狼少女のタカラモノ

橘 志摩

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5.そのお店

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「お疲れ様です」
「お疲れ様でーす」

 タイムカードを押してから会社を後にする。
 営業周りのあと直帰ということも多々あるが、デスクで書類仕事を進めなければいけない時もある。

 直帰でない時は比較的早く家に帰れるので、書類仕事も嫌いではない菜摘にとっては少しだけ嬉しくなる日だ。
 もちろん外回りが嫌いという訳ではなく、中には面倒な取引先もあることはあるが、人と関わりをもつ仕事は楽しいし、苦手ということはない。

 嫌だと思うことが少ないというのは菜摘にとってその仕事が比較的向いているということになるのだろう。
 彼女自身そこまで気にしたことはないが、人当たりはいいのだ、それは同僚の誰もが認めているところだった。

 電車を乗り継いでようやく帰り着いた地元の駅に降り立ち、深呼吸を一つ。
 住み慣れた自宅に戻るまであと少しだ。改めて気合を入れるように息を吐き出して歩き出した。

 見慣れた風景に、歩きなれた道。
 彼女はもうずっと幼い頃からこの街で暮らしてきた。

 それこそ記憶のないような年頃の頃からだ。
 物心着いた時にはもう、隣に悠一がいたような気がする。

 家が隣同士、二つ年上の男の子は、気が付いた時には頼りになる「お兄ちゃん」だった。
 幼い頃の彼女は、それこそ構って欲しくて、ちょこまかと彼の後をついて回った。

 大きくなるに連れて、その行動は落ち着いたけれど、悠一が菜摘にとって頼りがいのある「兄」であることは変わりなかったし、今でもそれは変わりない。
 多少「口煩い」と思うことはあれど、それでも大好きな兄だ。

 その兄と、どうして、関係が途切れてしまうかもしれない恋人同士になれるのか。
 おまけにお互い恋愛感情はない。それなのにどうしてあの選択肢が浮かんだのか、菜摘にはそれが一番わからない。

 世間によくある漫画や小説のような、「初恋の相手の幼馴染が実は好きでした」なんて胸がときめくような話もない。
 確かに思春期にはその関係に憧れはしたが、悠一はいつだって「兄」で、頼りがいのある「ゆうちゃん」であることは変わらなかったのだ、そんな相手をいきなり「男」としてみろという方が無理があると菜摘は思う。

 数分歩いて差し掛かったその店の前で、彼女の足が自然と止まった。

 もし。
 もし、ゆうちゃんを男として見れる日がきたら、私はあの人に恋をするのだろうか。

 沸いた疑問に、窓越しの厨房に小さく見える、その人の姿。
 見える景色は今までと変わらないハズなのに、どこか違うような気もする。
 ぼうっとしながら窓越しの姿を見つめていると、見慣れた顔が窓の前に現れて、思わず肩が跳ねた。

 手を振ってくれたその女性がにっこりと笑みを浮かべて、菜摘に手招きをする。
 はいってこいということなのだろう。忙しかったら申し訳ないと立ち寄る気はなかったが、見つかってしまってはどうしようもない。

 見たところ忙しい訳ではないようだし、少しぐらいなら大丈夫かと、未だ笑みを浮かべたまま手招きしてくれている悠一の母に小さく頷いてからそのお店のドアを潜った。

「おかえり~、菜摘ちゃん。久しぶりだねぇ!」
「こんばんは、おばさん。ごめんね、忙しい時間に」
「あぁ、いいのよ、ピークまではまだあるから! どうせならご飯食べていきなさいよ~、今から帰って作るんじゃ面倒でしょう? たまには悠一の料理食べて審査してやってちょうだいな!」

 接客業をしているからか、今が仕事中だからか、悠一の母はすこぶる元気だ。
 空いてた奥まった場所にある席に腰を下ろしつつ苦笑し、何がいい? と差し出されたメニューを受け取った。

 何度も来ているお店のメニューは勝手知ったる何とやらだ。見慣れないメニューは、ここ最近増えたものなんだろう。その味も気になったが、今日は慣れ親しんだ昔ながらのお店の味が恋しくて、結局ビーフシチューを注文する。

 キッチンにオーダーを通したおばさんは、新しく入ってきたお客様を席に案内しにいった。
 取り残された菜摘はといえば、小さく息をはいて最初に運ばれてきた水を口に含む。

 ここ最近は忙しくてこれてなかったなと、店内を見渡しながらそんな事を思った。

 そして彼女が待つこと数分。
 頼んだビーフシチューを運んできたのは、厨房にいなければならない筈の悠一だった。

「お待たせ」
「…あ、りがと…。いいの? 厨房から出てきちゃって」
「これぐらいなら親父一人でも回るからなぁ。問題ない。それよりお前の事送ってけってうるさい」

 苦笑しつつ、椅子の背もたれに手をおいて前かがみ気味に覗き込んできた彼の言葉に、思わず笑ってしまう。
 昔からではあるが、彼は本当にご両親には頭が上がらないらしい。

 店内にお客様は私以外を考えればひと組しかいないし、おじさんだけでも問題はないのだろう。
 そう納得して、菜摘は彼が持ってきてくれたビーフシチューに手をつけた。

「――――……おいしい……」
「だろ?」
「うん、すごくおいしい! 急にきたら迷惑かなって思ってたんだけど、これ食べれて全部とんじゃった」

 思わず浮かんだ笑みそのままに、感情を口上に乗せると、悠一は誇らしげに笑った。

「それ、俺が作ったんだ」
「えっそうなの? ビーフシチューって昔からおじさんだけしか作れないものじゃなかったの?」
「少し前まではな。ようやっとオヤジからお許しがでて、俺が作れるようになったんだよ」
「へえ…! すごいねゆうちゃん、これ、ずっとずっとおいしい」
「俺が作ってるんだから当たり前だろって。それよりお前、飯とかは? いるならパンか飯か、持ってきてやるけど」

 そう言って、椅子に体重をかけていた彼が状態を起こして腰に手を当てた。
 その言葉に甘えてご飯頂戴とねだると、彼は「まかせろ」と笑って、一旦厨房に戻っていった。
 そしてすぐにご飯の入ったお茶碗片手に、菜摘の席まで戻ってきた。

 差し出されたご飯を受け取って、おかずとなったビーフシチューを堪能する。

 こんな料理上手な人が彼氏だったら、きっといつも幸せなんだろうななんて埓のない事を考えてしまった。

「それ食ったら送ってくから、教えろよ。お前が食い終わるまで仕事に戻るな」
「あ、うん。わかった。ありがとう、ゆうちゃん」
「お礼言われるような事じゃねぇって。あぁ急がなくていいからゆっくり食えよ? な?」
「大丈夫だってば、そこまで子供じゃないよ! 早く仕事戻りなよ!」
「はは、わかったわかった」

 笑いながら厨房に戻った彼の背中を見つめてため息を一つ。
 自分からあんな戸惑いしか産まなかった言葉を忘れてしまっているかのようだ。

 スプーン片手に頬杖をつきつつ、カウンター式になっている厨房に立ち、オーダーをさばき始めた彼の姿に、菜摘はまた、溜息を一つついた。

 どうせなら、彼がここまで頼りがいのある兄でいないでくれたら、この問題もさっさと片付きそうなものだけれど。
 でも今更、そんな幼馴染がいなくなるのもいやだ。

 それならば、やっぱり、お互いにお試しで付き合ってみても―――……

 それを考えて、だがそのすぐ後に、小さく首を振ってから、笑ってしまった。

「ま…私そこまで器用じゃないし、ね」

 小さな頃から植えつけられた意識が早々変わるとも思えない。
 やっぱり、忘れた方がいいのだろう、あの言葉も、悠一の態度も。

 もう何度目かわからない溜息をこぼして、菜摘は止まってしまっていたスプーンを動かし始めた。



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