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第二章 あやかし瓦版編集部に転職します
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「ほ、本当にこれで大丈夫なの?」
「うん、とっても似合ってるよ。こういう格好すると、刹那ちゃんも大学生くらいの女の子に見えるね」
「そう?」
日曜日。佐和子は永徳の屋敷の一室を借り、刹那の支度を手伝っていた。刹那の日本髪を解くとかなりの長さになったので、頭は緩めのお団子ヘアにまとめ、花柄のワンピースにジーンズ素材のシャツを羽織らせる。
「着物よりも楽だと思うよ」
「でもなんだか、締め付けがまったくないと落ち着かないわ」
洋装をするのはこれが初めてらしい。ソワソワしながら鏡の前で何度も服装を確認する刹那の様子は、彼氏とのデートに浮き足立つ人間の女の子となんら変わりなく、佐和子は微笑ましく思った。
あのあと佐和子は、刹那が井川から贈られた雑誌を活用し、彼女の洋服の好みを聞いた。服装のだいたいの見当がついたところで、昨日二人で横浜駅まで服を買いに行ったのだ。着物では試着がしづらいと思い、その時は佐和子の服を貸し、化粧品からデート服数セットを買い揃えてきている。
「お化粧するからここへ座って」
「佐和子、お化粧上手なの? あんたの地味な薄化粧を見てると、どうもうまいようには見えないのだけど」
「たぶん……」
刹那は普段、真っ白な白粉をはたき、まぶたに紅、目元に墨を引いて、朱色の口紅を唇にのせている。あやかしの化粧文化について、佐和子はよく知らなかったが。現代の日本人女性の化粧と比べると、随分と派手で古風なものだった。
佐和子はそれなりにきちんと化粧をしているつもりだったが、刹那の化粧があやかしにとって標準的なものなのだとすれば、人間の化粧は彼女の言う通り「地味」と言えるだろう。
「まあ、いいわ。座ってあげるから綺麗にやりなさいよ」
「うん、頑張るね」
会話ができるようになった当初は、佐和子のことが特別嫌いできつい態度を取られているのかと思っていたが。どうやらこれが彼女の生来の気質らしい。他のどのあやかしにもこの態度なので、この数日のうちに彼女の辛辣な言葉遣いに対しては、なんとも思わなくなってきていた。
井川が刹那にプレゼントした雑誌のメイクのコーナーを広げながら、佐和子は失敗しないよう、慎重に作業を始める。
「ねえ」
「なあに、刹那ちゃん」
佐和子にファンデーションを塗られながら、目を瞑ったまま刹那は話す。
「アタシ、思ったのだけど。人間への化け方とか、人間が運営するレジャースポットの楽しみ方とか。……人間とのデートで気をつけるべきこととか……そういうの、まとめて記事にするのはどうかしら」
「えっ」
「……アタシみたいに。人間の生活に関心はあるけど、どうやって入り込んでいったらいいかわからないあやかしも、一定数いると思うから」
「お……面白そう! それ、すっごく面白いと思う。さすが刹那ちゃん、天才。記事でお手伝いできることがあれば、言ってね」
興奮気味に佐和子がそう言うと、刹那は瞼をあけ、佐和子の額を軽く人差し指でつついた。
「あ・ん・たが書くのよ、佐和子」
「えっ、私……?」
「そうよ。編集長があんたを雇ったのは、人間ならではの視点で記事を書いてほしいからって聞いたわ。これこそ、人間のあんたにしか書けない記事なんじゃないの?」
「あ……」
「ほらっ、手が止まってるわよ! 仕事の話はまた月曜日に相談しましょ。今はアタシのお化粧を完璧に仕上げなさいよね!」
「う、うん……! 刹那ちゃん、ありがとう……」
刹那に自分の価値を認めてもらった上で、仕事をもらえたのが嬉しくて。気づくと佐和子の目からは、大粒の涙が流れていた。
「な、泣くじゃないわよっ! なんでそんなことで泣くのよ。もう、人間ってのはよくわかんないわね!」
「ご、ごめん……。ありがとう刹那ちゃん、私、頑張ってみる」
これ以上涙を流さないよう、厳しい表情を作った佐和子は、刹那の化粧に本腰を入れる。
なんとか今風のおしゃれ女子に刹那を仕上げた頃には、涙も引っ込み、すっきりとした心持ちになっていた。
絶対についてくるな、という刹那の言葉に頷きつつも。佐和子はこっそり、屋敷から公園の方に向かって坂を降りていく刹那の背中を見守っていた。
デート中に張り付くようなことは考えていなかったが、やはり井川の反応が気になって、二人が落ち合うところだけは見届けたいと思っていたのだ。
東池公園の入り口の前で、刹那が井川と合流したのが見えた。
表情は見てとれないが、落ち着きのない井川の動きから、照れているであろうことが察せられる。
そもそも、服を気にしているのは刹那の方だけで、彼は服などどうでもいいのだ。好きになった彼女が自分のために着飾ってきてくれた事実だけで、嬉しいはず。
縮こまってお辞儀をする刹那の手を、井川が握る。
刹那は一層背中を丸め、下を向いた。
バス停の方に向かっていく彼らの背中は初々しくて、なんだかこちらまでこそばゆくなってしまう。
「いいなあ。恋愛かあ」
仕事で認められたい。評価されたい。今よりもっといい実績を残したい。
そんな思いでがんじがらめになって、うまくいかなくて。
長い間、佐和子の心は氷のように冷たく固くなっていた。
二人の姿を見ていたら、ひさしぶりに自分も「恋をしてみたい」なんていう気分になったことに気づき、自分のことながら意外な気持ちになる。
春うらら、暖かな陽のもとで、佐和子の心の蕾も綻んでいた。
⌘
翌日。佐和子はいかに井川とのデートが楽しかったかを、刹那にたっぷりと聞かされることになる。
「それで、それでね! プレゼントまで用意してくれて」
佐和子は興奮気味に首を伸ばす刹那の話を聞きながら、記事の参考になりそうな点をメモに取った。
ただ、どこまでも伸びていく首の方にだんだん気はとられるし、話の内容は八割惚気話だったので、後半は伸びる首を眺めながら、赤べこのように首を上下に振るだけになってしまったが。
ひと通り話し終えて満足した刹那を横目に、佐和子は記事の骨子を詰めていく。
書き方は教わったが、記事を書くこと自体の経験がないので、なかなか筆は進まず、結局昼を跨いでしまった。
「佐和子、記事の骨子どう? 苦戦しているようだけど」
そう刹那に進捗を確認され、思い切って一旦作ってみたものを見せてみる。
「ど、どうかな……?」
初めて手がけた仕事を先輩社員に見てもらうというのは、なかなか緊張するものだ。刹那は記事の原案となる骨子案をじっくりと読んだあと、頬に手を当てて唸る。
「うーん、単純に記事のテーマを『人間とのデートファッション』にしちゃうと、ターゲットが狭まっちゃいそうね……」
「そうなの?」
佐和子が問えば、刹那は思考をまとめるためか、首をニョキニョキと伸ばしつつ、自分なりの意見を述べる。
「アタシみたいに人間と恋愛するあやかしは、そんなに多くないのよ。だから『人間に変装して、レジャースポットを楽しもう!』みたいな記事に仕立てた方が、読者の幅は広がるんじゃないかと思うのよ」
そういえば永徳も言っていた。人間と恋愛をするあやかしはそう多くはないのだと。
「うちのあやかし瓦版の読者データをよく見ておきなさい。どういうあやかしが読者に多いかとか、興味の方向性とか、いろいろ書いてあるから」
「なるほど……」
「まあ、あやかしは自由奔放だから、ざっくりとした傾向しかとれないけどね。それでも人間からしたら、記事を作る時の手がかりにはなると思うわ」
佐和子は早速刹那に教えられた読者データのファイルを読みながら、自分の骨子に向き合う。
「うーん……どうやって直そうかな……」
すっかり刹那のデートの話題に頭を占拠されていて、なかなか軌道修正がうまくいかない。腕を組み、デスクチェアに寄りかかったところで、何者かの体に頭がぶつかった。
「あ、すみません」
「なんだい葵さん、悩み事かい」
上から顔を覗き込まれて、佐和子は慌ててデスクチェアを引いた。この彫刻のように綺麗な人に突然現れられると、なかなかに心臓に悪い。
しかし永徳の顔を見て、ふと、先日のテーマパークでの会話を思い出した。
「あ……」
「ん?」
「笹野屋さん、もしかして……あの、デートって」
「ああ、この間のお出かけのことかな? 記事の参考になるといいんだがね」
それだけ言って、永徳はくるりと背中を向け、鼻歌混じりにゆったりとした足取りで自席に戻っていく。
––––仕事って。そういうことですか。
知らぬ間にいろいろと手を回されていたことに気がつき、佐和子は項垂れる。佐和子のはじめての記事のトピックを、永徳はあらかじめ用意しておいて、佐和子が自力でそれをまとめ上げられるように、タネを撒いていたのだ。
ありがたいような、悔しいような、複雑な心境だ。
「早く、一人前にならないとなあ……」
新卒社員でなく、自分は中途採用なのだ。いくら未経験者だったとしても、こんなふうに手をかけられていることが、申し訳ない。
気持ちを切り替えようと、手元のお茶を口に含む。佐和子は机に向かい、キーボードを打ち始めた。
出来上がった記事には、『あやかしだって楽しめる! 人間世界のテーマパークの巡り方』というタイトルが付けられた。
先日永徳といった人工島のテーマパークを行き先としてピックアップし、チケットの買い方、見どころ、ショーやアトラクションの楽しみ方などを紹介している。
そして人間に紛れる際の注意点、浮かないファッションのポイントなども併せて記載した。これは刹那の悩みを聞きながら、一緒にデートファッションについて考えたときのことが元になっている。
あやかしがつまづきそうなポイントについては、「留意すべき注意事項」という形でまとめた。これは永徳が投げかけてきた、不可解な質問がベースになった。
彼はあの質問を通して「あやかし特有のものの考え方」を佐和子に伝えていたのだ。人間とあやかしの考え方の違いを考慮しながら、このあたりはまとめている。
「佐和子、昨日公開した記事の閲覧数でてるわよ!」
刹那に呼ばれて、慌てて彼女の隣にやってきた佐和子は、映し出されている折れ線グラフを覗き込んだ。
「ど、ど、ど、どうだった?」
佐和子が作成した記事は、同種の記事の平均ページ閲覧数の少し下くらい。初めての記事としては「まあまあ」の結果だった。
「平均以下かあ……」
「あのねえ、はなからそんなにうまく行くわけないでしょ」
肩を落とす佐和子の背中を、刹那はバチン、と叩く。
「でも、ほら、見てみなさいよ、これ」
「え、これって」
刹那は佐和子に一枚の紙を手渡す。
そこには、短い文章でこう書かれていた。
『人間世界のテーマパークの記事、斬新で大変興味深く。是非今後も別の場所を取り上げていただきたい』
「それ、お問い合わせフォームにね、この記事に対するご意見ってことで来てたのよ。こういう系統の記事は、シリーズでやれば過去記事も回遊してもらえることが多いから。続けてみたらいいんじゃない? せっかくだから、このご意見への返信はあんたに頼むわ」
印刷された文字をまじまじと見て、佐和子の手に力がこもった。
人間社会から弾き出されてしまった自分でも、認めてくれる誰かがいる。
それがただただ嬉しくて。化粧室に向かうふりをしたそのさきで、佐和子はひとり涙した。
「うん、とっても似合ってるよ。こういう格好すると、刹那ちゃんも大学生くらいの女の子に見えるね」
「そう?」
日曜日。佐和子は永徳の屋敷の一室を借り、刹那の支度を手伝っていた。刹那の日本髪を解くとかなりの長さになったので、頭は緩めのお団子ヘアにまとめ、花柄のワンピースにジーンズ素材のシャツを羽織らせる。
「着物よりも楽だと思うよ」
「でもなんだか、締め付けがまったくないと落ち着かないわ」
洋装をするのはこれが初めてらしい。ソワソワしながら鏡の前で何度も服装を確認する刹那の様子は、彼氏とのデートに浮き足立つ人間の女の子となんら変わりなく、佐和子は微笑ましく思った。
あのあと佐和子は、刹那が井川から贈られた雑誌を活用し、彼女の洋服の好みを聞いた。服装のだいたいの見当がついたところで、昨日二人で横浜駅まで服を買いに行ったのだ。着物では試着がしづらいと思い、その時は佐和子の服を貸し、化粧品からデート服数セットを買い揃えてきている。
「お化粧するからここへ座って」
「佐和子、お化粧上手なの? あんたの地味な薄化粧を見てると、どうもうまいようには見えないのだけど」
「たぶん……」
刹那は普段、真っ白な白粉をはたき、まぶたに紅、目元に墨を引いて、朱色の口紅を唇にのせている。あやかしの化粧文化について、佐和子はよく知らなかったが。現代の日本人女性の化粧と比べると、随分と派手で古風なものだった。
佐和子はそれなりにきちんと化粧をしているつもりだったが、刹那の化粧があやかしにとって標準的なものなのだとすれば、人間の化粧は彼女の言う通り「地味」と言えるだろう。
「まあ、いいわ。座ってあげるから綺麗にやりなさいよ」
「うん、頑張るね」
会話ができるようになった当初は、佐和子のことが特別嫌いできつい態度を取られているのかと思っていたが。どうやらこれが彼女の生来の気質らしい。他のどのあやかしにもこの態度なので、この数日のうちに彼女の辛辣な言葉遣いに対しては、なんとも思わなくなってきていた。
井川が刹那にプレゼントした雑誌のメイクのコーナーを広げながら、佐和子は失敗しないよう、慎重に作業を始める。
「ねえ」
「なあに、刹那ちゃん」
佐和子にファンデーションを塗られながら、目を瞑ったまま刹那は話す。
「アタシ、思ったのだけど。人間への化け方とか、人間が運営するレジャースポットの楽しみ方とか。……人間とのデートで気をつけるべきこととか……そういうの、まとめて記事にするのはどうかしら」
「えっ」
「……アタシみたいに。人間の生活に関心はあるけど、どうやって入り込んでいったらいいかわからないあやかしも、一定数いると思うから」
「お……面白そう! それ、すっごく面白いと思う。さすが刹那ちゃん、天才。記事でお手伝いできることがあれば、言ってね」
興奮気味に佐和子がそう言うと、刹那は瞼をあけ、佐和子の額を軽く人差し指でつついた。
「あ・ん・たが書くのよ、佐和子」
「えっ、私……?」
「そうよ。編集長があんたを雇ったのは、人間ならではの視点で記事を書いてほしいからって聞いたわ。これこそ、人間のあんたにしか書けない記事なんじゃないの?」
「あ……」
「ほらっ、手が止まってるわよ! 仕事の話はまた月曜日に相談しましょ。今はアタシのお化粧を完璧に仕上げなさいよね!」
「う、うん……! 刹那ちゃん、ありがとう……」
刹那に自分の価値を認めてもらった上で、仕事をもらえたのが嬉しくて。気づくと佐和子の目からは、大粒の涙が流れていた。
「な、泣くじゃないわよっ! なんでそんなことで泣くのよ。もう、人間ってのはよくわかんないわね!」
「ご、ごめん……。ありがとう刹那ちゃん、私、頑張ってみる」
これ以上涙を流さないよう、厳しい表情を作った佐和子は、刹那の化粧に本腰を入れる。
なんとか今風のおしゃれ女子に刹那を仕上げた頃には、涙も引っ込み、すっきりとした心持ちになっていた。
絶対についてくるな、という刹那の言葉に頷きつつも。佐和子はこっそり、屋敷から公園の方に向かって坂を降りていく刹那の背中を見守っていた。
デート中に張り付くようなことは考えていなかったが、やはり井川の反応が気になって、二人が落ち合うところだけは見届けたいと思っていたのだ。
東池公園の入り口の前で、刹那が井川と合流したのが見えた。
表情は見てとれないが、落ち着きのない井川の動きから、照れているであろうことが察せられる。
そもそも、服を気にしているのは刹那の方だけで、彼は服などどうでもいいのだ。好きになった彼女が自分のために着飾ってきてくれた事実だけで、嬉しいはず。
縮こまってお辞儀をする刹那の手を、井川が握る。
刹那は一層背中を丸め、下を向いた。
バス停の方に向かっていく彼らの背中は初々しくて、なんだかこちらまでこそばゆくなってしまう。
「いいなあ。恋愛かあ」
仕事で認められたい。評価されたい。今よりもっといい実績を残したい。
そんな思いでがんじがらめになって、うまくいかなくて。
長い間、佐和子の心は氷のように冷たく固くなっていた。
二人の姿を見ていたら、ひさしぶりに自分も「恋をしてみたい」なんていう気分になったことに気づき、自分のことながら意外な気持ちになる。
春うらら、暖かな陽のもとで、佐和子の心の蕾も綻んでいた。
⌘
翌日。佐和子はいかに井川とのデートが楽しかったかを、刹那にたっぷりと聞かされることになる。
「それで、それでね! プレゼントまで用意してくれて」
佐和子は興奮気味に首を伸ばす刹那の話を聞きながら、記事の参考になりそうな点をメモに取った。
ただ、どこまでも伸びていく首の方にだんだん気はとられるし、話の内容は八割惚気話だったので、後半は伸びる首を眺めながら、赤べこのように首を上下に振るだけになってしまったが。
ひと通り話し終えて満足した刹那を横目に、佐和子は記事の骨子を詰めていく。
書き方は教わったが、記事を書くこと自体の経験がないので、なかなか筆は進まず、結局昼を跨いでしまった。
「佐和子、記事の骨子どう? 苦戦しているようだけど」
そう刹那に進捗を確認され、思い切って一旦作ってみたものを見せてみる。
「ど、どうかな……?」
初めて手がけた仕事を先輩社員に見てもらうというのは、なかなか緊張するものだ。刹那は記事の原案となる骨子案をじっくりと読んだあと、頬に手を当てて唸る。
「うーん、単純に記事のテーマを『人間とのデートファッション』にしちゃうと、ターゲットが狭まっちゃいそうね……」
「そうなの?」
佐和子が問えば、刹那は思考をまとめるためか、首をニョキニョキと伸ばしつつ、自分なりの意見を述べる。
「アタシみたいに人間と恋愛するあやかしは、そんなに多くないのよ。だから『人間に変装して、レジャースポットを楽しもう!』みたいな記事に仕立てた方が、読者の幅は広がるんじゃないかと思うのよ」
そういえば永徳も言っていた。人間と恋愛をするあやかしはそう多くはないのだと。
「うちのあやかし瓦版の読者データをよく見ておきなさい。どういうあやかしが読者に多いかとか、興味の方向性とか、いろいろ書いてあるから」
「なるほど……」
「まあ、あやかしは自由奔放だから、ざっくりとした傾向しかとれないけどね。それでも人間からしたら、記事を作る時の手がかりにはなると思うわ」
佐和子は早速刹那に教えられた読者データのファイルを読みながら、自分の骨子に向き合う。
「うーん……どうやって直そうかな……」
すっかり刹那のデートの話題に頭を占拠されていて、なかなか軌道修正がうまくいかない。腕を組み、デスクチェアに寄りかかったところで、何者かの体に頭がぶつかった。
「あ、すみません」
「なんだい葵さん、悩み事かい」
上から顔を覗き込まれて、佐和子は慌ててデスクチェアを引いた。この彫刻のように綺麗な人に突然現れられると、なかなかに心臓に悪い。
しかし永徳の顔を見て、ふと、先日のテーマパークでの会話を思い出した。
「あ……」
「ん?」
「笹野屋さん、もしかして……あの、デートって」
「ああ、この間のお出かけのことかな? 記事の参考になるといいんだがね」
それだけ言って、永徳はくるりと背中を向け、鼻歌混じりにゆったりとした足取りで自席に戻っていく。
––––仕事って。そういうことですか。
知らぬ間にいろいろと手を回されていたことに気がつき、佐和子は項垂れる。佐和子のはじめての記事のトピックを、永徳はあらかじめ用意しておいて、佐和子が自力でそれをまとめ上げられるように、タネを撒いていたのだ。
ありがたいような、悔しいような、複雑な心境だ。
「早く、一人前にならないとなあ……」
新卒社員でなく、自分は中途採用なのだ。いくら未経験者だったとしても、こんなふうに手をかけられていることが、申し訳ない。
気持ちを切り替えようと、手元のお茶を口に含む。佐和子は机に向かい、キーボードを打ち始めた。
出来上がった記事には、『あやかしだって楽しめる! 人間世界のテーマパークの巡り方』というタイトルが付けられた。
先日永徳といった人工島のテーマパークを行き先としてピックアップし、チケットの買い方、見どころ、ショーやアトラクションの楽しみ方などを紹介している。
そして人間に紛れる際の注意点、浮かないファッションのポイントなども併せて記載した。これは刹那の悩みを聞きながら、一緒にデートファッションについて考えたときのことが元になっている。
あやかしがつまづきそうなポイントについては、「留意すべき注意事項」という形でまとめた。これは永徳が投げかけてきた、不可解な質問がベースになった。
彼はあの質問を通して「あやかし特有のものの考え方」を佐和子に伝えていたのだ。人間とあやかしの考え方の違いを考慮しながら、このあたりはまとめている。
「佐和子、昨日公開した記事の閲覧数でてるわよ!」
刹那に呼ばれて、慌てて彼女の隣にやってきた佐和子は、映し出されている折れ線グラフを覗き込んだ。
「ど、ど、ど、どうだった?」
佐和子が作成した記事は、同種の記事の平均ページ閲覧数の少し下くらい。初めての記事としては「まあまあ」の結果だった。
「平均以下かあ……」
「あのねえ、はなからそんなにうまく行くわけないでしょ」
肩を落とす佐和子の背中を、刹那はバチン、と叩く。
「でも、ほら、見てみなさいよ、これ」
「え、これって」
刹那は佐和子に一枚の紙を手渡す。
そこには、短い文章でこう書かれていた。
『人間世界のテーマパークの記事、斬新で大変興味深く。是非今後も別の場所を取り上げていただきたい』
「それ、お問い合わせフォームにね、この記事に対するご意見ってことで来てたのよ。こういう系統の記事は、シリーズでやれば過去記事も回遊してもらえることが多いから。続けてみたらいいんじゃない? せっかくだから、このご意見への返信はあんたに頼むわ」
印刷された文字をまじまじと見て、佐和子の手に力がこもった。
人間社会から弾き出されてしまった自分でも、認めてくれる誰かがいる。
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