半妖笹野屋永徳の嫁候補〜あやかし瓦版編集部へようこそ〜

春日あざみ

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第七章 働く上での「幸せ」

私の本当の居場所

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 よく晴れた日曜の朝。大門寺の大島桜には、青々とした緑が茂っていた。

 季節が移り変わるのは早い。

 泣きながら桜を見上げていたのが、まだ昨日のように思える。

 あの時佐和子は、自分の価値を認めてもらえなかったことが悔しくて泣いていた。

 かつて望んでいたように、今は綾小路不動産という場所で人材としての価値を認められ、仕事をさせてもらえている。憧れていた満開の桜にまでは及ばないが、求めていたものは掴んだはずだ。

 だけどなにか違う。日々は無味乾燥で、どこか他人事のようにも思える。

 ––––私はどうしてこんなに、満たされないんだろう。

 佐和子は大門寺の境内で、ひとり立ち尽くしていた。

 あれから急に忙しくなった。上司は容赦無く仕事を振るようになったし、インフルエンサーの案件は、綾小路社長の思いつきで始まったものらしく、企画内容は具体的にはなにも固まっていなかった。

 山吹が作っていた資料もあったが、まったく使い物にならない内容で。
 社長にせっつかれながら一から大急ぎで企画書を作らねばならず、ほぼ毎日終電帰り。

 プロジェクト自体、客観的には面白いと思う。永徳からの指導のおかげもあって、以前の会社の時のように、手順もわからず混乱しているという状況にはない。

 「大丈夫」ではないが、なんとか頑張ればやり遂げられそうな気もする。

 相変わらず山吹からの返答はない。既読さえつかなくなったので、おそらくブロックされているのだろう。

 ––––初めから押し付けるつもりで紹介したのかな……。

 そもそも元から仲が良かったわけではない。頼まれると断れない性格である佐和子なら、押し付けやすいと思ったのかもしれない。

 入社してから気づいたことだが、綾小路不動産はワンマン経営で、社長の言うことは絶対。プロジェクトを降りたいといった山吹に、社長は「辞めるなら代わりの人材を見つけてからだ」と言いつけたようだ。

 法律上は代わりなど見つけなくても退職できるはずだが、その辺り彼は律儀だったのかもしれない。

 今日は上着がいらない程に暖かかった。佐和子は境内のベンチに腰掛け、ぼんやりと思考を巡らせる。

 ——あやかし瓦版のみんなは、元気かな。

 辞めると決めた翌日、根付はポストに返してしまった。

 あれから何度か東池公園の近くを散歩してみたが、永徳はもちろん、他の編集部員に会うことはなかったし、やはり屋敷の姿を見ることはできなくなっている。「椿については手を打つ」と言われていた通り、何度でも襲ってやると宣言していた椿が、佐和子の目の前に現れることも今日までなかった。

 ぼんやりと行き交う人々を見つめていると、何者かに視線を向けられているのに佐和子は気がついた。

「え……、笹野屋さん?」

 寺の建物の影に、癖毛の黒髪、紺色の羽織を着た青眼の男性が見えたのだ。

 大慌てで立ち上がり、地面を蹴る。

 通行人にぶつかりそうになりながら、人をかき分け、全速力でその場に向かう。しかし辿り着く頃には、笹野屋永徳らしき人影は、影も形もなくなっていた。

「見間違い……か……」

 途端に胸に懐かしさが込み上げる。

 ぶっきらぼうだが根は優しい刹那。
 口は悪いが人一倍仕事に情熱を燃やす宗太郎。
 しょっちゅう佐和子をからかっていた小鬼の双子。
 良き相談相手だったマイケル。

 そして、いつも優しく見守ってくれていた永徳。

 みんなでああでもない、こうでもないと言いながら、記事の企画を考えるのが楽しかった。なにより、現代の生活に馴染めないあやかしたちのために、有益な情報を提供するという仕事にやりがいを感じていた。

「ああそっか」

 ––––私が仕事に求めていたものは、実績を上げて評価されることじゃなかったんだ。

 衆目に恥じない、定められたレールの上を堂々と歩ける人間になることが、ゴールではなかった。
 誰かの幸せのために、仲間と協力しながら働くこと。それが仕事をする上での「やりがい」であり「醍醐味」だったのだと、今更ながら気づく。

 ––––あやかしだからとか、人間だからとか。世間の物差しで進む道を選ぶべきじゃなかった。自分の正直な気持ちのままに選び取ればよかったのに。

「やっと、気づけたのになあ」

 気づいたところで、もう、戻れない。

 ––––私は人間の世界に、戻ることを選んでしまったんだから。
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