怪異から論理の糸を縒る

板久咲絢芽

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3-1 肝試しと大掃除 side A

6 高山の末、短山の末

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一階の西側階段を登り、廃病院の三階東側。

先行します、という宣言と同時に、ウエストポーチからミニタイプの強力な懐中電灯を取り出したひろは、二段飛ばしのいきおいで階段を登って行ってしまった。

なんとか織歌おりか都子みやこ悠輔ゆうすけが三階まで辿たどり着いた時点で、ひろの懐中電灯の光がすごい勢いで曲がって壁側に飛び込んでいくのが見えた。
たぶん、東側の端あたりで器用にスニーカーの足裏をすべらせ、方向転換とブレーキを同時におこなって、いきおいを殺し切らずにそのまま飛び込んだのだろう。

ひろの言いつけの通り織歌おりかから離れぬよう、織歌おりかと並走する悠輔ゆうすけ都子みやこは困惑の視線をわす。

こうして走ってみてわかったが、ひろは足が速い。めちゃくちゃ速い。
そもそもとして、きっと運動能力全般が高い。そして、そうでもなければ、まず二階から五点接地法なんかしない。
一方、織歌おりかはその雰囲気にたがわず、平均よりかは……うん、遅い。こうしてにごさざるを得ない程度には。

そうして織歌おりかの後頭部を見つめながらゆるやかに走っていると、次の瞬間、悠輔ゆうすけの鼻先で獣のにおいがして、それから視界のすみ都子みやこの表情が引きつった。
それを受けてか、織歌おりかは突然速度をゆるめて立ち止まる。

「さ、賢木さかきさん?」
「私より前に出ないでおいてください。島田しまださんは聞こえたでしょう? ひろちゃんからの合図です」

悠然ゆうぜん泰然自若たいぜんじじゃくという表現が合うような足取りで数歩、織歌おりかは前に出て、大きく深呼吸をした。

「……あれさくなだりのたぎつはやきせあらしおのしおのやしおじのしおのやおあい

ぽつりと、織歌おりかつぶやいた言葉が奇妙に響く。
次の瞬間、飛び出してきたひろが飛び込んだ時のように方向転換して、こちらにまっすぐにけて来る。
悠輔ゆうすけはここまで来ると、興味の方が恐怖よりもまさっていた。
一方、都子みやこについては、ひっと息を飲む声が悠輔ゆうすけの耳に届いた。

織歌おりか!」

近くまで来たひろが走る勢いそのままに織歌おりかに呼びかけ、途中で突然別の部屋に飛び込んだ。
それを見て、なるほど、それで階段を飛び降りたのか、というのが頭の片隅かたすみよぎる。

「……うつしきつみあもるつみというつみのあらざれば、あれみましをもちいでんかかのまん

奇妙に響く理由が、織歌おりかの柔らかく温かな声とは別の、固く冷たい声が重なっているからだ、と悠輔ゆうすけが気付いた瞬間、また空気が動くのを感じた。
しかし、ひろの時とはまるっきり違っていて、獣のにおいはせず、少しひんやりとした、清涼せいりょうと呼ぶに相応ふさわしい空気が織歌おりかの方へと――

「うわ」
「きゃ」


都子みやこが少しよろめく程に強く吹き抜けた風の中で、悠輔ゆうすけはほんの一瞬だけ織歌おりかの背に人影を見た。
病院内の夜闇よりも黒々くろぐろとしたその身長よりも長い髪を、清涼な風に広げる、織歌おりか自身よりも華奢きゃしゃに見える人影。
白い着物に緋袴ひばかまという巫女みこを思わせる出で立ちの上に、白くけるほどに薄く、腰の中程までのたけの短い、右の肩に赤い紐の付いた上着を羽織はおっている。

――薄味だな。

一瞬遅れて、先程まで、織歌おりかの声に重なって聞こえていた、今まで使う機会のなかった玲瓏れいろうという言葉の似合う声があきれたようにそう言ったのが、悠輔ゆうすけの耳に届いた。

さいわい、好奇心がまさっているからなのか、恐怖は感じなかった。
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