55 / 241
3-1 肝試しと大掃除 side A
6 高山の末、短山の末
しおりを挟む
◆
一階の西側階段を登り、廃病院の三階東側。
先行します、という宣言と同時に、ウエストポーチからミニタイプの強力な懐中電灯を取り出した弘は、二段飛ばしの勢いで階段を登って行ってしまった。
なんとか織歌、都子、悠輔が三階まで辿り着いた時点で、弘の懐中電灯の光がすごい勢いで曲がって壁側に飛び込んでいくのが見えた。
たぶん、東側の端辺りで器用にスニーカーの足裏を滑らせ、方向転換とブレーキを同時に行って、勢いを殺し切らずにそのまま飛び込んだのだろう。
弘の言いつけの通り織歌から離れぬよう、織歌と並走する悠輔と都子は困惑の視線を交わす。
こうして走ってみてわかったが、弘は足が速い。めちゃくちゃ速い。
そもそもとして、きっと運動能力全般が高い。そして、そうでもなければ、まず二階から五点接地法なんかしない。
一方、織歌はその雰囲気に違わず、平均よりかは……うん、遅い。こうして濁さざるを得ない程度には。
そうして織歌の後頭部を見つめながら緩やかに走っていると、次の瞬間、悠輔の鼻先で獣の臭いがして、それから視界の隅で都子の表情が引きつった。
それを受けてか、織歌は突然速度を緩めて立ち止まる。
「さ、賢木さん?」
「私より前に出ないでおいてください。島田さんは聞こえたでしょう? 弘ちゃんからの合図です」
悠然や泰然自若という表現が合うような足取りで数歩、織歌は前に出て、大きく深呼吸をした。
「……あれさくなだりのたぎつはやきせ」
ぽつりと、織歌が呟いた言葉が奇妙に響く。
次の瞬間、飛び出してきた弘が飛び込んだ時のように方向転換して、こちらにまっすぐに駆けて来る。
悠輔はここまで来ると、興味の方が恐怖よりも勝っていた。
一方、都子については、ひっと息を飲む声が悠輔の耳に届いた。
「織歌!」
近くまで来た弘が走る勢いそのままに織歌に呼びかけ、途中で突然別の部屋に飛び込んだ。
それを見て、なるほど、それで階段を飛び降りたのか、というのが頭の片隅を過る。
「……うつしきつみというつみのあらざれば、あれみましをもちいでん」
奇妙に響く理由が、織歌の柔らかく温かな声とは別の、固く冷たい声が重なっているからだ、と悠輔が気付いた瞬間、また空気が動くのを感じた。
しかし、弘の時とはまるっきり違っていて、獣の臭いはせず、少しひんやりとした、清涼と呼ぶに相応しい空気が織歌の方へと――
「うわ」
「きゃ」
吹き抜けた。
都子が少しよろめく程に強く吹き抜けた風の中で、悠輔はほんの一瞬だけ織歌の背に人影を見た。
病院内の夜闇よりも黒々としたその身長よりも長い髪を、清涼な風に広げる、織歌自身よりも華奢に見える人影。
白い着物に緋袴という巫女を思わせる出で立ちの上に、白く透けるほどに薄く、腰の中程までの丈の短い、右の肩に赤い紐の付いた上着を羽織っている。
――薄味だな。
一瞬遅れて、先程まで、織歌の声に重なって聞こえていた、今まで使う機会のなかった玲瓏という言葉の似合う声が呆れたようにそう言ったのが、悠輔の耳に届いた。
幸い、好奇心が勝っているからなのか、恐怖は感じなかった。
一階の西側階段を登り、廃病院の三階東側。
先行します、という宣言と同時に、ウエストポーチからミニタイプの強力な懐中電灯を取り出した弘は、二段飛ばしの勢いで階段を登って行ってしまった。
なんとか織歌、都子、悠輔が三階まで辿り着いた時点で、弘の懐中電灯の光がすごい勢いで曲がって壁側に飛び込んでいくのが見えた。
たぶん、東側の端辺りで器用にスニーカーの足裏を滑らせ、方向転換とブレーキを同時に行って、勢いを殺し切らずにそのまま飛び込んだのだろう。
弘の言いつけの通り織歌から離れぬよう、織歌と並走する悠輔と都子は困惑の視線を交わす。
こうして走ってみてわかったが、弘は足が速い。めちゃくちゃ速い。
そもそもとして、きっと運動能力全般が高い。そして、そうでもなければ、まず二階から五点接地法なんかしない。
一方、織歌はその雰囲気に違わず、平均よりかは……うん、遅い。こうして濁さざるを得ない程度には。
そうして織歌の後頭部を見つめながら緩やかに走っていると、次の瞬間、悠輔の鼻先で獣の臭いがして、それから視界の隅で都子の表情が引きつった。
それを受けてか、織歌は突然速度を緩めて立ち止まる。
「さ、賢木さん?」
「私より前に出ないでおいてください。島田さんは聞こえたでしょう? 弘ちゃんからの合図です」
悠然や泰然自若という表現が合うような足取りで数歩、織歌は前に出て、大きく深呼吸をした。
「……あれさくなだりのたぎつはやきせ」
ぽつりと、織歌が呟いた言葉が奇妙に響く。
次の瞬間、飛び出してきた弘が飛び込んだ時のように方向転換して、こちらにまっすぐに駆けて来る。
悠輔はここまで来ると、興味の方が恐怖よりも勝っていた。
一方、都子については、ひっと息を飲む声が悠輔の耳に届いた。
「織歌!」
近くまで来た弘が走る勢いそのままに織歌に呼びかけ、途中で突然別の部屋に飛び込んだ。
それを見て、なるほど、それで階段を飛び降りたのか、というのが頭の片隅を過る。
「……うつしきつみというつみのあらざれば、あれみましをもちいでん」
奇妙に響く理由が、織歌の柔らかく温かな声とは別の、固く冷たい声が重なっているからだ、と悠輔が気付いた瞬間、また空気が動くのを感じた。
しかし、弘の時とはまるっきり違っていて、獣の臭いはせず、少しひんやりとした、清涼と呼ぶに相応しい空気が織歌の方へと――
「うわ」
「きゃ」
吹き抜けた。
都子が少しよろめく程に強く吹き抜けた風の中で、悠輔はほんの一瞬だけ織歌の背に人影を見た。
病院内の夜闇よりも黒々としたその身長よりも長い髪を、清涼な風に広げる、織歌自身よりも華奢に見える人影。
白い着物に緋袴という巫女を思わせる出で立ちの上に、白く透けるほどに薄く、腰の中程までの丈の短い、右の肩に赤い紐の付いた上着を羽織っている。
――薄味だな。
一瞬遅れて、先程まで、織歌の声に重なって聞こえていた、今まで使う機会のなかった玲瓏という言葉の似合う声が呆れたようにそう言ったのが、悠輔の耳に届いた。
幸い、好奇心が勝っているからなのか、恐怖は感じなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる