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第六章 鬼灯堂の鬼女

無謀な仕事

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 午後三時五十分。佐和子と永徳、そしてマイケルは、白一色の鬼灯堂の本社エントランスに立っていた。

 頭上を見上げると天井はガラス張りになっていて、柔らかな陽の光が降り注いでいる。右手の壁面には巨大なデジタルサイネージが取り付けられていて、赤い着物を着た鬼の女性が、真っ赤な口紅をひく映像が流れていた。

「さすが鬼灯堂。エントランスがめちゃくちゃオシャレですね。うわー、緊張してきたぁ」

 そう言いながらキョロキョロ辺りを伺うマイケルと同様、都会的で洗練されたデザインの建物に、普段感情の起伏の少ない佐和子も珍しく浮き足立っていた。

「まあ、あやかし向けの化粧品事業ではトップを走る企業だからねえ。エントランスもお金かけてるんじゃないかね」

 唯一いつもと変わらない様子の永徳が、あくびをしながらそう呟く。
 まったくもってやる気が感じられない。

「さっきまで、化粧品の口コミサイトを見てたんですが……。カテゴリの半分でこのメーカーの化粧品が一位を取っていて。驚きました」

 佐和子がおずおずとそう言うと、「そんなサイトがあるのは知らなかったな」と言いつつ、永徳は佐和子向けに解説を始める。

「鬼灯堂はね、代々鬼の一族が経営してる化粧品会社なんだ。毎年のあやかしメイクのトレンドは、この会社が作ってるって言っても過言じゃない。刹那も愛用しているブランドのようだよ」

「だから刹那ちゃん、行きたそうだったんですね……」

 直前まで刹那が羨むような視線を送ってきていたのを、佐和子は思い出す。

「おや、担当者が来たようだね。ん……あれ?」

 永徳が振り向いた先、こちらに向けて歩いてくる長髪の女性が目に入った。

「どうしたんですか?」

「いや……」

 どことなく、戸惑ったような表情の永徳が新鮮で。佐和子はこちらに向かってくる担当者らしき女性と、彼の顔を見比べる。

 つり目で真っ赤な口紅が印象的な彼女の頭には、人差し指ほどの長さの赤いツノが二本生えている。気が強そうな雰囲気はありつつも、背が高く、すらっとしていてモデルのような女性だった。

 ––––あれ、この人、どこかで……。

「永徳さん、おひさしぶりです。編集長自らお越しいただけるなんて、嬉しいですわ。度々連絡させていただいているのに、なかなか会っていただけないんですもの」

「俺もなかなか忙しくてねえ」

 どうやら彼らは元から知り合いらしい。「彼女が別の会社にいた時に、一緒に仕事をしたことがあってね」と永徳は説明してくれた。

 妖艶な微笑みを浮かべた鬼女の瞳には、永徳しか映っていないようで。その視線には、単なる好意以上のものが感じられた。軽く彼と談笑したあと、漆黒の絹のような長い髪を揺らしながら小首を傾げ、彼女はようやく佐和子に目を向ける。

「あなたが葵さんかしら、はじめまして。今日はよろしく」

「はい、葵佐和子と申します。今日はどうぞよろしくお願いします」

 ––––どこかであったような気がしたけど。気のせいかな……。

 彼女は頭の先から爪の先まで佐和子を凝視すると、口角を上げ、軽く鼻で笑った。

「マーケティング部の椿です。部長の華山は忙しいので、私が今回の件は窓口を務めているの。あなたに電話をしたのも私よ。……思っていたより平凡な女。永徳さん、なんでこんなちんちくりん、嫁候補に選んだんです?」

 半笑いでそう言われ、佐和子は眉根を寄せた。いくら依頼者側だとしても、失礼すぎやしないだろうか。しかも「嫁候補」というのは事実と反するわけで。謂れのないことで馬鹿にされるのは不本意だ。

「それになんていうか。あまり仕事ができそうな雰囲気も感じないわねえ。見込み違いだったかしら」

 思わず佐和子が口を開こうとすれば、永徳が先に言葉を発する。

「椿、俺の嫁候補にそういう態度を取るなら、この仕事は受けないよ?」

「あら、永徳さん。軽い冗談に決まっているじゃありませんか。いやですわ。あら、そちらのヴァンパイアさんはなかなかの美男子ねえ」

「いやあ、そんな……」

 頬を染め、頭を掻きながら珍しくマイケルが照れている。それに気を良くしたのか、椿はマイケルに関心を向けたようだ。

「でも、ヴァンパイアだし、人間の血を吸うのかしら。だとしたら葵さんと働くのは大変なんじゃなくて?」

「ああ、いえ。自分、血は絶ってるんです。マクロビにはまってまして。ですから目の前で流血でもされない限り、人を襲うことはありませんよ」

「あらあ、そうなの。健康志向なのねえ。……さて、立ち話もなんですから、会議室へご案内いたしますね」

 赤い唇を三日月型にしながらそう言うと、椿は佐和子たちを先導して歩いていく。そのうしろ姿を見ながら永徳は佐和子に向かって耳打ちをした。

「いいかい。鬼はやり手だからね。無理難題をバンバン投げてくるくせに、締め切り厳守で、ゴリゴリ詰めてくる。無茶苦茶を言われたら鵜呑みにせず、契約がしっかり固まってしまう前に交渉すること。健康的に仕事ができる『余裕のあるライン』を見極めて調整することが大事だからね。もちろん、条件があまりに悪ければ依頼自体断ってくれて構わない」

「大丈夫です。頑張れます。見ててください」

 あそこまで馬鹿にされた態度を取られて、こちらだってタダでは引っ込めない。

 普段出てこないような強気な佐和子の発言に、永徳は珍しいものでも見るような顔をする。なにかを言おうとしたようだったが、結局飲み込み、口をつぐんだ。

 ––––今回のような広告企画は、前職のマーケの時に企業側の担当者として関わっていたこともあるし、知識がゼロで臨むわけではないもの。

 永徳はああ言ったが、多少の無理をしてでも、佐和子はこの案件を成功させるつもりだった。


 ◇◇◇


「はあああ?!  三週間後に納品完了予定で使える企画を準備しろだあ? 誰よそんな要求を言ってきたの」

 笹野屋邸の職場に戻った直後、打ち合わせの内容を即座に聞きにやってきた刹那に依頼内容を報告すると、編集室に響き渡るような声で叫ばれた。

「ええと、マーケの椿さんていう女性だったけど……鬼のあやかしの」

「鬼女の椿? 椿って言った?」

 刹那は「椿」という名前を聞いて、顔色を変える。そして佐和子の首根っこを掴むと、編集室の襖をあけ、客間へと直行する。

「ちょ、ちょっと刹那ちゃん! 急にどうしたの」

 客間に到着し、刹那は後ろ手に障子を閉めると、佐和子の眼前に首を伸ばす。

「その女、いっとき編集長にしつこく付き纏ってた女よ! 編集長がのらりくらりかわしてたから、その先に進むことはなかったけど」

「ええっ、そうなの?」

「しかも、とんでもなく性悪で。編集長に近づく女にはもれなく嫌がらせをするの。しかもね、編集長自身には気づかれないように、うまーくやるのよ。アタシも一回、編集長との関係を疑われて。カバンに蛇を入れられたり、毒矢を仕掛けられたり、散々な目にあったわ」

「蛇に毒矢って……物騒だね……」

 五十六まで独身と聞いて、本人に何かしら問題があるのだろうと思っていたが。永徳自身が知らぬ間に、外的要因も影響していたらしい。
 佐和子が顔を引き攣らせていると、かつての恨みを思い出したような怒りの表情で刹那が続ける。

「今回の件だって絶対あんたに対する嫌がらせよ。嫁候補っていうのを把握した上で仕事を頼んだっていうのが一番の証拠。何されるかわからないわよ。やめておきなさい」

 半分佐和子を叱っているような剣幕でそういう刹那を前に、佐和子は押し黙る。きっとここへきた直後なら、「そうします」と返答したのかもしれない。だが。

「それでも大手の仕事だし。企画書は出してみたい」

 佐和子の返答に、刹那は眉根を寄せる。

「刹那ちゃんの言うとおり、嫌がらせかもしれないけど。笹野屋さんも関わっているわけだし、いい企画をきちんと出せれば無碍むげにはされないと思うの。それにたとえボツになったとしても、広告企画の仕事の経験にはなるし」

「でも、今回の依頼内容って、『モデルを使った人間風メイク』の広告記事でしょ? ただ取材して記事出すわけじゃないのよ。モデルやヘアメイクのキャスティングも必要だし、鬼灯堂ってなったら、下手なモデルは使えない。候補出ししても、この短期間で一定クラスのモデルのスケジュールを確保すること自体、めちゃくちゃ無謀なのよ?」

「わかってるよ。多少無理しても最速のスケジュールで進めるつもり。それで出して、向こうが一発オーケーならなんとか進められる」

 捲し立てるようにそう説明した佐和子に、刹那は心配そうな顔をする。

「……佐和子あんた、どうしたの? なんからしくないじゃない。いや、前から頑固なところはあったけど。なんか、変に焦ってない?」

「別に、焦ってなんかないよ」

「……まあ、あんたがやるって言うならもう止めないけど。手伝えることがあるなら言いなさいよ」

「……うん、ありがと」

 あやかし瓦版に勤め始めてもう一ヶ月が経つ。

 永徳が佐和子に期待しているのは「人間ならではの視点」だ。しかし、まだ刹那に手伝ってもらって書いた、レジャー記事の連載でしか期待に応えられていない。

 山吹からの誘いがあってから、自分がいつかは人間社会へ戻らねばならないことを、佐和子は意識し始めていた。

 ––––人間の世界へ戻る前に、ここで少しでも多く成果を残さなきゃ。また、なにもできないまま会社を去るのはいやだ。

 日本庭園の大島桜からは、純白の花びらがすっかり消えて。幼く柔らかな緑の芽は、急に戻ってきた寒波にさらされていた。
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