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第六章 鬼灯堂の鬼女
渋谷の仮装行列
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「あの、笹野屋さん……」
「なんだい」
「なぜこんな団体に……?」
「みんなで出かけた方が楽しいだろう?」
「あら、佐和子。悪いわねえ、編集長とのデートにお邪魔しちゃって。そうよねえ、二人っきりで出かけたかったわよねえ」
「刹那ちゃん、私はそんなことを言いたかったわけじゃなくて」
慌てて否定する佐和子の肩に、宗太郎が手を置く。
「まあ良いじゃねえか下っ端。なかなかこうしてみんなで出かけられる機会もねえんだしよ。取材旅行だ、取材旅行」
てっきり佐和子は永徳と二人きりで出かけることになると思っていたのだが。気づけば襖の前には、編集部の全員が揃っている。
「これから出かける先は、このままでは憚られるからねえ。葵さん、『人間風メイク』を全員にしてあげられるかい?」
永徳はそう言って一度廊下に引っ込だかと思うと、たくさんの服がかけられたキャスター付きのラックをガラガラと引きずってきた。手には鬼灯堂のブランドロゴの入ったメイクボックス、近所の薬局のものらしきビニール袋を持っている。
「変装用に調達してきた」
「……もしかして、笹野屋さんが午後外出してたのって」
佐和子がそこまで言いかけると、永徳は飄々とした様子で答えた。
「高円寺っていうのは古着の宝庫だね。調子に乗って自分用の着物まで買ってしまったよ。化粧品は椿に用意させた。無茶なスケジュールで企画を頼んできているんだから、これくらいはしてもらわないとねえ」
「佐和子、アタシも手伝うわ。ひとりでやったらとてつもなく時間がかかるでしょ」
「あ、ありがとう刹那ちゃん」
メイクボックスを受け取り、用意された衣装を一通りチェックしたあと。永徳に促されるがまま、佐和子は刹那と共に、編集部員たちの「人間風メイク」に取り掛かった。
「宗太郎さんとマイケルさんはマスクもした方がいいですね。どうしても口元に特徴が出ますから」
佐和子の変装方針に、マスクの袋を見た宗太郎は顔を歪める。
「息苦しそうで嫌だなあ、マスクってやつ」
「最近はほら、こういう立体感のあるタイプも出てますから。見た目ほど苦しくはないですよ」
相撲の一件以来、宗太郎は佐和子に突っかかることをやめた。つっけんどんな態度は変わらないが、普通に会話ができるようになったのはありがたい。
宗太郎が嫌々マスクを受け取る様子を見ていて、佐和子はハッとした。
––––あれ、モデルのバリエーションが少ないって、もしかしてそういうこと……?
急に動きを止めた佐和子を、怪訝な顔で見つめつつ、宗太郎は大人しくマスクをはめる。永徳が調達してきた立体マスクは、口元が少し突き出た彼の顔の形状にぴったりはまった。肌色のファンデーションを塗り、キャップを被っているおかげで、これならどこからどう見ても人間にしか見えない。
「オイラたちはマスクはいらねえのか?」
小鬼の蒼司と赤司は二人揃って佐和子を見上げる。佐和子の胸あたりまでしか背がないこの小さな二人がキョトンとしていると、なんだか可愛らしい。
彼らの頭には小さな角が二本生えてはいるが、それを除けば人間の子どもと見た目はほぼ変わらない。
「二人は角隠しでニット帽を被ってさえいれば大丈夫。歯もそこまで鋭くないし。服装だけで十分カバーできると思います」
「自分はやっぱりつけないとダメですかね」
「そうですねえ、マイケルさんの歯は、八重歯と言い張るにはだいぶ鋭いですから……」
「結構みんな似合うじゃないか。全然あやかしに見えないね。葵さんプロデュースのおかげかな?」
そう言って永徳は満足げに編集部員たちを見渡した。
「編集長は洋装じゃなくていいの?」
刹那の問いかけに永徳は眉尻を下げる。
「いいんだよ、俺はこれで」
他愛のない会話をしながら、支度を進めるうち。佐和子の凝り固まっていた思考もほぐれていく。
昨日の晩まで、あんなに焦燥感に苛まれ、出口の見えない迷路に迷い込んでいたのに。
––––やっぱり、笹野屋さんにはかなわないや。
果たして、今日はどんな道標を示すつもりなのだろうか。
◇◇◇
さまざまなファッションに身を包んだ人の波が、勢いよく押し寄せる。
若者から年配の人まで、それぞれが自分達の目的地に向けて、蟻の大群が入り乱れるように行き交う様を見て、あやかし一行はポッカリと口を開けていた。
「まるで合戦場だな……これがあの有名な渋谷か」
宗太郎が息を呑む。
「佐和子、アタシ、浮いてない? 大丈夫?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。ちゃんと人間に見えてるよ」
珍しく弱気な刹那を佐和子が微笑ましく思っていると、今度は小鬼の双子が身を寄せあって不安を口にした。
「こんなの、オイラたち迷子になっちまうよ、なあ蒼司」
「ああ、間違いねえ」
そんな様子を見かねた永徳が、二人に両手を差し出す。
「仕方ないね。見失っても困るから、蒼司と赤司は、俺の手を取りなさい」
都会に出るよ、とは言われていたらしいが、編集部員たちも具体的な行き先までは知らされていなかったらしい。目的地が渋谷であることを知った時は、勢いよく盛り上がったのだが。実際に現地に到着して、そのあまりの人の多さに恐れをなしたらしい。唯一都心の方にも遊びに来るというマイケルだけが落ち着いている。
「ああ、信号が青になったね。ほらみんな、渡るよ」
編集長の号令に倣い、意を決した様子であやかしたちが一歩を踏み出す。
中腰になってあたりを注意深く伺いながら移動する宗太郎、佐和子にしがみつく刹那、小鬼の双子の手を引く永徳。そしてそのうしろを満面の笑みでついていくマイケル。
いかにもお上りさん然とした団体が、スクランブル交差点を渡っていく。
闇夜に煌めくデジタルサイネージ広告、近代的なビルの数々、そのどれもに目を奪われ、ときには歓声を上げながらあやかしたちは歩いて行った。
格好だけは繕っているものの、側から見れば相当怪しい集団に違いない。
「あやかし瓦版の皆さんは、都心の方にはあんまり来られないんですか?」
佐和子が疑問を口にすると、宗太郎が眉間に皺を寄せた。
「下っ端、俺たちをお上りさんだって馬鹿にしてんのか!」
「え! いや、そんなつもりは」
プライドを傷つけられたと憤慨する宗太郎を、永徳は嗜めつつ、佐和子の疑問に答えてくれる。
「宗太郎、そうカッカするな。そうだねえ、こういうところを好むあやかしもいるかもしれないけど。基本的には自然に近いところがテリトリーだから。普段は出てくる機会がないのだよ。まあ、いい社会勉強の機会にはなるだろう。他のあやかし系メディアもこういうところには出てくることはないし。格好のネタの狩場だよ」
「へえ、そうなんですか」
「さて、目的の商業ビルはどこだったかな……」
スマホの地図を覗き込む永徳を見て、おや、と佐和子は声を掛ける。
「あの、笹野屋さん、そのビル、こっちじゃありません。反対方向ですよ」
「え、あれ……?」
「……ご案内しますね」
佐和子にそう言われ、「参った参った」と永徳は自分の額を片手で打ち、苦笑いを浮かべた。
「その方が良さそうだ。いやあ、俺も都会はそんなに得意ではなくてね。スマホのマップって、どっちが進行方向だかわからなくならないかい?」
永徳が編集部員たちを連れてこようとしていたのは、渋谷の中でも新しい部類に入る商業ビルだった。
幾何学的なデザインが印象的なそのビルには、飲食店やファッション雑貨、映画館や電気店など、さまざまなテナントが入居している。
「葵さんのおかげでなんとかたどり着けたね。ここまで来ればもうわかる。こっちだよ」
永徳が指し示したのは化粧品フロアだった。一見なんの変哲もないフロアだったが、永徳は一つの店舗に向けて一目散に歩いていく。まるでカルガモの群れの如く永徳にくっついていく編集部員たちの最後尾に、佐和子も続いた。
「店員さん、これ、なんだい?」
振り向いてすぐ目に入った挙動不審な集団に驚いた女性店員だったが、声をかけてきた永徳に視線を合わせると、恥じらうような表情に変わる。
笹野屋永徳という人は、本当に「顔がいい」のだ。
「こちらのタブレットの前に立っていただきますと、当店で取り扱っている商品を全て、お客様の顔に実際にメイクしたかのようにシミュレーションをすることができるんです」
「へええ! すごいじゃない!」
店員は永徳に向かって説明をしていたのだが。彼女の言葉を聞いてすかさず身を乗り出してきたのは刹那だ。
「お試しになられますか?」
「せっかくだし、刹那。やってもらったらいいじゃないか」
永徳がそう言い終わる前に、刹那はフロアの床にプリントされた立ち位置のラインに陣取っていた。
「ここに立てばいいのかしら?」
タブレットの画面に刹那の顔が映る。
「お客様のお肌の雰囲気ですと、ブルーベースのメイクがお似合いになるかと思います。こちらなんていかがでしょう?」
店員がタブレットを指先で操作すると、画面上の刹那の顔の雰囲気が一気に変わった。スタンプを写真に貼り付けたような違和感のある表示になるのかと思いきや。顔の立体感までを認識して、本当にメイクを施したかのような仕上がりになっていて。あやかし編集部員たちから歓声が上がる。
「すごいですね。思ったより自然です」
感心するマイケルの横で、小鬼の双子は飛び跳ねてはしゃぎ出す。
「オイラも! オイラもやってみる!」
「俺も俺も!」
「宗太郎さんはマスク外しちゃダメですよ!」
今にもマスクを取ろうとする宗太郎を佐和子は慌てて制した。
「あ、いけね。そうだった」
あやかしの集団が騒ぎ始めたせいか、なにかのイベントが始まったのかと勘違いした他の客まで集まってきてしまった。永徳は店員からパンフレットらしきものを受け取ると、盛り上がる編集部員たちをそそくさと外へ連れ出した。
「ちょっと編集長、なによ、なんでそんなに慌てて出てきちゃうのよ。もうちょっと見ていたかったのに」
むくれてそう言う刹那を宥めつつ、永徳は困った顔で笑う。
「いやあ、悪い悪い。でも収拾がつかなくなりそうだったからね。それにほら」
彼は自分の腕時計を見せながら、文字盤をコツコツと指で叩いた。
「ああ、そろそろ時間ですね」
スマホをチェックし始めたマイケルに、佐和子は尋ねる。
「なんの時間ですか?」
「お店の予約の時間です。あれ、編集長? 主役に話してなかったんですか?」
「ああ、そういえば話していなかったかもなあ」
とぼけた様子でそう言う永徳を見て、佐和子の頭の中は疑問符でいっぱいになった。
「あの、笹野屋さん、予約って」
永徳は口角を上げると、悪戯を種明かしするように佐和子に告げる。
「君の歓迎会だよ」
「えっ」
企画案のヒントをもらうための外出だと思っていたのに。
自分の歓迎会のための編集部員総出だったことを知り、佐和子は両手で口元を押さえる。
「アタシがやろうって言ったのよ。だいぶ編集部にもなじんてきたし、そろそろいいんじゃないかってさ。……ほら、初めの頃、アタシあんたに酷い態度とっちゃってたし。ちゃんと『歓迎会』やってあげたかったのよね」
「刹那ちゃん……」
感無量、という言葉はこういう時のためにあるのかもしれない。
くすぐったくて、ちょっぴり照れ臭くて。
受け入れてもらえたことが、ただただ嬉しくて。
寒くて、辛くて、少し前まで暗闇を突き進むようだった心の中に、暖かな火が灯り、あたりを照らしていく。
佐和子の瞳は、涙で潤んでいた。
「さあさ、こんなところで立ち止まっていると、大衆の迷惑になっちゃうからね。お店に向かおうか。……こう人が多いと、術が使えないのが厄介だねえ。またあの人混みの中に逆戻りか」
やれやれ、と肩を落としつつ。永徳は道を先導していく。また迷っては大変なので、会場の予約担当だというマイケルに店の名前を聞き、スマホで地図を表示させた佐和子は永徳の横に追いついた。
春の夜の柔らかな風を受け、黒の髪を靡かせながら、永徳は佐和子に向かって微笑んだ。
「葵さん、よく覚えておいで。君はひとりじゃない、仲間がいる。壁にぶち当たったら、ひとりで抱え込まずに、自分から仲間に相談するんだ。三人寄れば文殊の知恵というだろう?」
「……そうですね。今日お出かけの支度をする中でも、皆さんから今回の企画のヒントをいただきました。……ひとりで抱え込んじゃうのは、私の悪い癖なのかもしれません」
「責任感が強いのは悪いことじゃない。何事も、バランスだよ」
マイケルが予約をしておいてくれたお店は、店の中心に人工の桜の花が据えられた和風居酒屋だった。各個室が桜を囲むように配置されていて、室内からライトアップされた桜を眺めることができる。
「葵さん、改めて、ようこそ『あやかし瓦版編集部』へ! 乾杯!」
永徳の掛け声を合図に、編集部員たちはグラスを天井に向けて掲げる。
青白い光に照らされた大きな桜の木に見守られながら、あやかし一行は美味しい日本酒と共に、人間の編集部員を歓迎したのだった。
「なんだい」
「なぜこんな団体に……?」
「みんなで出かけた方が楽しいだろう?」
「あら、佐和子。悪いわねえ、編集長とのデートにお邪魔しちゃって。そうよねえ、二人っきりで出かけたかったわよねえ」
「刹那ちゃん、私はそんなことを言いたかったわけじゃなくて」
慌てて否定する佐和子の肩に、宗太郎が手を置く。
「まあ良いじゃねえか下っ端。なかなかこうしてみんなで出かけられる機会もねえんだしよ。取材旅行だ、取材旅行」
てっきり佐和子は永徳と二人きりで出かけることになると思っていたのだが。気づけば襖の前には、編集部の全員が揃っている。
「これから出かける先は、このままでは憚られるからねえ。葵さん、『人間風メイク』を全員にしてあげられるかい?」
永徳はそう言って一度廊下に引っ込だかと思うと、たくさんの服がかけられたキャスター付きのラックをガラガラと引きずってきた。手には鬼灯堂のブランドロゴの入ったメイクボックス、近所の薬局のものらしきビニール袋を持っている。
「変装用に調達してきた」
「……もしかして、笹野屋さんが午後外出してたのって」
佐和子がそこまで言いかけると、永徳は飄々とした様子で答えた。
「高円寺っていうのは古着の宝庫だね。調子に乗って自分用の着物まで買ってしまったよ。化粧品は椿に用意させた。無茶なスケジュールで企画を頼んできているんだから、これくらいはしてもらわないとねえ」
「佐和子、アタシも手伝うわ。ひとりでやったらとてつもなく時間がかかるでしょ」
「あ、ありがとう刹那ちゃん」
メイクボックスを受け取り、用意された衣装を一通りチェックしたあと。永徳に促されるがまま、佐和子は刹那と共に、編集部員たちの「人間風メイク」に取り掛かった。
「宗太郎さんとマイケルさんはマスクもした方がいいですね。どうしても口元に特徴が出ますから」
佐和子の変装方針に、マスクの袋を見た宗太郎は顔を歪める。
「息苦しそうで嫌だなあ、マスクってやつ」
「最近はほら、こういう立体感のあるタイプも出てますから。見た目ほど苦しくはないですよ」
相撲の一件以来、宗太郎は佐和子に突っかかることをやめた。つっけんどんな態度は変わらないが、普通に会話ができるようになったのはありがたい。
宗太郎が嫌々マスクを受け取る様子を見ていて、佐和子はハッとした。
––––あれ、モデルのバリエーションが少ないって、もしかしてそういうこと……?
急に動きを止めた佐和子を、怪訝な顔で見つめつつ、宗太郎は大人しくマスクをはめる。永徳が調達してきた立体マスクは、口元が少し突き出た彼の顔の形状にぴったりはまった。肌色のファンデーションを塗り、キャップを被っているおかげで、これならどこからどう見ても人間にしか見えない。
「オイラたちはマスクはいらねえのか?」
小鬼の蒼司と赤司は二人揃って佐和子を見上げる。佐和子の胸あたりまでしか背がないこの小さな二人がキョトンとしていると、なんだか可愛らしい。
彼らの頭には小さな角が二本生えてはいるが、それを除けば人間の子どもと見た目はほぼ変わらない。
「二人は角隠しでニット帽を被ってさえいれば大丈夫。歯もそこまで鋭くないし。服装だけで十分カバーできると思います」
「自分はやっぱりつけないとダメですかね」
「そうですねえ、マイケルさんの歯は、八重歯と言い張るにはだいぶ鋭いですから……」
「結構みんな似合うじゃないか。全然あやかしに見えないね。葵さんプロデュースのおかげかな?」
そう言って永徳は満足げに編集部員たちを見渡した。
「編集長は洋装じゃなくていいの?」
刹那の問いかけに永徳は眉尻を下げる。
「いいんだよ、俺はこれで」
他愛のない会話をしながら、支度を進めるうち。佐和子の凝り固まっていた思考もほぐれていく。
昨日の晩まで、あんなに焦燥感に苛まれ、出口の見えない迷路に迷い込んでいたのに。
––––やっぱり、笹野屋さんにはかなわないや。
果たして、今日はどんな道標を示すつもりなのだろうか。
◇◇◇
さまざまなファッションに身を包んだ人の波が、勢いよく押し寄せる。
若者から年配の人まで、それぞれが自分達の目的地に向けて、蟻の大群が入り乱れるように行き交う様を見て、あやかし一行はポッカリと口を開けていた。
「まるで合戦場だな……これがあの有名な渋谷か」
宗太郎が息を呑む。
「佐和子、アタシ、浮いてない? 大丈夫?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。ちゃんと人間に見えてるよ」
珍しく弱気な刹那を佐和子が微笑ましく思っていると、今度は小鬼の双子が身を寄せあって不安を口にした。
「こんなの、オイラたち迷子になっちまうよ、なあ蒼司」
「ああ、間違いねえ」
そんな様子を見かねた永徳が、二人に両手を差し出す。
「仕方ないね。見失っても困るから、蒼司と赤司は、俺の手を取りなさい」
都会に出るよ、とは言われていたらしいが、編集部員たちも具体的な行き先までは知らされていなかったらしい。目的地が渋谷であることを知った時は、勢いよく盛り上がったのだが。実際に現地に到着して、そのあまりの人の多さに恐れをなしたらしい。唯一都心の方にも遊びに来るというマイケルだけが落ち着いている。
「ああ、信号が青になったね。ほらみんな、渡るよ」
編集長の号令に倣い、意を決した様子であやかしたちが一歩を踏み出す。
中腰になってあたりを注意深く伺いながら移動する宗太郎、佐和子にしがみつく刹那、小鬼の双子の手を引く永徳。そしてそのうしろを満面の笑みでついていくマイケル。
いかにもお上りさん然とした団体が、スクランブル交差点を渡っていく。
闇夜に煌めくデジタルサイネージ広告、近代的なビルの数々、そのどれもに目を奪われ、ときには歓声を上げながらあやかしたちは歩いて行った。
格好だけは繕っているものの、側から見れば相当怪しい集団に違いない。
「あやかし瓦版の皆さんは、都心の方にはあんまり来られないんですか?」
佐和子が疑問を口にすると、宗太郎が眉間に皺を寄せた。
「下っ端、俺たちをお上りさんだって馬鹿にしてんのか!」
「え! いや、そんなつもりは」
プライドを傷つけられたと憤慨する宗太郎を、永徳は嗜めつつ、佐和子の疑問に答えてくれる。
「宗太郎、そうカッカするな。そうだねえ、こういうところを好むあやかしもいるかもしれないけど。基本的には自然に近いところがテリトリーだから。普段は出てくる機会がないのだよ。まあ、いい社会勉強の機会にはなるだろう。他のあやかし系メディアもこういうところには出てくることはないし。格好のネタの狩場だよ」
「へえ、そうなんですか」
「さて、目的の商業ビルはどこだったかな……」
スマホの地図を覗き込む永徳を見て、おや、と佐和子は声を掛ける。
「あの、笹野屋さん、そのビル、こっちじゃありません。反対方向ですよ」
「え、あれ……?」
「……ご案内しますね」
佐和子にそう言われ、「参った参った」と永徳は自分の額を片手で打ち、苦笑いを浮かべた。
「その方が良さそうだ。いやあ、俺も都会はそんなに得意ではなくてね。スマホのマップって、どっちが進行方向だかわからなくならないかい?」
永徳が編集部員たちを連れてこようとしていたのは、渋谷の中でも新しい部類に入る商業ビルだった。
幾何学的なデザインが印象的なそのビルには、飲食店やファッション雑貨、映画館や電気店など、さまざまなテナントが入居している。
「葵さんのおかげでなんとかたどり着けたね。ここまで来ればもうわかる。こっちだよ」
永徳が指し示したのは化粧品フロアだった。一見なんの変哲もないフロアだったが、永徳は一つの店舗に向けて一目散に歩いていく。まるでカルガモの群れの如く永徳にくっついていく編集部員たちの最後尾に、佐和子も続いた。
「店員さん、これ、なんだい?」
振り向いてすぐ目に入った挙動不審な集団に驚いた女性店員だったが、声をかけてきた永徳に視線を合わせると、恥じらうような表情に変わる。
笹野屋永徳という人は、本当に「顔がいい」のだ。
「こちらのタブレットの前に立っていただきますと、当店で取り扱っている商品を全て、お客様の顔に実際にメイクしたかのようにシミュレーションをすることができるんです」
「へええ! すごいじゃない!」
店員は永徳に向かって説明をしていたのだが。彼女の言葉を聞いてすかさず身を乗り出してきたのは刹那だ。
「お試しになられますか?」
「せっかくだし、刹那。やってもらったらいいじゃないか」
永徳がそう言い終わる前に、刹那はフロアの床にプリントされた立ち位置のラインに陣取っていた。
「ここに立てばいいのかしら?」
タブレットの画面に刹那の顔が映る。
「お客様のお肌の雰囲気ですと、ブルーベースのメイクがお似合いになるかと思います。こちらなんていかがでしょう?」
店員がタブレットを指先で操作すると、画面上の刹那の顔の雰囲気が一気に変わった。スタンプを写真に貼り付けたような違和感のある表示になるのかと思いきや。顔の立体感までを認識して、本当にメイクを施したかのような仕上がりになっていて。あやかし編集部員たちから歓声が上がる。
「すごいですね。思ったより自然です」
感心するマイケルの横で、小鬼の双子は飛び跳ねてはしゃぎ出す。
「オイラも! オイラもやってみる!」
「俺も俺も!」
「宗太郎さんはマスク外しちゃダメですよ!」
今にもマスクを取ろうとする宗太郎を佐和子は慌てて制した。
「あ、いけね。そうだった」
あやかしの集団が騒ぎ始めたせいか、なにかのイベントが始まったのかと勘違いした他の客まで集まってきてしまった。永徳は店員からパンフレットらしきものを受け取ると、盛り上がる編集部員たちをそそくさと外へ連れ出した。
「ちょっと編集長、なによ、なんでそんなに慌てて出てきちゃうのよ。もうちょっと見ていたかったのに」
むくれてそう言う刹那を宥めつつ、永徳は困った顔で笑う。
「いやあ、悪い悪い。でも収拾がつかなくなりそうだったからね。それにほら」
彼は自分の腕時計を見せながら、文字盤をコツコツと指で叩いた。
「ああ、そろそろ時間ですね」
スマホをチェックし始めたマイケルに、佐和子は尋ねる。
「なんの時間ですか?」
「お店の予約の時間です。あれ、編集長? 主役に話してなかったんですか?」
「ああ、そういえば話していなかったかもなあ」
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「あの、笹野屋さん、予約って」
永徳は口角を上げると、悪戯を種明かしするように佐和子に告げる。
「君の歓迎会だよ」
「えっ」
企画案のヒントをもらうための外出だと思っていたのに。
自分の歓迎会のための編集部員総出だったことを知り、佐和子は両手で口元を押さえる。
「アタシがやろうって言ったのよ。だいぶ編集部にもなじんてきたし、そろそろいいんじゃないかってさ。……ほら、初めの頃、アタシあんたに酷い態度とっちゃってたし。ちゃんと『歓迎会』やってあげたかったのよね」
「刹那ちゃん……」
感無量、という言葉はこういう時のためにあるのかもしれない。
くすぐったくて、ちょっぴり照れ臭くて。
受け入れてもらえたことが、ただただ嬉しくて。
寒くて、辛くて、少し前まで暗闇を突き進むようだった心の中に、暖かな火が灯り、あたりを照らしていく。
佐和子の瞳は、涙で潤んでいた。
「さあさ、こんなところで立ち止まっていると、大衆の迷惑になっちゃうからね。お店に向かおうか。……こう人が多いと、術が使えないのが厄介だねえ。またあの人混みの中に逆戻りか」
やれやれ、と肩を落としつつ。永徳は道を先導していく。また迷っては大変なので、会場の予約担当だというマイケルに店の名前を聞き、スマホで地図を表示させた佐和子は永徳の横に追いついた。
春の夜の柔らかな風を受け、黒の髪を靡かせながら、永徳は佐和子に向かって微笑んだ。
「葵さん、よく覚えておいで。君はひとりじゃない、仲間がいる。壁にぶち当たったら、ひとりで抱え込まずに、自分から仲間に相談するんだ。三人寄れば文殊の知恵というだろう?」
「……そうですね。今日お出かけの支度をする中でも、皆さんから今回の企画のヒントをいただきました。……ひとりで抱え込んじゃうのは、私の悪い癖なのかもしれません」
「責任感が強いのは悪いことじゃない。何事も、バランスだよ」
マイケルが予約をしておいてくれたお店は、店の中心に人工の桜の花が据えられた和風居酒屋だった。各個室が桜を囲むように配置されていて、室内からライトアップされた桜を眺めることができる。
「葵さん、改めて、ようこそ『あやかし瓦版編集部』へ! 乾杯!」
永徳の掛け声を合図に、編集部員たちはグラスを天井に向けて掲げる。
青白い光に照らされた大きな桜の木に見守られながら、あやかし一行は美味しい日本酒と共に、人間の編集部員を歓迎したのだった。
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