水晶の夜物語

あんのーん

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#10 峠の午後3

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「おじさん、海って知ってる?」
 山菜を摘んだ帰り道、スアンが訊ねた。
「知っていますよ、海辺の街も旅したことがある」
「本当? 私海って見たことない……大きな湖みたいなもの?」
 スアンの目が輝いた。
「わっしも見たことはありませんが」
 ヨウは笑いながら答えた。
「そうですね、川のように流れがあって、向こう岸が見えない大きな湖のようなものでしょうか。多分嬢ちゃんが考えているより、ずっとずっと大きいですよ。向こう岸はわっしらが知らない国で、大きな船がないとたどり着けないそうです」
「船……」
 スアンは川で見かける渡し船を思い浮かべた。いくら思いを凝らしても、彼方へ続く水の上をどこまでも行く大きな船、というものが、どうしても想像できないのだった。
「私達のご先祖は、海から来たんだって。おじさんは知ってた?」
 再びスアンが訊ねた。
「ええ、聞いたことがあります。海に浮かぶ国があったと」
「私達は海から来たのに、私は海を知らない……」
 スアンは夢見るように続けた。
「見てみたいなあ、海を……。 遠い、どこか知らないところに行ってみたい……」
「…………」
 帰るべき故郷、待ってくれている家族があれば、旅はたしかに楽しいものだろう。だが俺の旅は、そうしたものではなかった……。
 寄る辺のない漂泊の旅。ヨウはカナルの民を思った。
 彼らの「旅」も、同じようなものだったはずだ。ヨウは旅に無邪気に憧れるスアンに、微かな痛みとともに愛おしさを覚えたのだった。
 スアンもそれ以上何も言わず、ふたりは無言で帰路を辿った。

 のんびりと山を下り集落の入り口に戻ってくると、門にたどり着く前に門番がふたりの姿を認め、叫んだ。
「スアン! 無事だったか!」
 見ると目の色が変わっている。
「……え?」
 スアンはきょとんとしていたが、ヨウは敏感に異変を察していた。
「早く入れ、おまえの家にみんな集まってるから、お御堂に行くんだ。ハクもお御堂にいるから」
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