怪異から論理の糸を縒る

板久咲絢芽

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1-1 逆さまの幽霊 side A

5 膨らむは疑念

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そのまま、微動びどうだにせず、つまり窓の外から視線をはずすことなく、こちらに背を向けたまま、ロビンは言う。

「ボクらはの法則性を全て把握しているわけじゃない。全て把握なんかできない。そもそも科学における定義や定理と違って、完全には言語化や数式化なんてだし、科学自体も今この世界の全てをあばき出して言語や数式に落とし込んだ。だからこその神秘occultだ」

身じろぎ一つもしないロビンは、あの真由まゆを恐怖の底に突き落とした人影をこうから見つめ返しているのだろうか。

「それでも経験則けいけんそくから構築された手段を用いたり、を観測する能力のある者が反応を見ながらどうにかしてる。その上で一つ言えるのが、幽霊にしろ化け物にしろ、善き隣人達good fellowsにしろ妖怪にしろ、そう言ったものは、に存在しているだけの力と、こちらの観測にる志向性の付与との相互干渉によるもの、と考えられる」
「ここはあくまで先生の持論なんですけどね。でもそうまとはずしてはないはずなんですよ」

そう言いながら、織歌おりか真由まゆの背中をまたぐいぐいと押しながら、階段をのぼらせてくる。

「じゃあ、キミが見た、これに与えられてしまった志向性はなんだろうね」

かちゃりとロビンが眼鏡をはずす。

「マユ、キミはこれを見て恐怖した」
「……えっと、今私には見えない、です」
「オリカは?」
「何も」

ふうん、とロビンが言って、振り返らずにまたすぐに言う。

「じゃあ、マユ、後ろ向いて」
「え」
「また、コレを見たいならいいけど」
「は、はい」

あのぞっとする感覚を思い出して、あわててくるりと背を向ける。

「オリカ」

ロビンの呼びかける声の方向から、ロビンもまた窓から目を離したことがわかる。
つまり、今窓を見ているのは、さっきまで真由まゆななめ後方にいて、今はななめ前方にいる織歌おりかだけだ。
彼女はほう、と一つ息をついて言う。

「本当に逆さまの人影に目、という感じですねえ。これは突然見えて、しかも目が合ったらびっくりします……あと、少し不思議なのは、こう、なんとはなしに、不安とかあせりみたいなの、き上がりますね」

その織歌おりかはオレンジの陽射ひざしを浴びながらも、ほわほわとした雰囲気のまま、本当にちょっとびっくりしたという程度の反応を返している。
その様に真由まゆは、ロビンの意外としたたかという織歌おりかひょうを思い出した。

「つまり、これは普通、一人にしか見えないってことか」

ロビンの声がまた窓の方を向く気配がした。

「まあ、ボクみたいなものの目には意味ないわけだけど。マユは怖いならそのままでいいよ。で、オリカ、ね」

織歌おりかはこくりとうなずいて返事をする。

「ええ、はい、さっきからですから。でも私には。つまり、実質的な害はほとんどないです」

食わせろ。何が。
引き寄せられない。どういうこと?
じっと織歌おりかを見ていると、彼女はへにゃりと笑顔を浮かべた。

「言いましたよね。私は、護衛と言うよりは避雷針ひらいしんみたいなもの。基本的に害のあるものは私に吸い寄せられますし、私はそれを軽減して受け流せます。だからまあ、先生と会うまでは、人よりも小さい不幸に当たりまくってたんですけどねえ、鳥のふんとか」

真由まゆは、なんとなく織歌おりかしたたかな理由を垣間見かいまみた気がした。
けれど、とりあえず、この内容はに落ちない。
この起きてる事象と怪談はに落ちない。

「ええっと、害はない、んですよね。で、さっきのその、幽霊とかそういったものの正体についてのことからすると、お二人の見解では、それって幽霊じゃないってことになるんですよね」
「そうだね」

幽霊ではない。飛び降りたというその人の魂そのものではない。
真由まゆは背を向けて、自分の影を見下ろしたまま、手を強く握りしめた。
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