狼少女のタカラモノ

橘 志摩

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17.「挨拶」

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 行くことを先にメールしておいた方がいいかなと金沢に断ってから悠一にメールをいれた。
 仕事中、しかも今は、忙しい時間帯だろうからすぐには見れないだろうとは思ったが、何も言わないで行くよりはマシだろうと考えたのだ。

 今から向かってもまだ忙しいかなと、頭をよぎったが、今日は試食で行くわけではないし、お客様としていけば大丈夫だろう。
 地元の駅を降りて、金沢と雑談を交わしながら歩く。
 駅からそれほど距離はないから、店にはあっという間についた。

 窓の外から覗くと今日は忙しいみたいで、少しだけ入るのに気が引けたが、金沢に「どうしましょう」と声を掛ける前に、悠一の母に見つかった。

「菜摘ちゃんお疲れ様ー。どうしたの? すぐに入ってきたらいいのにー」
「あ、や、なんか忙しそうだったから…入っても大丈夫?」
「いいわよー、菜摘ちゃんだったらいつでも大歓迎! 悠一もお父さんもいつも待ってるんだからー。今日は二人でいいのかしら?」
「あ、うん。ごめんねおばさん」
「謝らないでって、来てくれるの嬉しいんだから!」

 悠一の母はいつでも明るくて、その明るさに罪悪感は消されてく。
 金沢にいらっしゃいませと声を掛けるおばさんの後について店内に入ると、店の角の席に案内してもらえた。
 できれば悠一にも声をかけたいが、今は調理場の方が戦場だろう。

 少し手が空いたら声をかけにいけばいいかなと、少し辺りを見回してからソファに腰をおろした。

「結構広いお店なんだね?」
「あ、はい。悠一…ゆうちゃんがお店に戻ってきてからおじさんが…あ、ここのオーナーが少しだけ改装しようって、広くしたの」
「へー。でもこのキャパのお店で繁盛してるってことは、それなりに儲けも出てるのかな。すごいね、今飲食は大変だって聞くけど」
「おじさんの料理もゆうちゃんの料理も本当に美味しいからだと思いますよ。クチコミで評判にはなるくらい」
「ふーん」

 メニューを開きながら会話して、菜摘はビーフシチュー、金沢はデミグラスソースのオムライスを注文した。
 きっとどっちも悠一が作るのだろう、メニューの担当は聞いている。
 おじさんの料理も美味しいし、食べて欲しいとは思ったが、菜摘は何故か、悠一の料理を食べた金沢に美味しいと言ってもらいたいと思った。

「倉本さんがそれだけ美味しいっていうから、今俺めっちゃ期待してる」
「ふふふー、絶対美味しいっていうと思いますよ。私ゆうちゃんの料理すごい好きだから」
「へえ」

 頬杖をついた金沢はどこか楽しそうだ。それが料理を楽しみにしてくれてのことだったらすごく嬉しい。
 菜摘はメニューを閉じて、出された水に口をつけた。

「あ、お酒とか頼んでも大丈夫ですよ。ワインも置いてあるし」
「うーん、でも明日も会社あるし、やめとく。それに料理の味も堪能したいし」
「あぁ、そっか、金沢さん明日も外回りですっけ?」
「そうそう。営業職の宿命」

 金沢の言葉に、昼間自分と考えていた事とまるで同じだと笑ってしまう。
 彼も彼で自分の言った言葉がおかしかったらしく、一緒に笑った。

「菜摘」
「…ぁ、ゆうちゃん」

 そんな会話を遮るように名前を呼ばれて、菜摘が顔を上げると、そこには客商売にはあるまじき仏頂面をした悠一が立っている。
 その表情に少しだけびっくりしたが、気にしないようにして「お疲れ様」と声をかけると、「おう」とこれまたぶっきらぼうな答えが帰ってくる。
 今日は機嫌、悪いのかななんて思ったが、あまり気にしていても金沢に申し訳ないし、と努めて明るい声をだした。

「ほら、飯」
「あ、ありがとう」
「――…お客様はオムライスでよろしかったですか?」
「…えぇ」
「お待たせいたしました」

 接客スマイルを浮かべた悠一はいつもの営業中の悠一となんら変わりないはずなのに、どこか怖いように感じてしまう。
 それは菜摘だけだったのか、金沢はいたって普通に答えている。
 機嫌が悪いと思ったのは気のせいだったのだろうか、首をかしげて悠一をじっと見つめていると、どこか真剣な瞳を向けてきた悠一に息を呑んだ。

「…今日、仕事終わったらお前の家いくから、ちゃんと起きてろよ」
「…あ、う、うん、わかった…」
「…もう、家まで行き来されてらっしゃるんですか? 付き合い始めたのは最近だとお伺いしてたんですけど」
「え、」
「菜摘とは幼馴染みでもありますから。それが何か?」
「いえ」

 金沢はにっこりと笑みを浮かべて悠一と対峙している。もちろん、お客様である金沢に悠一が仏頂面を向けることはなく、二人共笑顔で会話している。
 そのはずなのに、空気が酷く重い。

 おまけに金沢が口にした言葉に敏感に反応したおばさんの視線も痛い。
 彼に口止めを忘れていたのは菜摘の落ち度だが、これではせっかく隠していたのもすべて水の泡だ。

 どうにも居心地が悪く、いたたまれない菜摘をよそに、二人の空気は更に剣呑なものになっているような気がした。

「あっあのね、ゆうちゃん! こちら同僚の金沢春樹さん! ほら、こないだ会社に来てくれたときあったでしょう?」
「あぁ。…その節はどうも。菜摘の彼氏で幼馴染みの、潮見悠一です」
「金沢春樹です。よろしく、潮見さん」

 悠一がはっきりと「彼氏」と口にした瞬間、おばさんの視線が俊敏にこちらを向いた。
 その動作に気がついたのは菜摘だけだろうが、冷たい汗が背中を流れ落ちていく。
 おまけに空気は最上級に重い。

 早くこの場から逃げ出したくて、菜摘は慌ててスプーンを手に取った。
 頼んだビーフシチューは熱くて、口の中に運ぶだけでも結構辛いものがあったが、背に腹は変えられない。

 悠一が調理場に戻ってから、会話もそこそこに菜摘は急いで食事を終えた。


 ◇◇◇◇◇


 会計時、何かを聞きたそうに視線を向けてきたおばさんの無言の圧力を全力で無視して、金沢と店を出た。
 まだまだお店は忙しそうだったし、悠一は調理場を抜けられないだろう。いつものように送っていく送っていかないの問答はなく、おばさんもあえて言い出さずにいてくれた。
 おそらく金沢が一緒だということもあるのだろうが、今日の悠一は機嫌が悪いので間違いないだろう。

 後で来るとは言っていたが、流石にあの悠一と帰り道を二人きりでは気まずい。
 今店内が忙しいことに心のそこから感謝した。

 店の前で「駅まで」と言った菜摘に対し金沢は「いいよ」と笑って「ありがとう」とお礼を口にした。

「本当に美味しかったよ。また来たいって思うくらい」
「でしょう! ゆうちゃん、本当に料理うまいから、きっとおじさんの跡継いだらもっともっと忙しくなると思うんです」
「…だろうね。…まぁ、強敵であることには変わりない、か」
「え?」
「なんでもない。潮見さんに挨拶できたし、俺は一人で駅まで帰れるから、倉本さんもあんまり遅くならないうちに家に帰りなよ。今日は本当にありがとね」
「あ、いえ。…金沢さんも気をつけて、また明日会社で」
「うん、じゃあね」

 ちゃんとは聞こえなかったが、強敵ってなんのことだろうか。
 駅に向かって歩いていく金沢の後ろ姿を見ながら、菜摘は首をかしげた。




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