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昔話1 ロビンの話
Arthur O’Bower 4
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「お前は、不遜ね」
どろりと、ゆっくりと糸を引いて滴り落ちる蜜のような密やかな甘い声。耳の奥が痺れ、背筋を恐怖とは別のぞくりとした感覚が駆ける。
その吐息は鼻を通るだけで、喉がひりつくような甘みを感じる。
いっそ、このまま蕩かされたいと、本能が言っている。
ウツボカズラの蜜の匂いというものは、虫にとってはかくも魅力的なのだろうか。
「不遜で、臆病で、それを智慧によって賢しくも豪胆となす者」
玉虫色の目は真っ直ぐに瞬きをせずに見つめてくる。
見定めるように、見透かすように。
魅了されかけている自覚はあるので、一つ、二つと数を数えながら、ただその目を見つめ返した。
「週の半ばの日、ソロモン・グランディが結婚した日、不幸だらけの子が生まれ落ちる日。それが冠する厳しき嵐の王の、懐かしくて血腥くて、憎らしくて、でもいつしか諦めてしまったあの匂いと、とても良く似ている……でも、根幹は違うのね」
ぐっと、頬を包むというには乱暴なまま、掴むというには優しいまま、持ち上げられるように手が引かれて、流石に尻を浮かせる。
魅了から気は逸れるが、正直この体勢、長時間はキツい。主に膝。
鼻先が触れる程まで、エインセルは顔を寄せる。
不吉な湿り気を帯びた甘い匂いが強くなる。吐息が肌を擽る。肺が侵される。息苦しい。
気を紛らわせるために、一つ問いを投げかける。
「……嵐の匂い、とは」
「木陰のアーサー、魂運ぶ夜の嵐の王、足疾き魂の盗人……ああ、貴方、うたうのね?」
――ああ、ああ、そう、そうなの。そうなのね。だからなのね。
エインセルは、そう笑みを潜めて、目を見開いて、僕の目の奥底を見通しながら、そう繰り返す。
「だから、貴方は似た匂いなのね」
その笑みらしきものの気配の乗った言葉と同時に、ぱっと頬に触れていたエインセルの両手が離れて、そのまま椅子の上にぺしゃりと座り込む。
ヤバい、力抜けてる。体勢のせいだけじゃない。
自然とそうなっていた浅い呼吸を、無理矢理に一度深呼吸して落ち着ける。
エインセルはその柔らかな服がエクルズケーキのカラントでところどころが赤く染まったことも、紅茶で濡れてちょっと透けていることも気にすることなく、テーブルの上から椅子に戻す。
目に毒なので、そうしてもらえるのは非常にありがたい。
「針目なく糸もなく、亜麻のシャツを仕立ててちょうだい」
エインセルは椅子の上に膝立ちしたまま、そう歌った。
「風吹かず雨降らぬ空井戸でそのシャツを洗って、
アダム生まれし昔から花咲かぬサンザシにかけてかわかして、
熱した鉄でアイロンをかけて一つのまあるいひだを作って、
そのシャツを、貴方の誠意を私にちょうだい!」
そこまで終えて、くすりとエインセルが答えを待つように笑う。
ああ、呆けてる場合じゃない。
「……それでは天秤は釣り合わない」
返さなくては。沈黙は肯定の何よりの証になってしまう。
沈黙は金、雄弁は銀。なれど、それは人相手の話だし、そもそも流れに竿を刺さねば、ただ相手のいいように流されるだけだ。
「僕のために海の塩水と砂の狭間の一エーカーの土地を買い求めて、
雄羊の角でそこを耕し、一粒のコショウの種を一面にまいて、
そのコショウを革の鎌で刈り取り、孔雀の羽で束ねて、
石と石灰岩で荷馬車をあつらえ、赤い胸のロビンにひかせて」
無茶振りには無茶振りで返す。それがセオリー。
たとえば、「海に苺はどれぐらい?」と訊かれたら、「森のニシンと同じぐらい」と返すように。
「ネズミの穴に蓄え、貴女の靴の底で脱穀して、
貴女の掌で籾殻と分け、ろうそくも石炭もなしにそれを乾かして、
底なしの袋にそれを入れ、蝶の背に乗せた臼まで運んで」
使い古された言葉で構わない。
そうであればこそ、これらは振られた無茶振りを断るための無茶振りとして、真価を発揮する。
「海でもってそれを白く、きれいにして乾かして持ってきて、
そうしたら、貴女の言うシャツを渡しましょう」
精一杯、流れに沿うよう、エインセルの投げかけた言葉に対応しうる文章を並べる。
「スカーバラの市」、「妖精の騎士」、どっちもチェックしておいてよかった。
どろりと、ゆっくりと糸を引いて滴り落ちる蜜のような密やかな甘い声。耳の奥が痺れ、背筋を恐怖とは別のぞくりとした感覚が駆ける。
その吐息は鼻を通るだけで、喉がひりつくような甘みを感じる。
いっそ、このまま蕩かされたいと、本能が言っている。
ウツボカズラの蜜の匂いというものは、虫にとってはかくも魅力的なのだろうか。
「不遜で、臆病で、それを智慧によって賢しくも豪胆となす者」
玉虫色の目は真っ直ぐに瞬きをせずに見つめてくる。
見定めるように、見透かすように。
魅了されかけている自覚はあるので、一つ、二つと数を数えながら、ただその目を見つめ返した。
「週の半ばの日、ソロモン・グランディが結婚した日、不幸だらけの子が生まれ落ちる日。それが冠する厳しき嵐の王の、懐かしくて血腥くて、憎らしくて、でもいつしか諦めてしまったあの匂いと、とても良く似ている……でも、根幹は違うのね」
ぐっと、頬を包むというには乱暴なまま、掴むというには優しいまま、持ち上げられるように手が引かれて、流石に尻を浮かせる。
魅了から気は逸れるが、正直この体勢、長時間はキツい。主に膝。
鼻先が触れる程まで、エインセルは顔を寄せる。
不吉な湿り気を帯びた甘い匂いが強くなる。吐息が肌を擽る。肺が侵される。息苦しい。
気を紛らわせるために、一つ問いを投げかける。
「……嵐の匂い、とは」
「木陰のアーサー、魂運ぶ夜の嵐の王、足疾き魂の盗人……ああ、貴方、うたうのね?」
――ああ、ああ、そう、そうなの。そうなのね。だからなのね。
エインセルは、そう笑みを潜めて、目を見開いて、僕の目の奥底を見通しながら、そう繰り返す。
「だから、貴方は似た匂いなのね」
その笑みらしきものの気配の乗った言葉と同時に、ぱっと頬に触れていたエインセルの両手が離れて、そのまま椅子の上にぺしゃりと座り込む。
ヤバい、力抜けてる。体勢のせいだけじゃない。
自然とそうなっていた浅い呼吸を、無理矢理に一度深呼吸して落ち着ける。
エインセルはその柔らかな服がエクルズケーキのカラントでところどころが赤く染まったことも、紅茶で濡れてちょっと透けていることも気にすることなく、テーブルの上から椅子に戻す。
目に毒なので、そうしてもらえるのは非常にありがたい。
「針目なく糸もなく、亜麻のシャツを仕立ててちょうだい」
エインセルは椅子の上に膝立ちしたまま、そう歌った。
「風吹かず雨降らぬ空井戸でそのシャツを洗って、
アダム生まれし昔から花咲かぬサンザシにかけてかわかして、
熱した鉄でアイロンをかけて一つのまあるいひだを作って、
そのシャツを、貴方の誠意を私にちょうだい!」
そこまで終えて、くすりとエインセルが答えを待つように笑う。
ああ、呆けてる場合じゃない。
「……それでは天秤は釣り合わない」
返さなくては。沈黙は肯定の何よりの証になってしまう。
沈黙は金、雄弁は銀。なれど、それは人相手の話だし、そもそも流れに竿を刺さねば、ただ相手のいいように流されるだけだ。
「僕のために海の塩水と砂の狭間の一エーカーの土地を買い求めて、
雄羊の角でそこを耕し、一粒のコショウの種を一面にまいて、
そのコショウを革の鎌で刈り取り、孔雀の羽で束ねて、
石と石灰岩で荷馬車をあつらえ、赤い胸のロビンにひかせて」
無茶振りには無茶振りで返す。それがセオリー。
たとえば、「海に苺はどれぐらい?」と訊かれたら、「森のニシンと同じぐらい」と返すように。
「ネズミの穴に蓄え、貴女の靴の底で脱穀して、
貴女の掌で籾殻と分け、ろうそくも石炭もなしにそれを乾かして、
底なしの袋にそれを入れ、蝶の背に乗せた臼まで運んで」
使い古された言葉で構わない。
そうであればこそ、これらは振られた無茶振りを断るための無茶振りとして、真価を発揮する。
「海でもってそれを白く、きれいにして乾かして持ってきて、
そうしたら、貴女の言うシャツを渡しましょう」
精一杯、流れに沿うよう、エインセルの投げかけた言葉に対応しうる文章を並べる。
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