半妖笹野屋永徳の嫁候補〜あやかし瓦版編集部へようこそ〜

春日あざみ

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第七章 働く上での「幸せ」

すれ違う想い

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 龍に縛り上げられたマイケルを別室に移して落ち着かせ、あたり一面に散らばった食器を片付けたあと。永徳は佐和子の肩に両手を置き、言い聞かせるように言葉を紡いだ。

「今日はこのまま家に帰ったほうがいい」

「え、でも……」

「ヴァンパイアが一度血の味を思い出してしまったら、少なくとも一週間は人間と一緒に居させない方がいいから……とにかく今は、この場を離れていてほしい」

 そう言われて、先ほどの出来事がフラッシュバックした。
 鋭い牙、食糧として狙われる恐怖。そして、憎しみに満ちた椿の瞳。
 命の危険をこれほどまでに身近に感じたことはない。

「わかり……ました……」

 震えが止まらない唇からは、そのひと言を絞り出すのがやっとで。
 顔を真っ青にして俯く佐和子の髪を、永徳は慈しむように撫でる。

「家まで送るよ」

 そう言って永徳は、佐和子の肩を抱き、玄関へと促した。

 外はまだ明るかった。目の前で起こった出来事を、まだ脳が処理しきれないようで、佐和子の頭はぼうっとしている。

「背中は痛くないかい。打っていたようだけど」

「今のところは大丈夫です。少し、痛いですけど」

「人間を雇う上で、必要な安全策は講じていたつもりだったんだけど……不十分だった。本当に申し訳ない」

「笹野屋さんが謝ることはなにもありません」

 永徳はそう言われて、口をつぐんだ。しばらくの沈黙ののち、永徳は佐和子に声をかけた。

「葵さん」

「なんでしょうか」

 彼は佐和子の方には目を向けず、正面を見たまま、自分にも言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。

「出会ったばかりのころ、君は自信を失っていて、今にも消えてしまいそうだったね」

「……そうでしたね」

「でもひとつひとつ壁を乗り越えて、人間ながら、あやかしの世界で活躍していった」

「活躍……までは言い過ぎです。笹野屋さんが手を貸してくださらなかったら、私はきっと、ずっとダメなままでしたし……」

「俺はヒントを与えただけだよ」

「そうでしょうか」

「君はそのヒントを見逃さず、自分の力でゴールを見つけた。立派にひとりの社員として、仕事をできるようになった」

「……そういうふうに言っていただけて、嬉しいです」

 褒められたことがむず痒くて。恐怖で温度を失っていた頬に、少しだけ赤みが戻る。しかし永徳は気まずそうな顔で、次の言葉を口にした。

「ただ、あやかしの世界で仕事をするには、やはりさまざまな困難がある。椿についてはこちらで手を打つけれども、再び命の危険に晒される可能性が、まったくないとは言い切れない」

「……それは、そうですね」

 何を永徳が言おうとしているのか、佐和子は予想がつかなかった。言いにくそうにする彼の様子を、ただただ見守り、言葉を待つ。

「葵さん、君はそろそろ、人間の社会に戻ってもやっていけるんじゃないかい? あえて、あやかしの世界にとどまる理由は、もうないんじゃないかな」

「え」

 歩みを止め、佐和子は永徳の顔を見上げた。

 まさか永徳から、そんなことを言われるとは思っていなくて。あやかし瓦版の編集部員としての実質上の戦力外通告を受けたようで、ショックだった。

 ––––「人間としての視点を活かしてほしい」って言っていたのに。どうして今になって、そんなことを言うんですか?

「私が今いなくなっても、問題ないってことですか」

 思わず、反抗するような態度をとってしまった。一瞬後悔したが、出てしまった言葉は引っ込めることができない。永徳の言い分はわからなくもない。優しい彼のことだから、佐和子の身を案じての発言だというのも理解できる。それでも永徳の言葉は、深く佐和子を傷つけた。

「会社っていうのはさ、誰かがいなくなっても回るようにできていないといけないんだ。それにほら、うちのあやかし瓦版は、地主の道楽みたいな事業なわけだから」

 編集部の一員として、力になれているような気になっていた自分の、横面を引っ叩かれたみたいな気分だった。
 自惚れるなと。お前の代わりなんて、いくらでもいるんだと。そう言われてしまった気がして。

 『君が辞めたら困る』

 いつか自分の今後について相談する時が来た時。佐和子は、永徳にそう言ってもらえることを心のどこかで期待していた。

 自分が頑張った成果を認めてもらって、引き止められることを。

「……実は、昔の友人から、うちの会社に来ないかって、言われているんですけど」

 ––––ねえ、笹野屋さん。引き止めて下さいよ。

「そうか」

「でも……」

「やってみたい仕事なのかい?」

「興味は、ある仕事……ではあります」

 ––––私は、あやかし瓦版の、かけがえのないひとりにはなれませんか。

「うちは大丈夫だから。ちょうど一週間あるわけだし、その期間で考えてみたら」

「引き止めて、くれないんですか」

 駄々っ子みたいな、振り向いてくれない異性を振り向かそうと必死になっているような、嫌な言い方だと思った。だけど居た堪れなくて、もどかしくて、佐和子は口にしてしまった。

 ––––だって、あなたが私を誘ったんじゃないですか。あんなふうに無理やり。嫁候補だとか、大事な社員だとか言いながら、あなたが私を求めてくれたから。そのおかげで、ようやく光を見出せてきたのに。どうして今、そんなふうに、突き放そうとするんですか。

 佐和子は心の中でそう叫んだ。

 しかし永徳の口から出てきたのは、佐和子が求めていた言葉ではなかった。

「葵さんの進む道は、俺が決めることじゃない。君の人生だ。君の仕事は、君が決めなさい」

 いつもの穏やかで優しい声の調子とは違う、温度のない声だった。

「……そうですね」

 ––––どうしよう。

「おっしゃる通りだと思います」

 ––––泣きそうだ。

「……家が見えたね。俺は戻るよ。もし、辞めるのであれば、特に連絡はしなくていい。根付をポストに返しておいておくれ。退職した場合も、椿が捕まるまで身の回りの安全は守るから。そこは安心して」

 藍色の羽織は、あっという間に遠ざかっていってしまった。

 取り残された佐和子は、しばし呆然と、笹野屋永徳が消えていった方向を見つめていた。
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