っている。だから、大丈夫。
そんな過信なのか、恐怖への誤魔化しなのかわからない事を思いながら、カウントは十に到達した。
最初に用意しておいたカッターナイフは、既に美佳が今立っているすぐ横のテーブルの上に置いてある。
目を開けても、テレビの砂嵐の画面に照らされたカッターナイフは、置いた時のそのままの姿でそこにあった。
――ざーっ
ざらつく砂嵐のノイズが耳の奥を削りとるように振動させる。
緊張して、過敏になっているのかもしれない。
カッターナイフを手にした美佳は、そのまますぐ隣の風呂場へと向かった。
風呂場の浴槽にはたっぷりと水……というよりは美佳が入浴した後に冷めた湯が張ったままで、その中には異様な姿のぬいぐるみが沈めてある。
相当にデフォルメされた女の子の姿をしたそのぬいぐるみの胸から腹にかけては、少し歪に縦に裂かれた後、赤い糸で縫われた上に、その糸の余りがぬいぐるみの胴にぐるぐると幾重にも巻かれて、括られたその端が鎌首をもたげた蛇のように、水中に揺らいでいた。
ぬいぐるみの表面が、やたらとでこぼこしているのは気のせいではない。
縦に裂いたぬいぐるみの腹。そこから全ての綿を引き出して、代わりに米と自分の爪の混合物を詰め込んだせいだ。
全部、全部、美佳がやった。
たぶん、ここからは一切引き返せない。
きちきちきちと、カッターナイフの刃先を伸ばす。
ごくり、と唾を飲み込んで、十秒分の水を吸った米の詰まったぬいぐるみを、浴槽の底から引き上げる。
綿の代わりにビーズが詰まったタイプのぬいぐるみや枕を思わせる触感が、過敏になった神経を刺激する。
「……ちゃん、みーつけた」
決められた通りに、自分が付けた名前を呼んで、そして糸が余り巻き付いていない、首元の近くに、刃を出したカッターナイフを突き立てた。
ぶつりと、布が断ち切れた感触と、中の米と刃がさりさりと擦れ合う感触が、カッターナイフを握った右腕を這い上がる。
怖気づいてはいられない。ここからはスピード勝負だ。
カッターナイフを引き抜いて、きちきちと刃を収め、適当にポケットに突っ込む。
「次は……ちゃんが鬼」
言うやいなや、美佳は浴槽にぬいぐるみを投げ捨て、塩水の入ったコップを置いたウォークインクローゼットに向かう。
所詮、一人暮らしのワンルーム。
隠れ場所にしたクローゼットまで三十秒もかからない。
けれど、忘れられない。
その三十秒に満たない間に、粘るように絡みついた視線の気配が、どうしても、どうしても。
――そこで美佳は目を覚まして、当時とはまた別のワンルームの天井を見上げて、ひっと喉の奥で小さく悲鳴を上げた。
気づいてしまったからだ。
――十年経とうと、あの視線は振り切れていなかったのだと。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる