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無題.7

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 僕たちは何も本質的なことを判りえないのかもしれない。いくら親しい友達や恋人がいたとしても、それは当てはまるだろう。その人の何を一体知りえているのか、それについて考えたときに、往々にして僕たちは沈黙する。

 知り得た気になることはできても、それを完全に知ることはできない。その人の雰囲気をつかむことができても、その人の心をそのまま『つかむ』ことはできない。なにもかも、すべては表面的なところで回っている。かの有名なプラトンの空想のように、本質の影のようなものをただ、本質であると思い込むことによってのみ、私たちはその生を全うすることができるのかもしれない。

 いや、そもそも本質こそが、影なのではないか。それでは、その影の『もと』になるものはどこにあるのか?

 ……

 ……

 ……

 定理が公理をもとにしてその世界を構築していく様子と、僕たち人間がその一生を自らの信念をもとに築き上げていく様子には似たところがあるように思う。そして、その信念がどれだけ理路整然としていようが、していまいが結局のところ人間にとっては関係のないことなのだろう。そこにおいて大切なことは、往々にして結果に付随する様々な感情なのだろう。過去に対するいろいろな意味における執着なのだろう。

 影ともいえる、第一番に認められることに存在意義がある公理から積み上げられる世界と、ぼんやりとした影のような過去から構築される人の一生と。

 その様々なる世界たちは、その虚構を有機的に複雑に、決して混ざることなく表面的に僕たちのうえを滑るだけ滑って、通り過ぎていく。いや、『いち個人』として、それらを通り過ぎていく。だからこその、思い込みなんだろうと思う。それが人であれ、人が生み出した虚構であれ、同じことだ。

 うわべだけの交わりしか為し得ないという思想が、思い込みによってこそ幸せになれるという極論の生じる根底にあるもの、すなわち厭世主義の一部分に繋がっていくのだろう。

 ……

 ……

 ……

 僕は基本的にそのような考えのもとに生活をしている。本質的なことは何もわかりえない。だからこそ、誰も心から信用していない。しかし強く誰かを信用したい、こころから信頼したいという希望をもって生きている。

 そしてそれは、言うまでもなく真理へ求める理想でもある。


「真理が言っていたことを信じようとすることはできる。しかし、だからといって真理は本当のことを言っているとは限らない。僕が真理との関係をより良くするための方法は、信じようとする姿勢がまず前提条件として存在する。しかし、それは二度と疑いを持たないということにはならない。むしろ信じようとする思いが強ければ強いほど、より疑いという概念はその面倒くさい頭に、ちらついてしまう。」


 僕はあのとき、少しの引っ掛かりがあった。真理が僕の疑いを道徳のようなもので打ち消そうとしたときから、それはずっと僕の心のなかで一つの黒いドロドロのヘドロのようなものとして、鎮座している。


「信じるという行為のみで成り立つ関係など、どこにもないのかもしれない。二項対立の概念。世界を簡略化しすぎた弊害により、人類の言語体系によって生み出された僕たちの思考が、人生が、道徳が……氾濫を起こしている」


 信じるという概念領域においては、なおさらそれ単体での存在は難しい。それでいて、疑うことに対して、無条件の悪徳が付きまとう。自分自身への中傷が著しい。ポジティブとネガティブと。正義と悪と。世の中が単純になってしまうことによる、アイデンティティの崩壊。道徳の矛盾。表面的な世界という感覚。厭世主義。。。

 おそらくすでに、ずっとずっと前に、世界を簡単に切り取ろうとしてしまった段階から。僕たちの世界はさらにその『本質的なもの』を奥深くへ隠してしまったのだろう。

 そしてその本質的なものを求めて思考する存在こそが、すでに世界というなかにおいてエラー的存在なのであろう。この『体系』において存在する僕たち人間の歴史的悪あがきなんだろう。『ありもしないもの』を構築してきた歴史を無意識に、あるいは意識的に学ぶことで、虚構を運営しているのだろう。


「どうすればいいんだ。僕は一体、何を学び、何を通して、真理と関わっていけばいいんだ。なにもなにも、絶対的な正解というものがないなんて言わないでくれ。どうすれば僕は選択することができる?日々の行いに対して自分を褒めてあげることができる?僕はあのとき、真理に問い詰めたあの瞬間、果たして、あれでよかったのか?あのまま彼女を何事もなかったかのように、抱いてしまってよかったのか?いや、抱かれてしまってよかったのか?わっわっあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 ……

 ……

 ……


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 ……

 ……

 ……


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 僕はベッドから転がり落ちた。

 叫びながら。

 それでいて、何に対して『叫んでいた』のか理解し得ないまま。

 そのぼんやりとした睡眠のなかにおいてきた、不鮮明な思考をもどかしく思いながら。

 ……

 ……

 今日もまた朝がきた。

 僕のなんでもない一日が、また始まった。


「僕は何を考えていた?」


 だんだんと、何もかも忘れていく。

 思考も言葉も感情も、なにもかも、全て。

 そのぼんやりとした生命としての、構造上の、不安。

 どうしようもない、宿命。

 それを繰り返して日々は回っている。

 様々な形による忘却。

 ……

 ……

 ……


「今日は真理と夜に会う予定だ」


 僕は、そう呟き起き上がる。

 心のなかに感情が湧き上がる。

 なんとなく、いい日になりそうな予感がした。


「今日はいい天気だ」


 日光を浴びた僕の体が、生きることを求めているような気がする。


 そんな、穏やかな朝の情景


 ……

 ……

 ……

【To be continued】
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