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第二章 サトリの里
マイケルの悩み
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ブランド物のスーツを身に纏った、いかにもエリートといった風のサラリーマンたち。ビジネスカジュアルをオシャレに着こなす外国人たち。目一杯に着飾った、若い女性たち。
下弦の月が白く光る夜更けにも関わらず、六本木は人で溢れていた。
人間がゆく歩道を、警戒した様子で進む青白い肌の青年。ヴァンパイアの特徴である鋭い牙を黒いマスクで隠しつつ、人波に乗ってクラブへと向かうマイケルがそこにはいた。
「IDを拝見します」
胸元の大きく開いた赤いニットを着た受付の女性が、マイケルに声をかける。カバンに手を突っ込み、人間にまぎれるために用意しておいたパスポートを女性に見せた。
「あの、当日券ってありますでしょうか」
オドオドとしつつそう問えば、女性は笑顔でチケットを取り出す。
「3,000円になります」
「じゃあこれで……」
支払いを終えたマイケルは、ホールへと向かう。DJが流す音楽に合わせて大勢の男女が踊っている。壁際では酒片手に女性に声をかける男たちや、むつみあうカップルが夜を楽しんでいた。
カウンターでトマトジュースを頼み、一気に飲み切ると、ホールの中心の方で踊る着物の男性の姿が目に入った。出で立ちが珍しいからか、外国人客の格好のフォトターゲットになっている。笑顔で対応しつつ、人がいなくなればまた踊っている。が、どう見てもあれは盆踊りだ。
「編集長、何してるんですか……」
「おや、マイケル。君も来ていたのかい」
「僕はこのあとのダンスショーケースを見に来たんです」
「奇遇だねえ。俺もそれを見に来たんだ。有名なストリートダンサーが踊るんだろう?」
つかみどころのない笑顔を浮かべる、明らかに場違いの和服の美丈夫に、マイケルは苦笑いをする。
ダンス関連の取材をしているからと言って、全体統括やら自分の記事やら抱えている編集長が、わざわざダンスイベントを視察に来るなんていうのは考えづらい。しかしマイケルは知っていた。この人にどうして、なんで、なんて聞いたところで、真意は語ってくれないのだということを。
「せっかくなので、一緒に見ませんか。どうしてもイベントが見たくて来てみたんですけど。やっぱり、うっかり人間に襲いかかってしまうんじゃないかっていう不安は拭えなくて。編集長が隣にいてくださると安心です」
「いいのかい? 邪魔にならないのならそうさせてもらおうかな。ああ、飲み物がもうないようだね。一杯奢るよ」
マイケルはカウンターに向かう編集長の背中を目で追った。
格好は場にそぐわないが、その顔の美しさのせいで、若い女性の二人組に声をかけられている。それを爽やかにかわしつつ、彼は両手にドリンクを持って戻って来た。
もしかして自分が悩んでいることを察知して、ついてきたのだろうか。それとも何か、自分にさせたいことがあるのだろうか。
「はい、トマトジュース」
「ありがとうございます」
二人で壁際に寄って、まだ空の舞台を眺めた。ショーケース開始まであと5分。ワクワクは高まりつつも、胸の中のモヤモヤは消えないまま。
「君のインターン期間もあと半年か。早いものだねえ。インターンが終わったら、イギリスに戻ってお父さんの仕事を継ぐのかい?」
「ヴァンパイア・タイムズの仕事が、僕に務まるとは思いませんが。ただ、父は僕が最終的に編集長に就くことを望んでいるので。結局はそうなるのかなと」
マイケルの実家は、イギリスで「ヴァンパイア・タイムズ」という吸血鬼むけの新聞を作っている。しかし売り上げは落ちていて、オンライン施策もあまりうまくいっていない。あやかし瓦版へのインターンは、息子にオンラインニュースのノウハウを学ばせるために、父が指示したことだった。
舞台を見つめていた永徳の瞳が、こちらを向く。サトリでもないのに、こちらの心を見透かすようなまっすぐな眼差しに、マイケルはたじろぐ。
「ねえ、マイケル。君は、本当は何をしたいんだい?」
「……どうしたんですか、急に」
「君はいつも真面目に仕事をしてくれて、とても助かっているんだけどね。なんというか、本当に好きなことは別にあるんじゃないかと思う時があるんだ」
「それは」
この人には敵わない、とマイケルは唸った。
あやかし瓦版の仕事が嫌いなわけではない。楽しい瞬間だってたくさんある。だけど一生この仕事をしていきたいか、書きたい記事はあるのかと言われたら、何も出てこない。
実際、言われたことはきちっとやっているが、自分から何かを提案したことはこれまでなかった。
「あやかし瓦版の仕事は好きです」
「でも?」
「編集長はすべてお見通しですか」
永徳は答えない。ただ口元に笑みをたたえたまま、こちらを見ていた。
「おっしゃる通り、僕には今夢中になっていることがあります。でもそれを仕事にするというのは、夢のような話で。空を飛べないあやかしの子どもが、空を飛びたいと言っているようなものです。だから父の言う通り、ヴァンパイア・タイムズを継ぐのが一番現実的な道だと、思っています……」
言いながら、喉の奥につかえるような感覚を感じる。
それでもそれが、最も波風のたたない、一番いい解なのだと思っている。
「あやかしの一生は長いよねえ」
「ええ、まあ……」
「だから失敗したって、いくらでもやり直せるんだよ」
「……」
「もったいないじゃないか。夢中になれるものが見つかるって、奇跡的なことなんだよ。一生かけても見つからないあやかしだっている」
キラキラと光る宝石のような瞳が、じっとマイケルの顔を覗き込む。
「君はいい子すぎる。家族のために、周りのために、いつも自分を犠牲にしている。そんなに心配しなくったって大丈夫だ。君のお父上だって、300年は生きているんだろう? これまでもいろいろな荒波を乗り越えてきたはずだ。たとえば君が好きなことで夢を掴もうとして、残念ながらそれがダメだったとしよう。でも君が数年好きなことに費やしている間に、たとえ事業が危機的な状況に陥ったって、お父上がなんとかするさ。彼が好きで始めた事業なんだから」
「いや、でも」
「一度自分の気持ちを、真摯にお父上に伝えてみるといい。君のその様子だと、自分の気持ちをまっすぐ伝えたことさえないんじゃないかい?」
––––でも父は、僕が事業を継ぐのが当たり前だと思っている。今更それを覆すなんて、そんなこと。
喉元まで出かけた言葉を、ぐっと飲み込みおしだまる。
「おや、そろそろショーが始まるようだ。楽しみだねえ」
永徳はそう言って会話を切った。
会場のライトが一気に絞られ、舞台に人影が現れる。
憧れと、諦めと、それでも疼いてしまう心の居場所を探しながら、マイケルはパフォーマンスを焼き付けるようにその瞳に映していた。
下弦の月が白く光る夜更けにも関わらず、六本木は人で溢れていた。
人間がゆく歩道を、警戒した様子で進む青白い肌の青年。ヴァンパイアの特徴である鋭い牙を黒いマスクで隠しつつ、人波に乗ってクラブへと向かうマイケルがそこにはいた。
「IDを拝見します」
胸元の大きく開いた赤いニットを着た受付の女性が、マイケルに声をかける。カバンに手を突っ込み、人間にまぎれるために用意しておいたパスポートを女性に見せた。
「あの、当日券ってありますでしょうか」
オドオドとしつつそう問えば、女性は笑顔でチケットを取り出す。
「3,000円になります」
「じゃあこれで……」
支払いを終えたマイケルは、ホールへと向かう。DJが流す音楽に合わせて大勢の男女が踊っている。壁際では酒片手に女性に声をかける男たちや、むつみあうカップルが夜を楽しんでいた。
カウンターでトマトジュースを頼み、一気に飲み切ると、ホールの中心の方で踊る着物の男性の姿が目に入った。出で立ちが珍しいからか、外国人客の格好のフォトターゲットになっている。笑顔で対応しつつ、人がいなくなればまた踊っている。が、どう見てもあれは盆踊りだ。
「編集長、何してるんですか……」
「おや、マイケル。君も来ていたのかい」
「僕はこのあとのダンスショーケースを見に来たんです」
「奇遇だねえ。俺もそれを見に来たんだ。有名なストリートダンサーが踊るんだろう?」
つかみどころのない笑顔を浮かべる、明らかに場違いの和服の美丈夫に、マイケルは苦笑いをする。
ダンス関連の取材をしているからと言って、全体統括やら自分の記事やら抱えている編集長が、わざわざダンスイベントを視察に来るなんていうのは考えづらい。しかしマイケルは知っていた。この人にどうして、なんで、なんて聞いたところで、真意は語ってくれないのだということを。
「せっかくなので、一緒に見ませんか。どうしてもイベントが見たくて来てみたんですけど。やっぱり、うっかり人間に襲いかかってしまうんじゃないかっていう不安は拭えなくて。編集長が隣にいてくださると安心です」
「いいのかい? 邪魔にならないのならそうさせてもらおうかな。ああ、飲み物がもうないようだね。一杯奢るよ」
マイケルはカウンターに向かう編集長の背中を目で追った。
格好は場にそぐわないが、その顔の美しさのせいで、若い女性の二人組に声をかけられている。それを爽やかにかわしつつ、彼は両手にドリンクを持って戻って来た。
もしかして自分が悩んでいることを察知して、ついてきたのだろうか。それとも何か、自分にさせたいことがあるのだろうか。
「はい、トマトジュース」
「ありがとうございます」
二人で壁際に寄って、まだ空の舞台を眺めた。ショーケース開始まであと5分。ワクワクは高まりつつも、胸の中のモヤモヤは消えないまま。
「君のインターン期間もあと半年か。早いものだねえ。インターンが終わったら、イギリスに戻ってお父さんの仕事を継ぐのかい?」
「ヴァンパイア・タイムズの仕事が、僕に務まるとは思いませんが。ただ、父は僕が最終的に編集長に就くことを望んでいるので。結局はそうなるのかなと」
マイケルの実家は、イギリスで「ヴァンパイア・タイムズ」という吸血鬼むけの新聞を作っている。しかし売り上げは落ちていて、オンライン施策もあまりうまくいっていない。あやかし瓦版へのインターンは、息子にオンラインニュースのノウハウを学ばせるために、父が指示したことだった。
舞台を見つめていた永徳の瞳が、こちらを向く。サトリでもないのに、こちらの心を見透かすようなまっすぐな眼差しに、マイケルはたじろぐ。
「ねえ、マイケル。君は、本当は何をしたいんだい?」
「……どうしたんですか、急に」
「君はいつも真面目に仕事をしてくれて、とても助かっているんだけどね。なんというか、本当に好きなことは別にあるんじゃないかと思う時があるんだ」
「それは」
この人には敵わない、とマイケルは唸った。
あやかし瓦版の仕事が嫌いなわけではない。楽しい瞬間だってたくさんある。だけど一生この仕事をしていきたいか、書きたい記事はあるのかと言われたら、何も出てこない。
実際、言われたことはきちっとやっているが、自分から何かを提案したことはこれまでなかった。
「あやかし瓦版の仕事は好きです」
「でも?」
「編集長はすべてお見通しですか」
永徳は答えない。ただ口元に笑みをたたえたまま、こちらを見ていた。
「おっしゃる通り、僕には今夢中になっていることがあります。でもそれを仕事にするというのは、夢のような話で。空を飛べないあやかしの子どもが、空を飛びたいと言っているようなものです。だから父の言う通り、ヴァンパイア・タイムズを継ぐのが一番現実的な道だと、思っています……」
言いながら、喉の奥につかえるような感覚を感じる。
それでもそれが、最も波風のたたない、一番いい解なのだと思っている。
「あやかしの一生は長いよねえ」
「ええ、まあ……」
「だから失敗したって、いくらでもやり直せるんだよ」
「……」
「もったいないじゃないか。夢中になれるものが見つかるって、奇跡的なことなんだよ。一生かけても見つからないあやかしだっている」
キラキラと光る宝石のような瞳が、じっとマイケルの顔を覗き込む。
「君はいい子すぎる。家族のために、周りのために、いつも自分を犠牲にしている。そんなに心配しなくったって大丈夫だ。君のお父上だって、300年は生きているんだろう? これまでもいろいろな荒波を乗り越えてきたはずだ。たとえば君が好きなことで夢を掴もうとして、残念ながらそれがダメだったとしよう。でも君が数年好きなことに費やしている間に、たとえ事業が危機的な状況に陥ったって、お父上がなんとかするさ。彼が好きで始めた事業なんだから」
「いや、でも」
「一度自分の気持ちを、真摯にお父上に伝えてみるといい。君のその様子だと、自分の気持ちをまっすぐ伝えたことさえないんじゃないかい?」
––––でも父は、僕が事業を継ぐのが当たり前だと思っている。今更それを覆すなんて、そんなこと。
喉元まで出かけた言葉を、ぐっと飲み込みおしだまる。
「おや、そろそろショーが始まるようだ。楽しみだねえ」
永徳はそう言って会話を切った。
会場のライトが一気に絞られ、舞台に人影が現れる。
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