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第3話 終わりなきエンド

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 健は今まで出したことのないような『絶望』の声を発した。

 それは、すでに再起不能になっていることの証左でもあるような……

 それを聞く者すべてが、健のことを心配するか、怪しい目で見るか、冷ややかな視線を送るか、おおよそポジティブとは言いがたい感情を他者に与えてしまう、そんな『声』を健は発していた。


「ぼ、ぼくは、いったい……どうしてしまったんだ?」


 震えが止まらない。

 それもそうだろう。

 いきなり、パクリだとか、なんだとか言って襲い掛かってくる『そいつ』がそこにはいたのだ。そいつはまるで、物語のなかに出てくるような、尋常じゃないほどのにあるように見えた。

 物語にでてくるような……?

 健は首をひねる。

 健はいまの自分の状況を確かめるように体を触り、景色を見て、考える。記憶をさかのぼる。事実としての記憶をさかのぼる。それを信じてさかのぼるしかなかった。

 物語に出てくるような…?

 もう一度、健は首をひねる。


「ぼ、ぼくは、いま、どこにいるんだ?」


 美礼の家の玄関前にいる。

 いや、そういうことじゃない。

 どうして、死んでもまた、ここにいるんだ?

 だから……

 だからさ……


「ぼくはいま、どこにいるんだ?」


 どうして、こんなおかしなことが起こる?

 現代科学では到底、証明できないような現象がいま、健の主観において、どうして観測されている?

 観測されている…?

 観測されていれば、それは現実なのか?

 信じてもいい世界なのか?

 信じる…?

 それは、なんだ?



「ああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



 駄目だ、全くわからない。

 どうしてぼくは、すでに2回も、同じことを繰り返している?

 なぜだ、なぜだ…?

 少しもわからない。

 ここは、どこだ?

 どこが、現実だ?

 どこが、物語だ?

 痛い痛い痛い…

 怖い怖い怖い…

 苦しい苦しい苦しい…

 死にたくない死にたくない死にたくない…

 


 ……

 ……

 ……


?????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????


 ……

 ……

 ……


 疑問符は健を汚染するかのような、そんな勢いで、思考を鈍化させていく。それは、またしても健を無条件の逃避へと誘う。逃避するしか能のない人間を生み出していく。逃避していることに気がつけないまま、同じところをぐるぐると、何度も繰り返し巡り廻っている人間を生み出してしまう。

 何も理解できないから、大衆が長いものに巻かれていくように。

 健もまた同じように、いまどこにいるかわからないから、彷徨った。何回も何回も……彷徨い続けた。

 ここがどこであるのかを、希求しながら。

 何回でも本質から目をそむけ続けた。

 本質…?

 健は本質を持ち得ている…?

 それはどこにある…?



 ……

 ……

 ……


 健は循環のなかに閉じこもった。

 逃避こそが目的になってしまっている、その循環の奥底へ沈んでいく。

 深く……深く……

 果てしなく、堕落していく。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 
 ……

 ……

 ……

 
 田畑健《たばたたける》は、の家の玄関前に立っている。遠くのほうで雷が落ちて、何かが弾ける音がした。天候は徐々に下り坂になろうとしている。


「もう疲れた。死ぬことにも疲れた。逃げることにも疲れた」


 健はそう言って、すでに何百回目かわからない『いま』を通過した。それは果てしない旅のような逃避だった。だから、ということなのだろうか、健は疲れてしまっていた。もう十分に逃げたということなのだろう。

 そして、ようやく健は何から逃げているのかを、初めて自覚し始めるのだ。

 不思議なことに、それは理屈では何も得られない『自覚』なのだ。心からの深い深い、納得の伴う『自覚』なのだ。

 逃げたからこそ、得られる『自覚』なのだ。

 ……と健はこころのどこかで、感じている。無自覚的に。無意識的に。ふとしたとき、将来の健が思い出すことになるだろう、そんな無意識的な感傷として、それは記憶に確実に刻まれていくのだ。思い出せないだけで、忘れてはいない、あの感覚に……なっていくのだ。

 
 健は合鍵を鍵穴に入れて、回した。ガチャリと鍵のあいた音がした。


「行かないといけない」


 どこへ?


「美礼の部屋へ」


 なぜ?


「確かめないといけないから」


 なにを?


「この目で美礼を」


 どんな美礼?


「僕は僕の目で見て感じたものや感情だけを信じなくてはならない。そしてそれはどこまでもあらないといけない」



 どうして、またそんなことを?



「そういう時代になってきてるんだよ」



 ????????????????



「これは僕だけの問題じゃない」



 ????????????????



「憶測が憶測を生む、そんな虚構のうえで滑り始めた世の中に住む、僕たちの問題だ」



 ちょっと、何言ってるかわからないよ。



「僕はもう十分逃げた。そして僕は、誰も傷つけなかった……と信じている」



 ?????????????????



「僕は正しく逃げたんだ…。そして、いまやっと前に進む方法がわかったんだ」



 健はドアを開ける。

 そこには美礼のただ一つのローファーが綺麗に並べて置かれていた。

 健はその横に自分の靴を脱いで、美礼の部屋へと上がっていく。



「それは、この世の中に正しく抗っていくしかないってことなんだ! 理不尽なこの世界から! そこから決して目を背けてはいけないんだ! 正しく抗うんだ!」



 健はそんなことを、誰に向けて言っているかも定かではない状況で、美礼の部屋まで駆けていく。

 そこには、希望があった。

 逃げ続けたことによる、相対的な、希望があった。

 それは、希望にしかなりえない、妄信だった。

 



「ぁぁぁんっ」
「おい、ここがいいんだろうっ」
「だ、だめぇ……」
「おらおらおらっ」


 NTRを確信した『情事の声』が健の目前で繰り広げられている。

 美礼の部屋のまえで、健は決意する。そんな言葉だけの想像を打ち消しながら……

 憶測が自らにもたらした破滅を、後悔しながら……

 ドアを勢いよく開け放った。


「美礼、おまたせ!!!!!」


 健はこうして、ドアの向こう側を、初めて自分で覗いた。

 そこにあった『本質』は……


「えっ!!!健くん!!!!」
「なっ……」


 そこには、AVを大音量で流しながら自慰をしている彼女の姿があった。大胆に下半身を露出させて、もうそれは、それは……激しく自慰してらっしゃる。

 美礼の真っ赤になった、存在が健の目に映る。。


「だめぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 美礼の声が張り裂けんばかりに、脳内に響き……

 そして……

 ……

 ……

 ……


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

「なんじゃそりゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 健は勢いよくベッドから跳ね起きたのだった。

 その刹那。


『たららんっ……』


 デスクトップPCから、カレンダーの30分前の予定の通知が鳴り響いた。

 健は目を擦りながら、夢心地のまま、予定を遠目で確認する。

 そこには……


===================

模試 勉強 美礼の家(コンドーム確認)

===================


 と書いてあった。


 デスクトップPCの液晶全体には、仮眠するまえに書き終えたWeb小説の作品が表示されていた。タイトルは……


『1年半付き合っていた大好きな彼女が寝取られていた。悲しみのあまり僕は逃げ出してしまった。そしてそこに待ち受けていたものは……』

 
 この作品はすでに完結しており、Web上にも全てが公開されている。

 まだ誰にもカミングアウトしていない、健の隠された趣味の一つが、そこにはあった。


「いや、何や、そのオチ……」


 健はそう吐き捨てて、今しがた見ていた『夢』の内容を朧げに思い出しながら、準備を始める。

 現実のなかで、準備を始める。


「でも、なんか、変な夢やったな。こんなん初めてや」

 
 健は、買いだめしてあるコンドームを何枚か取り出して、緩衝性のあるポーチに入れて、それをリュックに入れる。模試の勉強用教材も忘れずに詰め込み、糖分補給としてラムネも携帯する。

 その間に、ほとんどその『夢』は忘れてしまっていた。仔細は少しも思い出せず、『夢』の構造もすっかりと形骸化していた。

 いや、でもそうじゃない。そこであったことは忘れないんだ。思い出せないだけで…


「あれ……なんだ、この言葉? 誰の言葉だっけ…? 僕の言葉だっけ…? セリフって、誰のものなんだっけ…?」


 健はぶつぶつと独り言を言いながら、家を出た。

 体がふわふわと浮いた心地がする。その原因は少しも分からないが、あまり嫌な気もしない。

 それは、おそらくは、これから大好きな人の家に行くからであろうし、気分的に高揚しているからなのだろう。

 夏。

 35度を超える日々が続き、人々はそのなかを汗だくになりながら過ごしている。

 7月。

 少しずつセミの鳴き声が聞こえ始める都会の喧騒のなか。

 午後。

 健は青春の真っ盛り。恋の真っ最中。

 住宅街。

 健の足取りは速くなる。好きな人のもとへ急ぐために。もっと、もっと時間が欲しい。足りない、もっと、もっと。そんな思いを胸に、青春を謳歌する。

 そして。


 ……

 ……

 ……



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 
 ……

 ……

 ……

 
 田畑健《たばたたける》は、の家の玄関前に立っている。遠くのほうで雷が落ちて、何かが弾ける音がした。天候は徐々に下り坂になろうとしている。


「あれ……どうして……涙なんか」


 健はどういうわけか、涙をこらえることができない。

 意味もわからないまま、涙をこぼし、そしてそのまま合鍵で、美礼の家のなかへ入る。

 そこには、美礼のローファーと、もうひとつ。誰かの靴が置いてあった。


「どうして涙なんか……」


 健は溢れ出す涙で視界が滲んだ世界を、なんとかして歩き続ける。それでもなお、歩き続けなくてはならなかった。

 なぜ……?


 ……

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……


『あなたはいまどこにいるの?』


 心のなかで、が健に囁く。

 健はそのなかで……

 そのただなかで……

 歩き続けていかなければならなかった。


 ……

 ……

 ……


 健は美礼の部屋のドアノブに手をかける。

 そして、涙をぬぐって、その向こう側へ進んでいった。

 振り向かずに、進んでいった。


【完】
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