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第13話 藤原香住の優雅な時間

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信二と茜が二人で映画をみながら、あれやこれやとお楽しみである頃から、少しだけ時はさかのぼり……



 信二がバイト先で知り合い、そしてお互いに惹かれ合ってしまった大学の先輩、藤原香住は大学の午前中の講義を終えて、一人だけ足早に平日の午後の休暇を楽しんでいた。



 入学した大学、進学した学科や専門領域によって、その忙しさや日々の時間的余裕には差こそあれど、高校生のときよりかは毎日を強制的に拘束されることはないのが大学生という名のモラトリアムを与えられた人間のもつ特権である。



 大学生という生き物は、比較的自由気ままに自分だけの時間をもつことができ、そして自由に毎日の行動を規定することができる。




「今日は書店巡りをして一期一会の出会いをするぞ~」



 

 香住は多趣味な女の子であるようだった。



 喫茶店巡りや書店巡りなどが趣味なところをみると、いかにも文学系寄りの趣味であることが理解できる。



 それもそのはず。香住は小さいときからの読書好きをかなり極めてしまい、大学では文学を専攻するためにそれなりに勉強して国立大学に入学したのだ。




『文学なんて滅多とお金にもならないし、暇つぶしに読む本のために、よくもそこまで人生をかけられるね……』



 

 文学を志す人なんて、普通の人じゃないことは確かに言えてる。実際にこのようなネガティブな意見を耳にすることは多い。



 しかし、それでも香住は先生や友達の言うことを押し切ってまでも、文学部を志した。



 経済成長とかお金とか、成功だとか出世だとか。そういう価値尺度で今までは世の中が語られてきたと、特にこの戦後から現在までの期間はそういう気風が蔓延っていたと、香住は感じている。



 そんな世の中の価値尺度で自分の幸せを他力本願で決めたくなかった。



 おそらく、香住のなかには、そういった思いもあったのだと思う。



 そして、そういった世俗的なしがらみに呑まれない人間になるために必要な場所が文学部だと、香住は信じてやまなかった。



 実際に、それが正解の道かどうかはわからない。



 しかし、頭で考えていても人生は決して前には動き出さない。



 正しいとか間違っているとか、そういうことはあとから後ろを振り返ることでしか、本質的には理解し得ないのだ。




「今日は小●急江ノ●線沿いの書店さんをターゲットにして……」



 

 香住はしばしば、行き先を路線で決定したりする。



 まだあまり乗り慣れていないところから見える、街の景色や電車のなかの人たちの雰囲気。



 その路線や街や人にしか出せない雰囲気を味わいながら、香住は書店を巡り、喫茶店を巡り、街や自然の景色を見るのが好きだった。





「書を捨てよ、町へ出よう」





 香住はそんな矛盾した言葉を小さく呟いて、大学からの最寄りの駅改札を通過した。



 それはフランス人作家の有名な言葉であり、特に香住の好きな言葉だった。



 本を読んで、街へ出て、また本に戻る。



 その繰り返し。



 そして、それを繰り返しをしていれば、何か幸せな人生を送れるような気がする。



 香住は最近ではそう思うようになっているのだ。




「今度は信二くんも誘ってみようかしら」



 

 香住はそう呟きながら、駅ホームに立つ。



 平日の駅ホームでさえも、人が濁流のように押し寄せる街、東京。




「今日も空が青いなぁ」




 ジメジメと蒸し暑い空気にみんなが顔をしかめ、3分程度の間隔でおとずれるあまりにも異常な電車間隔のこの慌ただしい街で慌ただしく生きる人たちのなかで。



 香住は今日も気分爽快に、その大学生のモラトリアムを一人で有意義に過ごしていた。



 道路の街路樹に一匹のセミが張り付き、せわしく鳴き続けていた……




★★★★★★




 香住はそれからというもの、3店舗ほどの書店を巡っていた。



 時刻はすでに夜の7時を過ぎている。



 今は江ノ島付近にある喫茶店に入り、書店で購入した本を読み、コーヒーを流しこんでいる。



 今までなら、門限がどうのこうのだとか、色々と悩んでいたことだろう。



 しかしながら、あの信二とのカラオケにおける日以来……



 香住の両親は、門限をなくし、香住が自由に動き回れるように、理解を示してくれたのだ。



 そしてまた、そろそろ大学生にもなったことだし……という感じで、香住との熱い話し合いの末に、全て自由に動いてもよいということになった。



 話を聞けば、両親ともに香住を束縛していたことに気づいていながらも、香住がそれに従っている間はそのままにしておこうと思っていたのだそう。



 なんとも自分勝手で、子どもの気持ちを何も理解していないかのような発言であったが、親としては、門限なんかを自分で破る子どもに育つくらいでないと、大人にはなれないという、なんとも捻くれた考えを持っていたらしい。



 娘から嫌われないための、親なりの言い訳を言っているように聞こえた香住ではあったが……



 …………



 他人からの思想の強要ほど、人を変え、人格をいつの間にか形成してしまう酷むごいものはない。



 香住は心底腹が立ったが、心根は優しいお嬢様気質なので、怒りはすぐに落ち着いてしまい、両親とは今まで通り普通に接していた。



 何があっても、拠り所となる場所を自分から手放すほど、香住という人間は強くない生き物みたいだった。。。



 しかしながら、はっきりと香住には、今までの両親としては彼らを見れなくなっていた。



 両親も人間なんだということ、正しいとか間違ってるとか、そういうことすらもわからない、悩みを抱え続けている一人の人間なんだということを、大学生ともなるとさすがに……心から実感したのだった。




 ………………




「愛とは、幸福ではなく、不幸を共有することだ」




 香住は今読んでいる本の一節を、口に出して読んだ。




(たしかに言えているかもしれないわ。不幸になればなるほど、人と人は強く結びつき、確かな存在になっていくと捉えることもできる。しかしそれができない人もいる。いや、私も実際にそんなことできるのかしら。。。こんなに気持ちいことで溢れている現代の消費社会で、私は……。短絡的な思考に走ってしまわないかしら)





 喫茶店の雰囲気に流されるように、香住は本の世界に没頭して、自問自答を繰り返していく。



 香住は自分を見つめ返したり、いまの日常的な行動を顧みることに読書を使ったりもしている。



 そして今回選んだ本は、そういう類たぐいのものだった。




(私は信二くん、あなたと、そういう不幸なことでさえも共有できる関係になれたらいいなって、そう思ってる…)




 湘南海岸にある小さな喫茶店のテーブル席にて。



 香住はそんなことを……



 考えていた。
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