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第三章 不可解な取材依頼
あやかしの死
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「笹野屋殿、葵殿。このような格好での出迎えで大変申し訳ない。遠方からはるばるよく来てくださった」
皺くちゃの肌に禿げ上がった頭。一見人間の老人のようにも見えたが、その背中には黒羽同様翼が生えていた。しかし黒羽のものとは違い、だいぶ羽が抜け落ちていて、地肌が見えてしまっている。
「儂はこの土地の川天狗の頭領をしている川澄というものだ。見ての通りもう歳でな。間も無く天寿を全うするところよ」
カッカと豪快に笑う様は、黒羽に少し似ている。しかしその笑いは弱々しく、生気が感じられない。
「主様は三百年もの間、我ら川天狗をよく率いてくださった。もう間も無く天寿を全うされるお祝いに、なにか記念に残ることをしたいと考えている」
黒羽が鷹揚にそう言った。
「お祝い……?」
佐和子は眉間に皺を寄せる。問い合わせフォームの文面を見た時から疑問に思っていた。なぜ、「死ぬ」ことを祝うのか。
そんな佐和子の様子に気づいた永徳は、黒羽の言葉を捕捉するように説明を加えた。
「長い時を生きるあやかしにとって、天寿を全うしての『死』というのは、めでたいものなのだよ。なんて喩えたらいいかなあ、フルマラソンを完走して、やったあ、みたいな感じって言ったら伝わるかね」
「うーん、わかるような、わからないような」
川澄は永徳と佐和子のやりとりを黙って見ていたかと思うと、ハッとしたような顔をして、二人の会話に口を挟んだ。
「おや、そちらの葵殿は人間の女か。これはちょうど良い。黒羽もそろそろ年頃でな。嫁御を探しておったところで……」
「葵は嫁にはやりません」
永徳はピシャリと川澄の話を遮り、険しい顔を作った。さっきから嫁取りの話になると明らかに不機嫌になる彼の横顔を、佐和子はじっと眺める。
––––これは、もしかして、やきもちだったり……?
自分の頭に浮かんだ考えを、佐和子は慌てて霧散させた。
––––いやいや、そんなはずは。
「嫁候補」は佐和子をあやかしから守るための方便だと先ほども言っていた。
出会ってまだ間もないし、永徳から甘ったるい態度を向けられたこともない。
しかしあからさまなこの態度を見ると、虫除けの意味だけではないのではと疑ってしまう。
「うちは少数精鋭でやっているのでね。社員を嫁に取られては困る」
あとから付け加えられた永徳の言葉に、佐和子はがっくりと肩を落とした。会社が回らないから結婚は許さないという発言は、今の時代の経営者としてはアウトなのではないだろうか。
––––いや、まあこんな山奥に連れ去られたら困りますけれども。
「まあその話はあとで進めるとして。まずは我らの要望を聞いてもらえるか」
嫁の話はあくまで進める方向で押し切ろうとする黒羽に佐和子はゲンナリしつつも、永徳と黒羽とともに川澄のベッドの近くに置かれたテーブルセットに腰を落ち着けた。とりあえず本題に入れそうな雰囲気を見て、佐和子はカバンからノートパソコンを取り出す。
「我ら川天狗は、愛宕山の太郎坊ほどの高位の天狗ではない。しかし、地位は異なれど、自然を守り、人間やあやかしの子どもを守り、この地の安寧に尽くしてきた。だが、我が主がこのまま消えようとも、歴史には残らない。それが我は悲しくて仕方がないのだ」
「儂は一族で送り出してくれればそれでいいと言ったのだがな。この黒羽や、他の天狗たちがどうしてもなにかしたいと聞かぬもので。ありがたいことではあるがの」
黒羽の言葉に重ねるように、そう川澄は言った。
「それであやかし瓦版に、川澄殿の門出を一緒に祝ってほしいと、そう問い合わせをしたのだな」
永徳がそう尋ねると、黒羽はうなずいた。
「いかにも」
話を聞いていくと、天狗にも階級があるようで。「愛宕山の太郎坊」「鞍馬山の僧正坊」など、人間世界でも比較的有名な天狗は、神として人間の信仰になるほどの力の強い大天狗で、川天狗とは位が異なるようだ。「川天狗」というのは、単純に「川の近くに住んでいる天狗の一族」のことを指すらしい。
「たとえば『川天狗の川澄、大往生』といったような記事を、あやかし瓦版のトップページに写真付きでどーんと出してもらうことは叶わぬか」
黒羽の意見に、永徳は渋い顔をする。
「いやいや……それはちょっと。あの、仮にもメディアだからね、あやかし瓦版は」
佐和子はあやかし瓦版オンラインを開いた瞬間、川澄の写真がデカデカと出てくる図を想像してみる。それを見てブラウザバックする読者が何人もいそうだと、顔を顰めた。
主にライフスタイル情報を扱うあやかし瓦版の人気コンテンツは、娯楽や食べ物、レジャー情報など。そういったコンテンツを楽しみにしている読者のことを考えれば、急に画面を占領するような大きさで見知らぬあやかしの訃報が出てくる、というのは好ましくないだろう。
「あのね、黒羽。メディアというのは、読者にとって価値ある情報を提供するのが仕事なのだよ。だから『情報提供者だけに都合のいい情報』は載せられない。広告ならまだ譲歩の余地はあるけど。それだって読者が楽しめる形を考えないといけない。まあ、川天狗って、これまで取り上げたことないし、取り上げ方はいろいろ考えられるかもしれないけど。ちょっと持ち帰らせてほしいね」
永徳の回答にしばらく黙っていた黒羽だったが。代替案が思いつかなかったらしく、不満そうな顔をしながらも頷いた。
「……あいわかった。しかし、もう残り時間も少ない。悪いが一両日中に検討結果を教えてくれまいか。天に昇る日はすでに決まっている。二週間後だ」
黒羽の言葉に、佐和子はパソコンから顔を上げて驚愕の表情を向ける。
「え、二週間後? ものすごく時間がないじゃないですか。しかも、死期ってそんな正確にわかるものなんですか……」
「我が主ほどのあやかしであれば、天に昇る日ぐらいは自分で予期できるのだ」
戸惑う佐和子を横目に、永徳は腕を組み、鼻から息を漏らした。
「まあ、事情はわかったから。できるだけ早く返答する。川澄殿、俺たちはこれで失礼するよ。お大事に」
立ち上がる永徳に続き、佐和子がペコリとお辞儀をすると、彼は佐和子の前に掌を差し出した。どうやらこの部屋の出口から襖まで飛ぶらしい。
「扉じゃないとダメなんですか?」
「うーん、扉じゃなきゃいけないわけではないよ。なんらかの目標物があればいいって感じかな」
永徳はなぜか自分の方に佐和子の手を引き寄せると、黒羽に向かってにこりと笑う。相変わらず黒羽の顔は天狗の面で見えないが、腕を組み、仁王立ちでこちらを見ていた。
「牽制とは大人気ないな、笹野屋殿」
「俺はなにも言っていないよ、黒羽。さあ戻ろう、葵さん」
「あ、はい……」
二人のよくわからないやりとりを目で追いつつも、佐和子は前を向く。
病人もいるからか、今回は歩いて出口に向かった永徳についてドアをくぐる。到着した場所は襖の先の編集室ではなく、笹野屋の屋敷の門を出たところだった。
建物の中にいたので気がつかなかったが、すでに日はとっぷりと暮れており、公園の街灯がぼんやりとあたりを照らしている。永徳は佐和子の手を離し、着物の中に自分の手を隠した。
「こちらは雨が降っているね。その格好で寒くないかい?」
「はい、重ね着してきたので、大丈夫です」
永徳はどこからともなく傘を取り出し、佐和子が雨に濡れないようにさしてくれた。慌てて鞄から折り畳み傘を取り出してさし、傘から出る佐和子を見て、「このままでもいいのに」と彼は困ったように笑う。
「暗くなってしまったし、家まで送ろう。歩いて帰るんだよね?」
「はい、バスに乗るにはもったいない距離なので」
永徳がついてきてくれると聞いて、佐和子は内心ほっとしていた。
この間の幽霊のようなものがまた現れても、きっと根付が守ってはくれるのだろうが、怖いものは怖い。
しとしとと降り注ぐ小雨の中、自分の少し前を歩いていく紺地の着物の背を、見つめながら歩いていく。
佐和子と永徳の背は頭ひとつ分は違うので、歩幅も永徳の方が広いはずだが。佐和子に合わせてくれているのか、ついていくのにそれほど苦労はしなかった。
「あの、笹野屋さん」
「なんだい」
佐和子は、永徳にずっと聞きたかったことがあった。流されるままにここまできてしまったので、聞くタイミングがなかったのだ。次に二人きりになれた時に、聞いてみようと思っていた。
「あの、いまさらで恐縮なのですが。笹野屋さんのお父様の……大魔王山本五郎左衛門さんって、どういう方なんでしょう。話の雰囲気から「あやかしの総大将」みたいな方なのかな、とは思っているんですが。みなさん当たり前のように口にする名前なので、なかなか聞きづらくて……不勉強で申し訳ないのですが……」
「うちの父? ……ああ、人間にとってはあやかしの総大将って言ったら『ぬらりひょん』のイメージが強いのかなあ。アニメとかの影響で」
「そうですね……それに大魔王って言われると、どちらかというとゲームとかのイメージが強くて」
「たしかにねえ。うちの父に関しては、人間の物語で言うと、江戸時代中期に書かれたとされる『稲生物怪録絵巻』に記述がある。あやかしの眷属たちを大勢引き連れていて、当時は結構やんちゃをしていたみたいだねえ。人間を脅かしたり、ライバルとあやかしの頭領の座をかけて諍いを繰り返したり」
「そうなんですね……はじめて知りました」
「まあ、無理もないよ。見た目も人間みたいで、大きな特徴もないし。インパクトなら刹那の方がよっぽどある」
そんなこと言ってると怒られますよ、と心の中で突っ込みつつも。佐和子は話の続きを待った。
「ただまあねえ。あやかしたちにはとても慕われていてね。面倒見が良くて、気っ風がよかったからかな。とにかく仲間を大切にしていてね。今俺が引き継いでいる、『あやかし瓦版』も、時代の変化についていけなくなったあやかしたちに、有益な情報と娯楽を提供するために父が始めたものだし。とにかくまあ、偉大なあやかしだったよ。手前味噌だけど」
「尊敬されているんですね」
「尊敬、そうだねえ。尊敬しているかはわからないけど、一生敵わないとは思ってる」
東池公園の前を通り過ぎると、桜が目に入った。公園の桜はだいぶ散ってはいたが、まだかろうじて無事なようだ。あまり強い雨ではなかったから、保ってくれたらしい。
「今屋敷に住まれてるんですか、お父様は。一度もお姿を見たことがありませんけど」
「母を失って、ショックを受けてね。眷属の一部を連れて、全国行脚の旅に出ているよ。四十九日には戻ってくるとは思うけど。それが終わればまたいなくなるだろうね。あの落ち込みようは……」
公園の出口から住宅街に向けて、急坂を登っていく。
駅の西に位置するこのエリアは、山を切り開いた場所のた角度のきつい坂が多いのだ。引きこもりがちだった佐和子は息を切らしていたが、永徳はまるでひとりだけ平面を歩いているかのように平然としていた。
雲に覆われた気の重くなるような空を見上げながら、彼はため息をつく。
「さあて、どうするかねえ。葵さん、悪いけど明日の午前中、君の時間をもらうよ。アイデア出しをしよう、今日の川天狗の件」
皺くちゃの肌に禿げ上がった頭。一見人間の老人のようにも見えたが、その背中には黒羽同様翼が生えていた。しかし黒羽のものとは違い、だいぶ羽が抜け落ちていて、地肌が見えてしまっている。
「儂はこの土地の川天狗の頭領をしている川澄というものだ。見ての通りもう歳でな。間も無く天寿を全うするところよ」
カッカと豪快に笑う様は、黒羽に少し似ている。しかしその笑いは弱々しく、生気が感じられない。
「主様は三百年もの間、我ら川天狗をよく率いてくださった。もう間も無く天寿を全うされるお祝いに、なにか記念に残ることをしたいと考えている」
黒羽が鷹揚にそう言った。
「お祝い……?」
佐和子は眉間に皺を寄せる。問い合わせフォームの文面を見た時から疑問に思っていた。なぜ、「死ぬ」ことを祝うのか。
そんな佐和子の様子に気づいた永徳は、黒羽の言葉を捕捉するように説明を加えた。
「長い時を生きるあやかしにとって、天寿を全うしての『死』というのは、めでたいものなのだよ。なんて喩えたらいいかなあ、フルマラソンを完走して、やったあ、みたいな感じって言ったら伝わるかね」
「うーん、わかるような、わからないような」
川澄は永徳と佐和子のやりとりを黙って見ていたかと思うと、ハッとしたような顔をして、二人の会話に口を挟んだ。
「おや、そちらの葵殿は人間の女か。これはちょうど良い。黒羽もそろそろ年頃でな。嫁御を探しておったところで……」
「葵は嫁にはやりません」
永徳はピシャリと川澄の話を遮り、険しい顔を作った。さっきから嫁取りの話になると明らかに不機嫌になる彼の横顔を、佐和子はじっと眺める。
––––これは、もしかして、やきもちだったり……?
自分の頭に浮かんだ考えを、佐和子は慌てて霧散させた。
––––いやいや、そんなはずは。
「嫁候補」は佐和子をあやかしから守るための方便だと先ほども言っていた。
出会ってまだ間もないし、永徳から甘ったるい態度を向けられたこともない。
しかしあからさまなこの態度を見ると、虫除けの意味だけではないのではと疑ってしまう。
「うちは少数精鋭でやっているのでね。社員を嫁に取られては困る」
あとから付け加えられた永徳の言葉に、佐和子はがっくりと肩を落とした。会社が回らないから結婚は許さないという発言は、今の時代の経営者としてはアウトなのではないだろうか。
––––いや、まあこんな山奥に連れ去られたら困りますけれども。
「まあその話はあとで進めるとして。まずは我らの要望を聞いてもらえるか」
嫁の話はあくまで進める方向で押し切ろうとする黒羽に佐和子はゲンナリしつつも、永徳と黒羽とともに川澄のベッドの近くに置かれたテーブルセットに腰を落ち着けた。とりあえず本題に入れそうな雰囲気を見て、佐和子はカバンからノートパソコンを取り出す。
「我ら川天狗は、愛宕山の太郎坊ほどの高位の天狗ではない。しかし、地位は異なれど、自然を守り、人間やあやかしの子どもを守り、この地の安寧に尽くしてきた。だが、我が主がこのまま消えようとも、歴史には残らない。それが我は悲しくて仕方がないのだ」
「儂は一族で送り出してくれればそれでいいと言ったのだがな。この黒羽や、他の天狗たちがどうしてもなにかしたいと聞かぬもので。ありがたいことではあるがの」
黒羽の言葉に重ねるように、そう川澄は言った。
「それであやかし瓦版に、川澄殿の門出を一緒に祝ってほしいと、そう問い合わせをしたのだな」
永徳がそう尋ねると、黒羽はうなずいた。
「いかにも」
話を聞いていくと、天狗にも階級があるようで。「愛宕山の太郎坊」「鞍馬山の僧正坊」など、人間世界でも比較的有名な天狗は、神として人間の信仰になるほどの力の強い大天狗で、川天狗とは位が異なるようだ。「川天狗」というのは、単純に「川の近くに住んでいる天狗の一族」のことを指すらしい。
「たとえば『川天狗の川澄、大往生』といったような記事を、あやかし瓦版のトップページに写真付きでどーんと出してもらうことは叶わぬか」
黒羽の意見に、永徳は渋い顔をする。
「いやいや……それはちょっと。あの、仮にもメディアだからね、あやかし瓦版は」
佐和子はあやかし瓦版オンラインを開いた瞬間、川澄の写真がデカデカと出てくる図を想像してみる。それを見てブラウザバックする読者が何人もいそうだと、顔を顰めた。
主にライフスタイル情報を扱うあやかし瓦版の人気コンテンツは、娯楽や食べ物、レジャー情報など。そういったコンテンツを楽しみにしている読者のことを考えれば、急に画面を占領するような大きさで見知らぬあやかしの訃報が出てくる、というのは好ましくないだろう。
「あのね、黒羽。メディアというのは、読者にとって価値ある情報を提供するのが仕事なのだよ。だから『情報提供者だけに都合のいい情報』は載せられない。広告ならまだ譲歩の余地はあるけど。それだって読者が楽しめる形を考えないといけない。まあ、川天狗って、これまで取り上げたことないし、取り上げ方はいろいろ考えられるかもしれないけど。ちょっと持ち帰らせてほしいね」
永徳の回答にしばらく黙っていた黒羽だったが。代替案が思いつかなかったらしく、不満そうな顔をしながらも頷いた。
「……あいわかった。しかし、もう残り時間も少ない。悪いが一両日中に検討結果を教えてくれまいか。天に昇る日はすでに決まっている。二週間後だ」
黒羽の言葉に、佐和子はパソコンから顔を上げて驚愕の表情を向ける。
「え、二週間後? ものすごく時間がないじゃないですか。しかも、死期ってそんな正確にわかるものなんですか……」
「我が主ほどのあやかしであれば、天に昇る日ぐらいは自分で予期できるのだ」
戸惑う佐和子を横目に、永徳は腕を組み、鼻から息を漏らした。
「まあ、事情はわかったから。できるだけ早く返答する。川澄殿、俺たちはこれで失礼するよ。お大事に」
立ち上がる永徳に続き、佐和子がペコリとお辞儀をすると、彼は佐和子の前に掌を差し出した。どうやらこの部屋の出口から襖まで飛ぶらしい。
「扉じゃないとダメなんですか?」
「うーん、扉じゃなきゃいけないわけではないよ。なんらかの目標物があればいいって感じかな」
永徳はなぜか自分の方に佐和子の手を引き寄せると、黒羽に向かってにこりと笑う。相変わらず黒羽の顔は天狗の面で見えないが、腕を組み、仁王立ちでこちらを見ていた。
「牽制とは大人気ないな、笹野屋殿」
「俺はなにも言っていないよ、黒羽。さあ戻ろう、葵さん」
「あ、はい……」
二人のよくわからないやりとりを目で追いつつも、佐和子は前を向く。
病人もいるからか、今回は歩いて出口に向かった永徳についてドアをくぐる。到着した場所は襖の先の編集室ではなく、笹野屋の屋敷の門を出たところだった。
建物の中にいたので気がつかなかったが、すでに日はとっぷりと暮れており、公園の街灯がぼんやりとあたりを照らしている。永徳は佐和子の手を離し、着物の中に自分の手を隠した。
「こちらは雨が降っているね。その格好で寒くないかい?」
「はい、重ね着してきたので、大丈夫です」
永徳はどこからともなく傘を取り出し、佐和子が雨に濡れないようにさしてくれた。慌てて鞄から折り畳み傘を取り出してさし、傘から出る佐和子を見て、「このままでもいいのに」と彼は困ったように笑う。
「暗くなってしまったし、家まで送ろう。歩いて帰るんだよね?」
「はい、バスに乗るにはもったいない距離なので」
永徳がついてきてくれると聞いて、佐和子は内心ほっとしていた。
この間の幽霊のようなものがまた現れても、きっと根付が守ってはくれるのだろうが、怖いものは怖い。
しとしとと降り注ぐ小雨の中、自分の少し前を歩いていく紺地の着物の背を、見つめながら歩いていく。
佐和子と永徳の背は頭ひとつ分は違うので、歩幅も永徳の方が広いはずだが。佐和子に合わせてくれているのか、ついていくのにそれほど苦労はしなかった。
「あの、笹野屋さん」
「なんだい」
佐和子は、永徳にずっと聞きたかったことがあった。流されるままにここまできてしまったので、聞くタイミングがなかったのだ。次に二人きりになれた時に、聞いてみようと思っていた。
「あの、いまさらで恐縮なのですが。笹野屋さんのお父様の……大魔王山本五郎左衛門さんって、どういう方なんでしょう。話の雰囲気から「あやかしの総大将」みたいな方なのかな、とは思っているんですが。みなさん当たり前のように口にする名前なので、なかなか聞きづらくて……不勉強で申し訳ないのですが……」
「うちの父? ……ああ、人間にとってはあやかしの総大将って言ったら『ぬらりひょん』のイメージが強いのかなあ。アニメとかの影響で」
「そうですね……それに大魔王って言われると、どちらかというとゲームとかのイメージが強くて」
「たしかにねえ。うちの父に関しては、人間の物語で言うと、江戸時代中期に書かれたとされる『稲生物怪録絵巻』に記述がある。あやかしの眷属たちを大勢引き連れていて、当時は結構やんちゃをしていたみたいだねえ。人間を脅かしたり、ライバルとあやかしの頭領の座をかけて諍いを繰り返したり」
「そうなんですね……はじめて知りました」
「まあ、無理もないよ。見た目も人間みたいで、大きな特徴もないし。インパクトなら刹那の方がよっぽどある」
そんなこと言ってると怒られますよ、と心の中で突っ込みつつも。佐和子は話の続きを待った。
「ただまあねえ。あやかしたちにはとても慕われていてね。面倒見が良くて、気っ風がよかったからかな。とにかく仲間を大切にしていてね。今俺が引き継いでいる、『あやかし瓦版』も、時代の変化についていけなくなったあやかしたちに、有益な情報と娯楽を提供するために父が始めたものだし。とにかくまあ、偉大なあやかしだったよ。手前味噌だけど」
「尊敬されているんですね」
「尊敬、そうだねえ。尊敬しているかはわからないけど、一生敵わないとは思ってる」
東池公園の前を通り過ぎると、桜が目に入った。公園の桜はだいぶ散ってはいたが、まだかろうじて無事なようだ。あまり強い雨ではなかったから、保ってくれたらしい。
「今屋敷に住まれてるんですか、お父様は。一度もお姿を見たことがありませんけど」
「母を失って、ショックを受けてね。眷属の一部を連れて、全国行脚の旅に出ているよ。四十九日には戻ってくるとは思うけど。それが終わればまたいなくなるだろうね。あの落ち込みようは……」
公園の出口から住宅街に向けて、急坂を登っていく。
駅の西に位置するこのエリアは、山を切り開いた場所のた角度のきつい坂が多いのだ。引きこもりがちだった佐和子は息を切らしていたが、永徳はまるでひとりだけ平面を歩いているかのように平然としていた。
雲に覆われた気の重くなるような空を見上げながら、彼はため息をつく。
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