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第17話 信二のために

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【茜視点】

 



 初めて人のことを、そういう意味で好きになったのは、いつだろうかと……



 ふとしたときに、考えていることがある。



 保育園に通っていたときだろうか。そのときに優しくしてもらった、お兄さん先生に頭をヨシヨシしてもらっていたときだろうか……



 それとも母の一身上の都合で、幼稚園に通い直したときに、初めて言葉を交わした真っ黒な瞳がとても大きかった、無邪気な男の子だろうか……



 プールの時間に、男の子たちの裸をじっと見つめてしまったときからだろうか。



 今では名前を忘れてしまった男の子から『好きです』と言われたときだろうか。



 一時期、相手の女の子から一方的に胸を揉みしだかれる関係に、なぜかなってしまっていたときだろうか……



 興味とか、好きとか、愛してるとか、気持ちがいい……とか。



 広義で捉えた「Like」の違いって……



 具体的には何で決まるのだろうか。



 私は今でもあまり、その違いが分からないときがある。



 いや、今だからこそ、分からなくなっていると言ったほうがいいのかもしれない。



 果たして、今のこの感情は……



 「何」だろうか……




★★★★★★★★★★★★★★★★




「あっ……」




 終業式の時分。



 体育館で校長先生の長話を聞かされているとき。



 茜のポケットに入れてあったスマホが小刻みに振動した。



 茜はすばやく、スマホを取り出し、こっそりとその通知を確認する。



 そこには、修平の文字と……




『きょう合える?』



 

 と些か間違った日本語が表示されていた。



 普通なら、『きょう会える?』とするべきだ。



 普通の人がこの文面を見たら、おそらく送信者の知性を疑うか、誤変換だと思うことだろう。



 しかし、これには送信者側にとっての、明確な意思がこもっている。



 要するに……



 会うに、合体(性的な意味)の意味が付与されているのだ。



 掛詞とでもいうのだろうか……



 本当に気持ち悪い文面だなと茜自身は思っているが。



 修平はそれを全く気にせず、ふとしたときに、いつもそうやってメッセージを送ってくる。






 

 ごめん

 今日は終業式で放課後長いから彼氏と一緒にいるかも








 茜は改行して、そのような文章を送った。



 すぐに既読がついた。




『今日は多めにあげるからさ』




 修平からそのようなメッセージが送られてきた。




『でも…』




 …………




『今週のバイト代の半分』




 ……………








わかった

いつもの場所でいい?








 ……………




『いいよ。14時現地集合で』




 ……………








わかった

期末試験大丈夫なの?








 ……………




『過去問あるから大丈夫』

『そ』





 メッセージはそれで終了した。




 スマホの画面には茜の送ったメッセージについた既読が、誇張されたかのように映っている。



 そこには、まるで用無しになったかのような、茜の姿が映し出されているかのようだった。





(ふぅ……。ごめんね、信二。今日は途中でお別れだ。でも……これも全部は信二と私のためなんだから……。わたし、間違ってないよね。信二のこと大好きなんだから……。なにも間違ってないよね)





 茜はこっそりとまた、スマホをポケットのなかにしまった。



 校長先生の話はまだ続いていた。



 終わりが見えない、旅のなかにいるような気分だ。



 いつまで経っても、何の価値も、意味も見い出せない空っぽな時間。



 茜は、いまそんななかを漂っている、のかもしれない。




「心の琴線に触れるような、素敵な体験を積み重ねていってくださいね、みなさん」




 校長先生の話が断片的に耳に入っては、抜けて、を繰り返す。




(修平とのセッ●スが気持ちよくても……。ちょっと修平のこと好きになってても。もっともっと信二のこと大好きなんだから、別に大丈夫だよね。信二としたときのほうが、もっともっと何倍も気持ちいいんだから、私は信二のこと……。絶対に愛してるよね)




 茜は体育座りで強張った体を、ほぐしながら、体育館の天井を何の目的もなく見上げる。




(別に大学生とそういう付き合いしてる子、私だけじゃなくて、みんなしてるんだからさ。あの子もあの子も、隣のクラスのあの子だって。私だけじゃないんだから……)




 茜はそうして、どこに原因があるか分からない不安を紛らわす。



 不明瞭で輪郭のぼやけた不安が解消される、いや、解消されたように見えるのは、根拠のない正当性であることがしばしばである現実……




(夏休みに信二とたくさん、色んなところ行きたい、私の気持ちは絶対に間違ってないんだから……)




 …………



 …………




 思春期の迷走は、誰しも必ず経験をしている。



 しかし、そこには程度の問題がある。



 その迷走が、ときには収拾のつかない事態を引き起こしてしまうときだってある。



 果たして、茜たちの場合は……



 どうなのだろうか。





 茜……



 信二……



 修平……



 香住……



 西園寺佐奈……



 s/he の『気持ち』は一体どこに向かって、どこに落ち着いていくのだろうか。





「人生はその時代において、生きている場所において、臨機応変に考えていくことで、豊かなものになっていきます……」




 校長先生の話。




『みーんみんみんみんみんみん』



 

 セミの鳴き声。




「ザワザワザワザワザワ』




 体育館の側に植えられた無数の大きな木から聞こえる、葉擦れの音と生徒たちのささやき声。




 みんながみんな、それぞれの何らかの意思をもって、世界に干渉している。





「ふぅ……」




 茜のため息が、しずかに辺りに響いた。



 夏休みの気配がそこら中に、漂っていた……





★★★★★★★★★★★★★★






 昼過ぎの放課後。



 高校の正門にて。




「茜、おまたせ。今日はランチだけ一緒するって話だったけど」



 

 信二の元気な声が響いた。




「うん。ごめんね、ちょっと予定があって」

「そっか」

「どこで食べる?どこか良いお店見つけた?」

「ん~ちょっと待って。調べてみる、茜も調べてみて」

「うん、わかった」




 燦燦と照りつける真夏の太陽を避けるように、二人は正門の作った少しの影に入って、しばらくのあいだ立ち止まって……



 そうして、ちょっとしてから、周りの学生に溶け込むようにして……



 人混みのなかに消えていった。






【夏休み編へ続く】

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