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第三章 大型新人
お出かけ
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「編集部員が増えるのはいいけど、なんだかなあ」
佐和子は雨の中、都内の美術館に来ていた。近代的な網目状の外壁デザインが目を引くこの建物は、有名な建築家によるものらしい。ここしばらく仕事しかしていなかったので、たまには休日に出かけてリフレッシュしようと思い立ち、今日の展示を知ってここまでやってきた。
あの日、宗太郎が連れてきた鈴華を前にした永徳は、明らかに動揺した顔をしていた。もしかすると、人員不足対策については彼なりに考えていたことがあったのかもしれない。飄々としていて、サボっているように見せかけておいて、あとから解決策をきちんと出してくるのが編集長、笹野屋永徳である。
今回は、想定外に宗太郎が解決策を持ってきてしまったことで、咄嗟にあんな顔をしたのではないだろうか。それとも鈴華に対して何か懸念があるのかも。
––––まあ、私があれこれ考えても仕方ないか。化け猫って言ってたけど。どんなあやかしなのかしら。敏腕ライターって宗太郎さんは紹介してたけど、そんなに界隈では有名なのかな。
美術館の入り口には長蛇の列ができていた。あやかしを題材にした漫画家の原画展なのだが、かなり人気のよう。これまで興味を持って見てこなかったため知らなかったが、世間では「あやかしコンテンツ」は流行り物の一つのようだ。
人間が作り上げたあやかしコンテンツを鑑賞することが、果たして今後の編集記者としての仕事に役に立つかはわからないが。アンテナを常に張る精神は、記事を書くものとして大事なのだと教えられた。興味を持ったらまず行動すれば、今より広い世界が見えるはずだ。
鈴華の出勤日は来週月曜からとなった。マイケルとは違い、フルタイムの契約社員となる。あやかし瓦版の編集部員は個性の強いものが多い。果たして衝突なく上手くやっていけるのだろうか。
「あれ」
美術館の入り口に続く列の中、見慣れた後頭部が見える。雨が上がったばかりのせいか、黒い癖毛はいつもよりうねっていた。係員にチケットをもぎってもらったその人物は、佐和子より先に展示室の中に入っていく。
遅れて係員の前にやってきた佐和子は、展示室に入って早々、作品そっちのけで「彼」の後ろ姿を探す。だが見つからない。見間違いだったかとホッとしたところで、後ろから名前を呼ばれて飛び上がった。
「あれ。驚かせるつもりはなかったのだけどね……。葵さんもこの展示を見にきていたなんて、偶然だねえ」
まるで顔の周りに小花を散らしたような、ゆるい笑顔を向けられて、佐和子は思わずしかめ面をする。
「笹野屋さん……あの、今日のこれは本当に偶然ですか? それとも何かの策略ですか?」
「策略だなんて人聞きの悪い。偶然だよ、ぐ・う・ぜ・ん」
表情を読もうと彼の顔を凝視するも、まったく何を考えているのか読めない。考えるのが馬鹿らしくなった。
「ところで笹野屋さんが洋装なんて珍しいですね。どこに行く時も着物だったのに」
今日は薄いグレーのカーディガンに、白いカットソー、ウォッシュ加工をされたジーンズと、ずいぶん若作りな格好をしている。いや、見た目だけ見れば若作りではないのだが。
「人間世界の雑誌のデート特集を読んだら、普段とは違う格好をして自分をアピールするのもいいと書いてあってね。美術館デートのコーナーを参考に……おっと」
「やっぱり偶然じゃないですね?」
「……ノーコメントで」
珍しく照れたような顔をして、頬を桜色に染める永徳を見て。なんだか自分も恥ずかしくなってきた。
「さて、ここでずっと喋っているのもなんだし。作品を見て回ろうじゃないか」
「一緒に見て回るんですか?」
「……嫌かい?」
「いえ」
セクハラ発言を気にしてか、彼は引き続き佐和子にちょっかいを出すことを控えているようだった。それが佐和子としても、少し寂しく感じていたりして。
「一緒に回りましょう、笹野屋さん」
笑顔を返せば、永徳は片手で頭をかく。
一人だったはずのおでかけは、思いがけずデートになったのだった。
佐和子は雨の中、都内の美術館に来ていた。近代的な網目状の外壁デザインが目を引くこの建物は、有名な建築家によるものらしい。ここしばらく仕事しかしていなかったので、たまには休日に出かけてリフレッシュしようと思い立ち、今日の展示を知ってここまでやってきた。
あの日、宗太郎が連れてきた鈴華を前にした永徳は、明らかに動揺した顔をしていた。もしかすると、人員不足対策については彼なりに考えていたことがあったのかもしれない。飄々としていて、サボっているように見せかけておいて、あとから解決策をきちんと出してくるのが編集長、笹野屋永徳である。
今回は、想定外に宗太郎が解決策を持ってきてしまったことで、咄嗟にあんな顔をしたのではないだろうか。それとも鈴華に対して何か懸念があるのかも。
––––まあ、私があれこれ考えても仕方ないか。化け猫って言ってたけど。どんなあやかしなのかしら。敏腕ライターって宗太郎さんは紹介してたけど、そんなに界隈では有名なのかな。
美術館の入り口には長蛇の列ができていた。あやかしを題材にした漫画家の原画展なのだが、かなり人気のよう。これまで興味を持って見てこなかったため知らなかったが、世間では「あやかしコンテンツ」は流行り物の一つのようだ。
人間が作り上げたあやかしコンテンツを鑑賞することが、果たして今後の編集記者としての仕事に役に立つかはわからないが。アンテナを常に張る精神は、記事を書くものとして大事なのだと教えられた。興味を持ったらまず行動すれば、今より広い世界が見えるはずだ。
鈴華の出勤日は来週月曜からとなった。マイケルとは違い、フルタイムの契約社員となる。あやかし瓦版の編集部員は個性の強いものが多い。果たして衝突なく上手くやっていけるのだろうか。
「あれ」
美術館の入り口に続く列の中、見慣れた後頭部が見える。雨が上がったばかりのせいか、黒い癖毛はいつもよりうねっていた。係員にチケットをもぎってもらったその人物は、佐和子より先に展示室の中に入っていく。
遅れて係員の前にやってきた佐和子は、展示室に入って早々、作品そっちのけで「彼」の後ろ姿を探す。だが見つからない。見間違いだったかとホッとしたところで、後ろから名前を呼ばれて飛び上がった。
「あれ。驚かせるつもりはなかったのだけどね……。葵さんもこの展示を見にきていたなんて、偶然だねえ」
まるで顔の周りに小花を散らしたような、ゆるい笑顔を向けられて、佐和子は思わずしかめ面をする。
「笹野屋さん……あの、今日のこれは本当に偶然ですか? それとも何かの策略ですか?」
「策略だなんて人聞きの悪い。偶然だよ、ぐ・う・ぜ・ん」
表情を読もうと彼の顔を凝視するも、まったく何を考えているのか読めない。考えるのが馬鹿らしくなった。
「ところで笹野屋さんが洋装なんて珍しいですね。どこに行く時も着物だったのに」
今日は薄いグレーのカーディガンに、白いカットソー、ウォッシュ加工をされたジーンズと、ずいぶん若作りな格好をしている。いや、見た目だけ見れば若作りではないのだが。
「人間世界の雑誌のデート特集を読んだら、普段とは違う格好をして自分をアピールするのもいいと書いてあってね。美術館デートのコーナーを参考に……おっと」
「やっぱり偶然じゃないですね?」
「……ノーコメントで」
珍しく照れたような顔をして、頬を桜色に染める永徳を見て。なんだか自分も恥ずかしくなってきた。
「さて、ここでずっと喋っているのもなんだし。作品を見て回ろうじゃないか」
「一緒に見て回るんですか?」
「……嫌かい?」
「いえ」
セクハラ発言を気にしてか、彼は引き続き佐和子にちょっかいを出すことを控えているようだった。それが佐和子としても、少し寂しく感じていたりして。
「一緒に回りましょう、笹野屋さん」
笑顔を返せば、永徳は片手で頭をかく。
一人だったはずのおでかけは、思いがけずデートになったのだった。
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