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2-2 山と神隠し side B
5 壺中異界
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◆
弘はぼーっと過ぎゆくのどかな車窓の外を見ていた。
ボックスタイプの座席の向かい側で、ロビンは抱えたリュックによりかかって、うつらうつらと船を漕いでいる。
あの後少ししてから、蓬のスマートフォンに武が気がついたという旨の連絡が来たのを機に、解散とあいなったのだ。
平日の午後も早めの時間なので、少なくとも車両単位で貸し切り状態である。
「あ」
「んぐ……う?」
不意に思い出して声をあげれば、ロビンが寝ぼけ眼で、それでも何があったのかという意を含んだ声をあげた。
「ああ、いや、大したことじゃないんです」
「…………人を起こしといて、それはなくない?」
至極ごもっともな意見である。
「いえ、あの、ハーバリウムと壺中之天の件で」
「ん……ああ、三壺のこと?」
「ええ、まあ……ロビンが知ってて自分が知らないのは癪ですけど」
素直に言えば、ロビンは確かに、と言いながら、くすくすと笑った。
「まあ、それだけ知ろうとしなきゃわからないものが転がってるってことだよね。『三壺に雲浮ぶ 七万里の程に浪を分かつ』は都良香の神仙策だっけ」
そんなんでわかるか、と思う。
そしてこの兄弟子は、それもちゃんとわかっている。
「でも、流石にヒロだって蓬莱ぐらいわかるだろ?」
「そりゃまあ、そんな有名どころ、知ってるに決まってるじゃないですか。神仙思想における異界の一つ。中国東方にあるとされる島の一つですよね」
浦島太郎の原型、丹後国風土記逸文の浦嶋子伝説の「蓬山」と書いて、「とこよのくに」と読ませるものは、この蓬莱から来ているのではないか、というところまでは履修済みである。そこは腐ってもそういう家系なので。
ロビンはがさごそと抱えたリュックからメモとペンを取り出して、眉間にしわを寄せ、何度かぐしゃぐしゃと塗り潰しながら書いたページを切り取って弘に差し出す。
「その蓬莱に、瀛洲と方丈を加えたのが三壺。それぞれを蓬壺、瀛壺、方壺とも呼ぶ……この場合、日本語だと蓬莱と方丈が同音になるんだけどね」
案の定というか、瀛洲、瀛壺だけやたら書き損じの痕跡が多く、また一文字もやたらデカい。
とはいえ、たぶん弘も書いてみたら、同じ風なことにはなるだろうという自信がある。そんな事に自信など持ちたくなかったが。
「壺なんですねえ……」
「壺のような山、らしいからね」
それを聞いて、なるほど、と弘の中で合点がいく。
「仙境は壺の中に……そのイメージの行き着いた果てが壺中之天と」
壺中之天。壺中天。壺中の天地。
中国は後漢における一介の役人が仙道を志すきっかけとなった、薬売りの老人の持つ壺の中の素晴らしき別天地のエピソードから生まれた言葉だ。
「まあ、考えられるレベルだけど……さらに突き詰めれば王昌齢の『一片の氷心 玉壷に在り』も壺の外と中で俗と聖をわけたとも思えるね」
何故そこまで知っているんだ、この兄弟子は。
そう脳裏を過ぎるが、いつもの事なので弘はそれだけに留める。
なんなら、ロビンにはその思いは既にバレてるし、たぶんイヤなら勉強しろぐらいには思っている気配がする。
「西洋だと壺や瓶は生命の水の器というイメージが強い。マルセイユ版タロットの節制とか、正に壺から壺への移し替えだし……まあ生命の水が後世、ウイスキーやスピリットみたいに、強いアルコールを指すようになったことを考えれば、酒神ディオニュソスの酒甕とかの影響もあるのかもね……あ、いやエジプトのカノプス壺とかもあるのかな」
「ロビン、ロビン」
弘はそのまま自身の思考の淵に沈んでいきそうなロビンに呼びかける。
弘はぼーっと過ぎゆくのどかな車窓の外を見ていた。
ボックスタイプの座席の向かい側で、ロビンは抱えたリュックによりかかって、うつらうつらと船を漕いでいる。
あの後少ししてから、蓬のスマートフォンに武が気がついたという旨の連絡が来たのを機に、解散とあいなったのだ。
平日の午後も早めの時間なので、少なくとも車両単位で貸し切り状態である。
「あ」
「んぐ……う?」
不意に思い出して声をあげれば、ロビンが寝ぼけ眼で、それでも何があったのかという意を含んだ声をあげた。
「ああ、いや、大したことじゃないんです」
「…………人を起こしといて、それはなくない?」
至極ごもっともな意見である。
「いえ、あの、ハーバリウムと壺中之天の件で」
「ん……ああ、三壺のこと?」
「ええ、まあ……ロビンが知ってて自分が知らないのは癪ですけど」
素直に言えば、ロビンは確かに、と言いながら、くすくすと笑った。
「まあ、それだけ知ろうとしなきゃわからないものが転がってるってことだよね。『三壺に雲浮ぶ 七万里の程に浪を分かつ』は都良香の神仙策だっけ」
そんなんでわかるか、と思う。
そしてこの兄弟子は、それもちゃんとわかっている。
「でも、流石にヒロだって蓬莱ぐらいわかるだろ?」
「そりゃまあ、そんな有名どころ、知ってるに決まってるじゃないですか。神仙思想における異界の一つ。中国東方にあるとされる島の一つですよね」
浦島太郎の原型、丹後国風土記逸文の浦嶋子伝説の「蓬山」と書いて、「とこよのくに」と読ませるものは、この蓬莱から来ているのではないか、というところまでは履修済みである。そこは腐ってもそういう家系なので。
ロビンはがさごそと抱えたリュックからメモとペンを取り出して、眉間にしわを寄せ、何度かぐしゃぐしゃと塗り潰しながら書いたページを切り取って弘に差し出す。
「その蓬莱に、瀛洲と方丈を加えたのが三壺。それぞれを蓬壺、瀛壺、方壺とも呼ぶ……この場合、日本語だと蓬莱と方丈が同音になるんだけどね」
案の定というか、瀛洲、瀛壺だけやたら書き損じの痕跡が多く、また一文字もやたらデカい。
とはいえ、たぶん弘も書いてみたら、同じ風なことにはなるだろうという自信がある。そんな事に自信など持ちたくなかったが。
「壺なんですねえ……」
「壺のような山、らしいからね」
それを聞いて、なるほど、と弘の中で合点がいく。
「仙境は壺の中に……そのイメージの行き着いた果てが壺中之天と」
壺中之天。壺中天。壺中の天地。
中国は後漢における一介の役人が仙道を志すきっかけとなった、薬売りの老人の持つ壺の中の素晴らしき別天地のエピソードから生まれた言葉だ。
「まあ、考えられるレベルだけど……さらに突き詰めれば王昌齢の『一片の氷心 玉壷に在り』も壺の外と中で俗と聖をわけたとも思えるね」
何故そこまで知っているんだ、この兄弟子は。
そう脳裏を過ぎるが、いつもの事なので弘はそれだけに留める。
なんなら、ロビンにはその思いは既にバレてるし、たぶんイヤなら勉強しろぐらいには思っている気配がする。
「西洋だと壺や瓶は生命の水の器というイメージが強い。マルセイユ版タロットの節制とか、正に壺から壺への移し替えだし……まあ生命の水が後世、ウイスキーやスピリットみたいに、強いアルコールを指すようになったことを考えれば、酒神ディオニュソスの酒甕とかの影響もあるのかもね……あ、いやエジプトのカノプス壺とかもあるのかな」
「ロビン、ロビン」
弘はそのまま自身の思考の淵に沈んでいきそうなロビンに呼びかける。
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