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第二部 第一章 アマガエルの傘

刹那のお小言

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 客間の襖を刹那が閉めたところに、永徳がやってきた。両手を裾の下に突っ込み、薄く笑みを浮かべながら刹那に声をかける。

「おやおや、寝込んでしまったのか」

 刹那はその場に立ったまま、首だけを永徳の眼前に伸ばした。

「編集長、何を企んでるかわかりませんけどねえ。これはちょっと荒療治すぎやしません?」

 相変わらず飄々とした様子の永徳に、刹那が噛み付く。

「佐和子は真面目でいい子だけど。こう、一直線だから。柔軟性というものがないのよ。相変わらず焦りまくってるし。新人指導には早いと思うわ」

「人間はそう簡単に変わらないからね。まあ、あやかしもそうだけど」

「なんでまた急に人間なんて拾ってきたんですか」

「うーん、まあ。なんというか、ほっとけなかったんだよね」

 ポリポリと頬をかきながら、永徳は苦笑いをする。

「またそれですか」

「お互いにいい影響があるんじゃないかと思ったんだけど。ちょっと手助けが必要かもしれないねえ」

 永徳は自分の顎を手でさすりながら、思案顔をした。刹那は首を元に戻し、ふん、と鼻を鳴らすと編集室に向かって歩き出す。

「頼みますよ」

「うん、今晩は葵さんをデートに誘ってみることにする。ちょっと話をしてみるよ」

 永徳の斜め上の返答に、背を向けたまま刹那は再び首だけ永徳の方を向いた。

「あの、編集長。話はちょっと変わりますけど」

「なんだい」

「本気で佐和子を嫁に迎えようとしてます?」

 刹那の唐突な質問に、永徳は虚をつかれたような顔をする。

「俺はいつも本気だけど」

「だとしたら、もうちょっとアプローチの仕方を考えた方がいいです。そのままだと、ずーっと平行線ですよ。上司が部下にセクハラしてるようにしか見えません」

「ええ」

「そもそもね、社員兼嫁候補っておかしいじゃないですか。結婚してから社員として働くっていうのならわかりますけどね。雇いつつ結婚相手としてのアピールをするって、問題ありありですからね!」

 やや動揺した様子の永徳を残し、刹那はさっさと襖の向こうへと戻っていく。

「またセクハラって言われちゃったなあ……」

 苦笑いしポリポリと頬を掻きながら。永徳は客間の前に戻り、中にいる人物へと声をかける。

「春原くん、入っていいかい」

「……はい」

 襖を開ければ、そこにはもともと青い顔色をさらに白くした春原が横たわっている。彼の横に胡座をかいて座った永徳は、心配そうな視線を彼の顔に落とした。

「辛くなってしまったのか。前の職場のことを思い出した?」

「……そうですね。葵さんにご迷惑をかけてしまいました。どうも急かされる作業が苦手で……」

「そうか。まあ、まだ一週間だからね。仕方ないよ。君は元営業だと言っていたかな」

「はい」

「営業の仕事は好きだった?」

「正直、苦手でした。人と目を合わせるのが苦手で。緊張すると、吃ってしまうんです。どんどん自信がなくなって、最後はあんなことに……」

「そうかい」

「編集部のお手伝いならデスクワークだしって、思ったんですけど。やっぱり、僕にはできないみたいです。僕にできる仕事なんて、ないのかもしれません」

「人には得手不得手があるものだ。君に合った仕事だって、きっとある。でも、今日はもう帰りなさい。君には休息が必要そうだ。土日休んで、また月曜日においで。迎えに行くよ」

「……ありがとう、ございます」

 永徳が外廊下に出れば、いつの間にか雨が降っている。

「もうすぐ梅雨に入るのかな」

 独り言のようにつぶやいた一言は、雨音の中に消えていった。

 *

「葵さん、今晩はプライムフライデーだねえ」

「そんな言葉ありましたね」

「どうかな、今日は定時に上がって夕食でも一緒に」

「仕事が残ってますので」

「何か怒ってないかい」

「怒ってません」

 佐和子が春原の寝ているはずの部屋に行く頃には、彼はとっくに帰宅していて。気まずい気持ちのまま編集室の自席に戻れば、空気の読めない永徳がニコニコ顔で待っていた。そして用件は何かと問えば、デートのお誘いだという。

「今日はまっすぐ帰りたい気分なんです」

「どうせ帰って一人で落ち込むんだろう? だったら気分転換したほうがいいんじゃないかい」

 永徳の言葉が、ぐさり、と胸に突き刺さった。思わず目を尖らせ、睨んでしまった。

 ––––元はと言えば、笹野屋さんの采配のせいでこうなっているのに。

「もう予約はとってしまっているんだ。それにね、今日予約したのは、あやかしの店主が経営する居酒屋だよ。どう、興味が湧いてこないかい? 記者として」

 あやかしの経営する居酒屋、と聞き、目を見開いたのを認めたのか、永徳はニヤリ、と笑う。

「……興味がないと言ったら、嘘になります……。まだまだ、あやかしの世界には疎いですし……」

 もじもじと佐和子がそう言えば、永徳は満足そうな笑みを浮かべる。

「じゃあ決まりだ。時間になったら、襖の前で待っていて」

 その笑顔があまりに嬉しそうで、佐和子の頬も少しだけ緩んでしまった。会話下手で面白みのない自分と一緒に食事をすることが、なんでそんなに嬉しいのかわからないが。

「わかりました、ご一緒させてください」

 そう佐和子が応えれば、永徳は花の綻んだような表情を見せた。
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