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1-1 逆さまの幽霊 side A
8 織歌の仮説2
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「ええっと、藤原氏との政権争いに負けて太宰府に流されて、天神様になった菅原道真?」
「そう。なんでテンジンになったか、知ってる?」
「政権争いに負けて、太宰府に流されて、そのまま亡くなったから……」
「それだけじゃないですよ」
塾れた様子で滔々と織歌は続ける。
「歴史物語の『大鏡』では、亡くなった菅原道真は都に戻り、内裏に雷を落としたとされています。事実として、当時の内裏では天皇が政務を行う清涼殿への落雷による人死にがあり、この落雷は隣接する儀礼用の正殿、紫宸殿にも及びました。当時、死の穢れ、死穢は忌避すべきものでしたし、この事件の影響で三ヶ月後に醍醐天皇は崩御されました。まあ、目の前で落雷による死人が出たショックたるやというところですね」
頬杖をついたロビンがその続きを受け持つ。
「つまり、この話は逆。発生したダイリへの落雷という起こるべからざる事実の理由に、そこまで事象を捻じ曲げるに相応しい人物として、スガワラノミチザネが引き当てられた。そして、その怒りを鎮めるべくテンジンとして祀られたわけ。ゴリョウ信仰ってやつだね」
「……な、なるほ、ど?」
真由の頭の中で、日本史の教科書で見かけた御霊信仰という文字と、ロビンの言うゴリョウ信仰が紐づくまでに一瞬のタイムラグが生まれたが、言わんとするところは理解できなくはなかった。
「怪談の側面にあるのは、そうした、そこで語られる、人知れず無念を遺しただろう幽霊への慰撫、つまり、鎮魂です。でも、このお話にそれに足るバックグラウンドの説明はない。いえ、最初に語られていた時には暗黙の了解として、そこにあったのかもしれませんが、今語られているこの怪談にそれはありません。それが語り継がれなかったのであれば、その人への慰撫それ自体が目的ではなかったと判断できます。だからこそ、この焼きつきの思念は、この生徒本人ではあり得ない、と私は考えます」
ところで、と織歌が小首を傾げた。
「真由さん、貴女はこの人影、どう見えました?」
「え、どうって……」
「オリカ」
真由は幾度目かの困惑にハマり、ロビンが窘めるように織歌の名を呼ぶ。
「あ、ちょっと範囲が広すぎましたね。貴女はこの人影が、男性と女性、どちらだと思いますか?」
そう言われて、真由はあまり思い出したくない記憶を辿る。
放送室の鍵を職員室に返してから、何故一階と四階を往復せねばならないのだと頭の中で恨みがましく思いながら、鞄を持って四階の教室から出て、いつものように西階段を降りようとして、そして、そこで見事な夕焼けの射し込む窓の外に違和感を覚えて――
「え……どっち……?」
鳥肌が立つのを我慢しながら思い返しても、思い出せるのは黒い逆さまの人影に浮かぶ、白と黒で構成された目だけ。
「ですよね。だってこの怪談で生徒の性別がどちらかなんて語られてないですもん。そこって、特に制服という制約のある学校であれば、シルエットであっても判別のつく、最低限の個性ですよね。この話、それが潰されてるとも言えるんです。徹頭徹尾、ただ『頭から飛び降り自殺した生徒』としか語られない。そして、私もそうですが、真由さんもそうでした。目撃した人間が性別を判別できない。それは、この人影自体にそれ以上の個性が付随していないと読み取れます」
で、と織歌が言う。
「その上で、です。私は今この人影の方を見ると、どうしても目の方に目が行きます。真由さんもそうだったでしょう。同時に、焦りと不安がせり上がって来ます。耐性のある私がこうなのですから、真由さんが靴の左右を間違えて昇降口から飛び出して来たのもわかります」
それを聞いたロビンが片眉を上げて真由の方をちらりと見る。
見られた真由としては、いや、靴の左右の話はいいじゃん別に、とそう思わぬでもない。
「そう。なんでテンジンになったか、知ってる?」
「政権争いに負けて、太宰府に流されて、そのまま亡くなったから……」
「それだけじゃないですよ」
塾れた様子で滔々と織歌は続ける。
「歴史物語の『大鏡』では、亡くなった菅原道真は都に戻り、内裏に雷を落としたとされています。事実として、当時の内裏では天皇が政務を行う清涼殿への落雷による人死にがあり、この落雷は隣接する儀礼用の正殿、紫宸殿にも及びました。当時、死の穢れ、死穢は忌避すべきものでしたし、この事件の影響で三ヶ月後に醍醐天皇は崩御されました。まあ、目の前で落雷による死人が出たショックたるやというところですね」
頬杖をついたロビンがその続きを受け持つ。
「つまり、この話は逆。発生したダイリへの落雷という起こるべからざる事実の理由に、そこまで事象を捻じ曲げるに相応しい人物として、スガワラノミチザネが引き当てられた。そして、その怒りを鎮めるべくテンジンとして祀られたわけ。ゴリョウ信仰ってやつだね」
「……な、なるほ、ど?」
真由の頭の中で、日本史の教科書で見かけた御霊信仰という文字と、ロビンの言うゴリョウ信仰が紐づくまでに一瞬のタイムラグが生まれたが、言わんとするところは理解できなくはなかった。
「怪談の側面にあるのは、そうした、そこで語られる、人知れず無念を遺しただろう幽霊への慰撫、つまり、鎮魂です。でも、このお話にそれに足るバックグラウンドの説明はない。いえ、最初に語られていた時には暗黙の了解として、そこにあったのかもしれませんが、今語られているこの怪談にそれはありません。それが語り継がれなかったのであれば、その人への慰撫それ自体が目的ではなかったと判断できます。だからこそ、この焼きつきの思念は、この生徒本人ではあり得ない、と私は考えます」
ところで、と織歌が小首を傾げた。
「真由さん、貴女はこの人影、どう見えました?」
「え、どうって……」
「オリカ」
真由は幾度目かの困惑にハマり、ロビンが窘めるように織歌の名を呼ぶ。
「あ、ちょっと範囲が広すぎましたね。貴女はこの人影が、男性と女性、どちらだと思いますか?」
そう言われて、真由はあまり思い出したくない記憶を辿る。
放送室の鍵を職員室に返してから、何故一階と四階を往復せねばならないのだと頭の中で恨みがましく思いながら、鞄を持って四階の教室から出て、いつものように西階段を降りようとして、そして、そこで見事な夕焼けの射し込む窓の外に違和感を覚えて――
「え……どっち……?」
鳥肌が立つのを我慢しながら思い返しても、思い出せるのは黒い逆さまの人影に浮かぶ、白と黒で構成された目だけ。
「ですよね。だってこの怪談で生徒の性別がどちらかなんて語られてないですもん。そこって、特に制服という制約のある学校であれば、シルエットであっても判別のつく、最低限の個性ですよね。この話、それが潰されてるとも言えるんです。徹頭徹尾、ただ『頭から飛び降り自殺した生徒』としか語られない。そして、私もそうですが、真由さんもそうでした。目撃した人間が性別を判別できない。それは、この人影自体にそれ以上の個性が付随していないと読み取れます」
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それを聞いたロビンが片眉を上げて真由の方をちらりと見る。
見られた真由としては、いや、靴の左右の話はいいじゃん別に、とそう思わぬでもない。
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