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第二章 あやかし瓦版編集部に転職します
デートという名の仕事
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不思議な術を使って永徳が佐和子を連れてきたのは、どうやら水族館と遊園地が併設されたテーマパークのようだった。
大きな観覧車やジェットコースターなどのアトラクションがある横に、水族館らしき巨大な建物が鎮座している。人工島の上に建っていて、陸地とは一本の橋で繋がれているようだった。
彼は入り口でチケットを買うと、佐和子に一枚差し出した。
「そんな、自分の分は自分で払います」
「大丈夫、これちゃんと仕事だから。経費で落ちるんだよ」
よく見ると、永徳の手には領収書が握られている。
––––なんだ、本当にデートというわけじゃなかったのね。
自分が恥ずかしい勘違いをしまったようで、佐和子は居た堪れなくなった。
この掴みどころのない編集長に、早速振り回されてしまっている。
佐和子の複雑な心境などどこ吹く風という様子で、永徳は子どものようにはしゃぎながら、水族館のほうの入り口へ先に向かっており、手招きをしている。
「デートではない、ということでしたが。ではなんの仕事でここに私を連れてきたんですか?」
大水槽の中を突っ切るように作られた奇抜なエスカレーターに圧倒され、マンタやマイワシ、メジロザメなどが悠々と泳ぐ様に目を奪われながら、佐和子は疑問を口にする。
「あやかしはねえ、好奇心が旺盛でね。人間世界のものにも興味津々なんだよ」
答えになっていない。刹那がイライラする気持ちがちょっとだけわかってしまう。
当惑する佐和子をよそに、キラキラと光を反射する青い宝石のような瞳を水槽に向けながら、彼は続けた。
「ただねえ、基本的には自分達の領域の中で生活をしているから。興味はあっても、なかなか手を出せないんだよね。テーマパークとかも、面白そうだとは思っているのだけど。どうやってチケットを買ったらいいかもわからないし。どういう格好で来たら不自然じゃないかもわからない」
「でもそれと仕事と、なんの関係があるんでしょう」
「人間のテーマパークを楽しむためのガイドブックとかがあればいんだけど。ないんだよねえ。うちの他にもあやかし向けのメディアってあるんだけど。取り上げるトピックは自分たちの世界で完結しているから、人間社会のことは取り上げないし」
永徳は、どうやら佐和子の疑問に答えてくれるつもりはないらしい。
「ちなみに葵さんは、こういう施設に来るとき、どんな服装を選ぶ? たとえばデートだったら」
仕方なく佐和子は、永徳の会話の流れに逆らうのをやめ、質問に答えた。
「そうですねえ……。たとえば初回のデートで、相手の好みがわからなければ、比較的おとなしめの服を選ぶでしょうか。女性らしい、スカートスタイルが人間向けの女性誌とかだとお薦めされますね」
人間向け、と自分が口にしていたことに気づき、佐和子は口を押さえた。
なんだか不思議な感覚だ。あやかしが「実在」することを前提に話をするなんて。
「なるほどねえ。いやあ、実に興味深い」
顎に手を当て、納得したようにウンウン、と頷きながら、永徳はペンギンの水槽の前に移っていった。置いていかれないようについていきながら、佐和子は持論を続ける。
「露出は控えた方がいいでしょうね。あまりに肌が見えている服は、好まない男性が多いと聞きますから。無難が一番です」
「じゃあ家族と行くとしたら?」
「家族……とですか。動きやすい、気軽な格好がいいでしょうか……。あの、これ、どういう意図の質問なんでしょうか」
「服装ひとつにそんなに考えることがあるとは。人間は大変だ。あやかしたちは『自分がどうしたいか』が一番大事だと考えるからね。極端なことを言えば、全裸だろうが、半纏一枚だろうが、本人が『それがいい』って思っていれば、それでいいんだよ。場所を問わずね。他のあやかしが『あいつはおかしな格好をしている』なんて、うしろ指をさすこともないし」
「そういう……ものですか……」
「だから、場面に合わせた服装を考えるっていう面において、あやかしは人間的な感覚を持ち合わせていないと言えるかもね」
そう言われて、屋敷で見たあやかしたちの服装を思い浮かべてみる。
刹那は朱色に牡丹柄の着物を着ていたし、河童は全裸に赤いふんどし一丁だった。小鬼の双子は甚兵衛のようなものを着ていたし。そうかと思えばインターンのヴァンパイアは真っ白い襟付きのシャツにジーンズ姿というカジュアルな格好だった。
「自由でいいですね……羨ましい」
「葵さんもそんなにかしこまったスーツを着てこなくていいよ。君が一番楽な格好で来てくれれば。ああ、さすがにパジャマとかはまずいけれどね」
「いくらなんでも、パジャマで出勤してくるようなドジは致しませんよ」
「じゃあ次の質問。イルカショーのイルカって、食べていいの?」
「えっ! ダメに決まってるじゃないですか」
「ここだけ水槽に蓋がされていないし、あやかしによっては食べていいと勘違いする輩もいそうなんだよねえ」
「えええ……」
「人間にとっての常識が、あやかしにとっても常識だとは限らないんだよ。これから仕事をしていくと、きっとその感覚の違いにとまどうこともあるだろう。自分の常識を疑い、あやかしの言葉に耳を傾けるんだ」
「なるほど……」
このあとも、永徳は佐和子に奇想天外な質問を投げかけ続けた。
たまに立ち止まり、色とりどりの魚を目で追いながら、佐和子は彼の質問に自分なりの答えを返していく。答えていくうちに、あやかしと人間ではだいぶ考え方が異なるのだということがよくわかった。
水族館の出口まで辿り着くと、永徳は「甘いものが食べたくなった」と言って、どこかへ走っていった。主人を見失った迷い犬のようにその場でオロオロしていると、ソフトクリームを両手に持った永徳が小走りで戻ってくる。
「急にいなくならないでください」
「いやあ悪いね。思いつきで行動するタイプなんだよ、俺は」
そう言いながら差し出されたソフトクリームを、お礼を言いながら受け取った。永徳は近くのベンチを指差し、先に歩いていきながら佐和子を手招きする。誘われるまま並んで腰を下ろすと、彼は佐和子の方に体を向けて座った。
「だいぶ歩いたね。疲れたかい?」
「……大丈夫です」
「無理はしなくていいよ。顔に疲れたと書いてある」
そんなに疲労感を漂わせていただろうかと、佐和子は肩をすくめる。
「体がしんどいとか、苦しい時は、きちんと言うんだよ。さて、そろそろいい時間だね。最後に、編集部での葵さんの役割について話をしておきたい」
「私の、役割ですか……?」
観光モードから、急に仕事モードに切り替わった永徳に戸惑いつつも、佐和子は姿勢を整える。
「そう。そもそも俺が葵さんを雇ったのにはちゃんと理由がある」
真面目な表情になった永徳の瞳を、佐和子はじっと見つめる。
ソフトクリームを持ったままというのが、大層違和感があるのだが。
「君には、『人間ならでは』の視点で、仕事をしてほしいんだよ」
「人間ならではの視点……」
「かつてはあやかしが人間の生活を脅かしていたような時代もあったけどね。今やあやかしは絶滅危惧種と言っても過言ではない。彼らがこの日本で住むことのできる場所は限られていて、年々狭まっている。生き残っていくためには、人間の生活環境に適度に入り込みながら生活できるようにならなければいけないんだ」
「そう、なんですね……」
「あやかし瓦版は、そんなあやかしたちのために作られたニュースサイトだ。葵さんには、人間視点で、あやかしたちに現代で生きていくための知恵を発信する手伝いをしてほしい––––これは、人間である君にしかできない仕事だよ」
宝石のような双眸が優しく微笑む。永徳の言葉に、佐和子の心は揺さぶられた。
––––私にしか、できない仕事……。
期待されたこともなく、ただただ組織の歯車として磨耗してしまった佐和子にとって、「君にしかできない仕事」という言葉は眩しかった。
死んだようだった心に、温かな光が灯るのを感じる。
「水族館で俺が葵さんに聞いたことを、家に帰ってからあらためて考えてみるといいよ。これからあやかし瓦版で記事を書いていく上での指標になる」
「えっ、そんな大事な質問だったんですか! ちょっと待ってください、メモを取るので、もう一度……」
「葵さんは真面目だねえ。考え方の話だよ。質問ひとつひとつが重要なわけじゃない。おや、こんな話をしているうちにあっという間に夕暮れだ。本当はアトラクションの方も乗りたかったのだけどねえ、残念。今日はもうこのまま帰ろう」
だいぶ溶けてしまったソフトクリームを、慌てて食べ切ったあと。
また佐和子の手を取って永徳は歩き出した。
テーマパークの出口のゲートをくぐると、そこはもうつるさわ駅の西口改札だった。どうやらまた術を使ったらしい。
歩き出そうとして、永徳が前に進まないのに気がつき、顔を上げると。
彼は目を細め、どこか遠くを見ている。
「どうかしたんですか」
まるでなにかを覗き見ているようなその様子を見て、不思議に思った佐和子は、そう聞いてみたのだが。やはり永徳は答えるつもりがないらしい。
「……ああそうだ、すっかり忘れていた。葵さんにお使いを頼むつもりだったんだ」
わざとらしい調子でそう言う永徳に、少しの引っ掛かりを覚えながらも、佐和子は聞き返す。
「お使いですか。なんでしょう」
「つるさわ駅前の『文庫堂書店』でファッション誌を何冊か買ってきてほしい。男性向け、女性向け、両方ね。五冊ずつくらいかな。領収書を忘れずに」
「はい、わかりました。でも……なにに使うんでしょう?」
「まあまあ、それはおいおいね。あ、葵さん」
永徳は屈んで、佐和子の視線に自分の瞳の高さを合わせる。
「俺とのデートは楽しかったかい」
「えっ……!」
透き通るような青い瞳に見つめられて、佐和子は頬が朱を帯びていくのを感じた。
「いやいや、さっき仕事っておっしゃってたじゃないですか!」
「まあそうなんだけど。でも、二人でお出かけしたことには変わりないだろう? ああ、デートで思い出した。あやかしと人間の恋愛について、今度葵さんにアドバイスをもらうのもいいかもねえ。ひとつ気になる案件があってね」
楽しそうにそう言うと、佐和子の返答を待たずに「ではまた明日」とだけ言い残し、背中を向けて笹野屋の屋敷の方へ向けて帰っていく。
––––もう、本当になんなのこの人は……。
上長の不意打ちで紅を纏った頬を冷ましながら、赤く染まった空の下、紺色の羽織を見送った。
「私にしか、できない仕事、か……」
予期せず訪れた「あやかしの世界」での社会復帰の第一歩。
指導係に指導を拒否され、永徳にほぼ一日振り回されて疲れ切ってはいたが。最後に与えられた少しの「希望」のおかげか、意外にも佐和子の気持ちは上向いていた。
大きな観覧車やジェットコースターなどのアトラクションがある横に、水族館らしき巨大な建物が鎮座している。人工島の上に建っていて、陸地とは一本の橋で繋がれているようだった。
彼は入り口でチケットを買うと、佐和子に一枚差し出した。
「そんな、自分の分は自分で払います」
「大丈夫、これちゃんと仕事だから。経費で落ちるんだよ」
よく見ると、永徳の手には領収書が握られている。
––––なんだ、本当にデートというわけじゃなかったのね。
自分が恥ずかしい勘違いをしまったようで、佐和子は居た堪れなくなった。
この掴みどころのない編集長に、早速振り回されてしまっている。
佐和子の複雑な心境などどこ吹く風という様子で、永徳は子どものようにはしゃぎながら、水族館のほうの入り口へ先に向かっており、手招きをしている。
「デートではない、ということでしたが。ではなんの仕事でここに私を連れてきたんですか?」
大水槽の中を突っ切るように作られた奇抜なエスカレーターに圧倒され、マンタやマイワシ、メジロザメなどが悠々と泳ぐ様に目を奪われながら、佐和子は疑問を口にする。
「あやかしはねえ、好奇心が旺盛でね。人間世界のものにも興味津々なんだよ」
答えになっていない。刹那がイライラする気持ちがちょっとだけわかってしまう。
当惑する佐和子をよそに、キラキラと光を反射する青い宝石のような瞳を水槽に向けながら、彼は続けた。
「ただねえ、基本的には自分達の領域の中で生活をしているから。興味はあっても、なかなか手を出せないんだよね。テーマパークとかも、面白そうだとは思っているのだけど。どうやってチケットを買ったらいいかもわからないし。どういう格好で来たら不自然じゃないかもわからない」
「でもそれと仕事と、なんの関係があるんでしょう」
「人間のテーマパークを楽しむためのガイドブックとかがあればいんだけど。ないんだよねえ。うちの他にもあやかし向けのメディアってあるんだけど。取り上げるトピックは自分たちの世界で完結しているから、人間社会のことは取り上げないし」
永徳は、どうやら佐和子の疑問に答えてくれるつもりはないらしい。
「ちなみに葵さんは、こういう施設に来るとき、どんな服装を選ぶ? たとえばデートだったら」
仕方なく佐和子は、永徳の会話の流れに逆らうのをやめ、質問に答えた。
「そうですねえ……。たとえば初回のデートで、相手の好みがわからなければ、比較的おとなしめの服を選ぶでしょうか。女性らしい、スカートスタイルが人間向けの女性誌とかだとお薦めされますね」
人間向け、と自分が口にしていたことに気づき、佐和子は口を押さえた。
なんだか不思議な感覚だ。あやかしが「実在」することを前提に話をするなんて。
「なるほどねえ。いやあ、実に興味深い」
顎に手を当て、納得したようにウンウン、と頷きながら、永徳はペンギンの水槽の前に移っていった。置いていかれないようについていきながら、佐和子は持論を続ける。
「露出は控えた方がいいでしょうね。あまりに肌が見えている服は、好まない男性が多いと聞きますから。無難が一番です」
「じゃあ家族と行くとしたら?」
「家族……とですか。動きやすい、気軽な格好がいいでしょうか……。あの、これ、どういう意図の質問なんでしょうか」
「服装ひとつにそんなに考えることがあるとは。人間は大変だ。あやかしたちは『自分がどうしたいか』が一番大事だと考えるからね。極端なことを言えば、全裸だろうが、半纏一枚だろうが、本人が『それがいい』って思っていれば、それでいいんだよ。場所を問わずね。他のあやかしが『あいつはおかしな格好をしている』なんて、うしろ指をさすこともないし」
「そういう……ものですか……」
「だから、場面に合わせた服装を考えるっていう面において、あやかしは人間的な感覚を持ち合わせていないと言えるかもね」
そう言われて、屋敷で見たあやかしたちの服装を思い浮かべてみる。
刹那は朱色に牡丹柄の着物を着ていたし、河童は全裸に赤いふんどし一丁だった。小鬼の双子は甚兵衛のようなものを着ていたし。そうかと思えばインターンのヴァンパイアは真っ白い襟付きのシャツにジーンズ姿というカジュアルな格好だった。
「自由でいいですね……羨ましい」
「葵さんもそんなにかしこまったスーツを着てこなくていいよ。君が一番楽な格好で来てくれれば。ああ、さすがにパジャマとかはまずいけれどね」
「いくらなんでも、パジャマで出勤してくるようなドジは致しませんよ」
「じゃあ次の質問。イルカショーのイルカって、食べていいの?」
「えっ! ダメに決まってるじゃないですか」
「ここだけ水槽に蓋がされていないし、あやかしによっては食べていいと勘違いする輩もいそうなんだよねえ」
「えええ……」
「人間にとっての常識が、あやかしにとっても常識だとは限らないんだよ。これから仕事をしていくと、きっとその感覚の違いにとまどうこともあるだろう。自分の常識を疑い、あやかしの言葉に耳を傾けるんだ」
「なるほど……」
このあとも、永徳は佐和子に奇想天外な質問を投げかけ続けた。
たまに立ち止まり、色とりどりの魚を目で追いながら、佐和子は彼の質問に自分なりの答えを返していく。答えていくうちに、あやかしと人間ではだいぶ考え方が異なるのだということがよくわかった。
水族館の出口まで辿り着くと、永徳は「甘いものが食べたくなった」と言って、どこかへ走っていった。主人を見失った迷い犬のようにその場でオロオロしていると、ソフトクリームを両手に持った永徳が小走りで戻ってくる。
「急にいなくならないでください」
「いやあ悪いね。思いつきで行動するタイプなんだよ、俺は」
そう言いながら差し出されたソフトクリームを、お礼を言いながら受け取った。永徳は近くのベンチを指差し、先に歩いていきながら佐和子を手招きする。誘われるまま並んで腰を下ろすと、彼は佐和子の方に体を向けて座った。
「だいぶ歩いたね。疲れたかい?」
「……大丈夫です」
「無理はしなくていいよ。顔に疲れたと書いてある」
そんなに疲労感を漂わせていただろうかと、佐和子は肩をすくめる。
「体がしんどいとか、苦しい時は、きちんと言うんだよ。さて、そろそろいい時間だね。最後に、編集部での葵さんの役割について話をしておきたい」
「私の、役割ですか……?」
観光モードから、急に仕事モードに切り替わった永徳に戸惑いつつも、佐和子は姿勢を整える。
「そう。そもそも俺が葵さんを雇ったのにはちゃんと理由がある」
真面目な表情になった永徳の瞳を、佐和子はじっと見つめる。
ソフトクリームを持ったままというのが、大層違和感があるのだが。
「君には、『人間ならでは』の視点で、仕事をしてほしいんだよ」
「人間ならではの視点……」
「かつてはあやかしが人間の生活を脅かしていたような時代もあったけどね。今やあやかしは絶滅危惧種と言っても過言ではない。彼らがこの日本で住むことのできる場所は限られていて、年々狭まっている。生き残っていくためには、人間の生活環境に適度に入り込みながら生活できるようにならなければいけないんだ」
「そう、なんですね……」
「あやかし瓦版は、そんなあやかしたちのために作られたニュースサイトだ。葵さんには、人間視点で、あやかしたちに現代で生きていくための知恵を発信する手伝いをしてほしい––––これは、人間である君にしかできない仕事だよ」
宝石のような双眸が優しく微笑む。永徳の言葉に、佐和子の心は揺さぶられた。
––––私にしか、できない仕事……。
期待されたこともなく、ただただ組織の歯車として磨耗してしまった佐和子にとって、「君にしかできない仕事」という言葉は眩しかった。
死んだようだった心に、温かな光が灯るのを感じる。
「水族館で俺が葵さんに聞いたことを、家に帰ってからあらためて考えてみるといいよ。これからあやかし瓦版で記事を書いていく上での指標になる」
「えっ、そんな大事な質問だったんですか! ちょっと待ってください、メモを取るので、もう一度……」
「葵さんは真面目だねえ。考え方の話だよ。質問ひとつひとつが重要なわけじゃない。おや、こんな話をしているうちにあっという間に夕暮れだ。本当はアトラクションの方も乗りたかったのだけどねえ、残念。今日はもうこのまま帰ろう」
だいぶ溶けてしまったソフトクリームを、慌てて食べ切ったあと。
また佐和子の手を取って永徳は歩き出した。
テーマパークの出口のゲートをくぐると、そこはもうつるさわ駅の西口改札だった。どうやらまた術を使ったらしい。
歩き出そうとして、永徳が前に進まないのに気がつき、顔を上げると。
彼は目を細め、どこか遠くを見ている。
「どうかしたんですか」
まるでなにかを覗き見ているようなその様子を見て、不思議に思った佐和子は、そう聞いてみたのだが。やはり永徳は答えるつもりがないらしい。
「……ああそうだ、すっかり忘れていた。葵さんにお使いを頼むつもりだったんだ」
わざとらしい調子でそう言う永徳に、少しの引っ掛かりを覚えながらも、佐和子は聞き返す。
「お使いですか。なんでしょう」
「つるさわ駅前の『文庫堂書店』でファッション誌を何冊か買ってきてほしい。男性向け、女性向け、両方ね。五冊ずつくらいかな。領収書を忘れずに」
「はい、わかりました。でも……なにに使うんでしょう?」
「まあまあ、それはおいおいね。あ、葵さん」
永徳は屈んで、佐和子の視線に自分の瞳の高さを合わせる。
「俺とのデートは楽しかったかい」
「えっ……!」
透き通るような青い瞳に見つめられて、佐和子は頬が朱を帯びていくのを感じた。
「いやいや、さっき仕事っておっしゃってたじゃないですか!」
「まあそうなんだけど。でも、二人でお出かけしたことには変わりないだろう? ああ、デートで思い出した。あやかしと人間の恋愛について、今度葵さんにアドバイスをもらうのもいいかもねえ。ひとつ気になる案件があってね」
楽しそうにそう言うと、佐和子の返答を待たずに「ではまた明日」とだけ言い残し、背中を向けて笹野屋の屋敷の方へ向けて帰っていく。
––––もう、本当になんなのこの人は……。
上長の不意打ちで紅を纏った頬を冷ましながら、赤く染まった空の下、紺色の羽織を見送った。
「私にしか、できない仕事、か……」
予期せず訪れた「あやかしの世界」での社会復帰の第一歩。
指導係に指導を拒否され、永徳にほぼ一日振り回されて疲れ切ってはいたが。最後に与えられた少しの「希望」のおかげか、意外にも佐和子の気持ちは上向いていた。
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