狼少女のタカラモノ

橘 志摩

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12.甘い空気と優しい仕草

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「あーあ、お前何してんだよ」
「なっだっ…誰のせい…!」

 大きな音を立てた食器はシンクの中で無残に砕けている。
 幸い菜摘に怪我はなかったが、彼女より身長の高い悠一が背中から覆うようにシンクを覗き込んでいて、体勢的に菜摘は酷く辛いが、だからといって押しやるだけの余裕は全く残っていなかった。

「怪我は? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫…っ」

 掌をきゅっと優しく握られて、手持ちおた泡を優しく流して落とされた。
 だが自分の手よりも大きいその掌は離れてはいかず、悠一は何かを見聞するようにじっと菜摘の掌を見つめ、指を撫でている。
 耳元を擽る悠一の吐息が、菜摘の心臓を落ち着かせなくさせていた。

「ゆ、ゆうちゃん、大丈夫だからっ!」
「ん?」
「ど、どどどこも、どこも怪我してないから! はっ離して!」
「……何、お前、照れてんの?」
「っこっこんな格好照れない人の方がおかしいから!!」

 どこかからかうような色を声に混ぜて、楽しそうに笑うその男にむっとした。
 だから、言い返そうと、菜摘は勢いよく顔を後ろに向けたのだが、振り返ったことに後悔したのはそのあとすぐだ。
 あまりにも近い距離に、幼馴染の顔があって、思わず息が詰まる。

 それ以上の言葉が紡げなくて、息を飲んだまま黙り込んでしまっていると、先に動き出したのは彼の方だった。

「―――……菜摘、隙だらけ」
「い、意味わかんな…ん、ぅ…っ」

 男の人の掌に頬を撫でられて、優しく抑え込まれる。
 重なった唇に答えるか答えないかを考える前に、唇をこじ開けられて、熱い舌が口内に入り込んできた。

 キスを受けるのはこれで3回目だ、そして、菜摘にとって、悠一と交わすキスの中で、一番深い。
 舌が絡んだことなどなくて、こんなキスをするなんてまったく考えてなくて、それなのに、まったく嫌じゃない。

 そのことが更なる混乱を呼んでいるのに、それでもこのキスを、自分から辞めたいとは、菜摘には思えなかった。

「ん、…ぁ、ゆ、ぁふ…っ」
「…ん、…もっと、舌だせ、菜摘」
「んんっ」

 ぴちゃ、と、舌の絡む音が耳を刺激する。
 キスだけなのに、ただキスしかしていないのに、菜摘の身体からはどんどんと力が抜けていってしまう。
 シンクに身体を預けるように寄りかかり、上半身だけをねじった状態で激しいキスを受け止めるには限界がある。

 菜摘は震える腕で自分の身体を支えていたが、それもあっけなく力尽きてしまう。
 絡まった舌を強く吸われて、ガクンと膝が崩れてしまった。
 その身体を支えたのは紛れもなく悠一の力強い腕で、引き寄せられると同時に身体の向きを正され、ぎゅっと抱きしめられている。

 彼のシャツを、菜摘がきゅっと握ると、その口づけがいっそう激しくなったような気がした。

「…ぁ、ふ、ぁ…っ…ゆ、いち…っ」
「菜摘…すげー、色っぽい…」
「ん、ぁ…っ」

 片腕だけで腰を抱きしめられて、もう一方の腕は自由に動く。
 二の腕を撫でられ、背中をさすられて、耳の後ろを指でくすぐられる。

 それだけのことなのに、それだけのことが、菜摘の身体に信じられないほどの火をつけていった。

「や、も、」
「…もうちょい」
「ゆ、いち…っおねが…っ!」

 このままじゃ、おかしくなる。

 そんな危機感を覚えたのは、得体のしれない、キスから与えられる快感が大きすぎたせいだ。今までキスだけで、こんなにグズグズに溶けてしまうことなど、なかった。
 漸く唇が開放されて、はっと、熱い息をこぼしてしまう。
 そんな菜摘とは対照的に、悠一はいたって平然としていて、未だ菜摘の頬と言わず、ひたいと言わず、顔中にちゅっちゅっと音を響かせてキスの雨を降らせていた。

「…なっ…なんで…っこんな…っ」
「…嫌だったか?」
「…い…いやでは、なかった、けど…」
「ならよかった。…悪いな、お前があんまりにも可愛くて、我慢できなかった」

 もう一度額に口づけられて、かけられた言葉の意味を理解して、菜摘の顔はもう何度目か、数えていられないほど真っ赤に染まった。
 どうして悠一は、こんなに何度も私を可愛いというのだろう。ついこの間までは、二人の関係を表す名称が変わる前までは、憎たらしいとか、可愛くないとかばかりを連呼していた癖に。

 菜摘に態度を変えた記憶はない。変わったとするならば、間違いなく悠一の方が、だ。
 彼女は大事にするし、優しくすると言っていた言葉に偽りはないだろうが、こんなふうに気まぐれで激しいキスを求められるのは、色々な意味でしんどい。
 何より、悠一とのキスは、今まで経験してきたキスのどれにも当てはまらず、ただただ気持ちいいと感じてしまうようなものだった。

 悠一は未だ力の入らない菜摘の身体を抱きしめて支えたまま、背中を優しく撫でている。
 流れる空気が甘くて、甘すぎて、優しくて、こんなふうに、大事にされているような感覚は初めてで、菜摘はどうしていいのか戸惑うことしかできない。

 心臓が壊れたように激しく動いていて、苦しくて苦しくてぎゅっと瞼を閉じると、ふっと頭上で微かに笑う気配がした。

「…お前さぁ、本当、詐欺にも程があるだろ」
「…は? え、何がっ! 詐欺なのはゆうちゃんじゃないの! な、ななんで、こんなっ」
「何がだよ、俺は最初っから言ってたろー。彼女は大事にするって。菜摘は俺の彼女だからな、言葉に偽りなく大事にしてるだけだ」
「…っ…ば、ばか! て、…手加減ぐらい、してよ!」

 私が、初心者だって知ってるくせに、そう菜摘が小さく呟けば悠一はやっぱり楽しそうに笑って、そのまま菜摘の膝裏に腕を回してぐっと彼女の身体を持ち上げた。

「うああっ何! なな何!?」
「いいから黙ってろって、お前も今日はおやすみ。片付けは後で俺がやってやるから、今は俺と一緒にイチャイチャする日」
「な、い、いちゃいちゃって…!」

 なんで、悠一はこんなに甘いんだろう。今までにないくらい私、甘やかされてる。
 そんな空気を感じて、それがくすぐったいと思うのに嫌じゃない。

 相手が昔から知っている悠一だからだろうか、戸惑いは感じているが、気兼ねしていることはない。
 なんだかほっとしている自分がいるのも確かだった。

 彼がソファに腰を下ろして、その膝の上に身体を抱き抱えられてしまう。
 これでは逃げられない上、身動きが取れない。

 ぎゅっと悠一の身体と密着している自分の心臓の音がどうか悠一に伝わりませんようにと、菜摘はただそう願うことしか出来なかった。


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