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悦子、実家に帰る

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「悦子さんの実家って、海の方だったんだね! 僕、海ほとんど行ったことがないんだ。楽しみだなあ」

「……そう、よかったわね」

「ねえ悦子さん、なんでそんなにテンション低いの?」

「……なんでもないわ」

 ハルキたちは今、神奈川県にある悦子の実家へ向けてドライブをしている。もちろんハルキは運転ができないので、いつもの通り助手席。ちゃんと実体で戸籍を取って、運転免許も取得して、悦子を助手席に乗せてみたい気持ちもあるのだが。どう考えても自分は運転に向かない気がしたので、それは諦めることにしている。

 いつもだったら「あなたはお留守番よ!」と言われるところなのだが。こうなった経緯は、数日前に遡る。



「私、来週実家に帰るから。お留守番お願いね。進捗報告は一週先に伸ばしてくれればいいから」

「えええ! 悦子さんの実家、僕も行きたいよ」

「ダメよ」

「行きたい行きたい!」

「ダメだったら」

「幽体で姿を消していくからさあ」

 ふたたび「捨てられた豆柴作戦」を決行したわけだが。今回の悦子は意固地だった。

 お盆の時期、一週間もマンションにひとりぼっちなんて、絶対に避けたい。響も因幡、つまり鳥取に帰ると聞いている。バーテンダーのバイトだって休みだ。旅館はこの時期蜂の巣をつついたような大賑わいだったけど、今は違う。しんと静まり返った室内で、動画配信サービスをひたすら見続ける座敷わらしを想像して、ハルキはゾッとした。

「姿を消してるって言われても、あなたが私の周りをふらふらしてるって思ったら、落ち着かないのよ!」

「そんなあ」

「あ、そういえば。あなた響さんとのアポ、調整してくれた?」

「え、まだだけど。ていうか、本当に会うつもりなの?」

 適当にスルーして、忘れてもらうつもりだったのに。同じあやかしのハルキから見ても魅力的な彼を、悦子に紹介するのは躊躇われた。女性と見紛うような美しい容姿と、程よく筋肉のついた長い手足。人間界のホストクラブでも頂点を極めるその話術は、きっと悦子をも籠絡してしまう力があるように思う。

「なるべく早く調整してよね。私がいない間にやっておいてちょうだい。直近の予定を渡していくから」

「いやだ」

「やだってなによ」

「悦子さんが、僕を実家に連れて行かないって言うなら調整してあげない」

「ハルキ! またそんな子どもみたいなこと言って」

 駄々っ子みたいだっていうのは自分でもわかっていたけど。どうしてもおいて行かれたくなかった。不本意ではあるが、こうなったら響のアポを盾に食い下がってやる、とハルキは口を結んだ。

「だってずるいよ。僕ばっかり悦子さんのお願い聞いてるもの」

「う……」

「いくら悦子さんのことを僕が気に入って一緒にいるからってさ! 結婚相手探しはボランティアなんだよ? 食費だって最低限しか消費しないようにしてるし! バイト始めてからはちゃんと生活費も入れてるし! 朝食の支度もしてるし!」

「まあ……そうね……」

「いくら僕が悦子さんのことを気に入っているからって。やりがい搾取だ! 不当労働だ!」

「わかった! わかったわよ。ついてきていいってば……」

 こうしてハルキは、悦子の里帰りに同行する権利を勝ち取ったのだ。



「横須賀サービスエリアで一回休憩を入れるから」

「はーい!」

「……ずいぶんウキウキしてるわね」

「旅行初めてなの、僕。生きてた時も、一度も行ったことなかったから」

「ご両親が観光業だと、なかなか難しいかもね」

「体も弱かったしね。悦子さんのご両親はどんな人なの?」

 ––––そういえば一度も聞いたことがなかったなあ。娘さんがこんなにすごい人なんだし、お父様は経営者とか? お母様もすごいお嬢様だったりして。

 妄想を膨らませているところへ、悦子の特大のため息が聞こえた。

「フツーの人たちよ。その辺にいそうな感じの」

「え、そうなの」

「ビジネスコンテストとかへの応募も、担任の先生が企業出身の人で、紹介されたのがきっかけで始めたことだし。両親はね、特に私のキャリアに対して、なにかしてくれたわけじゃないの。向こうからしたら、勝手にどんどん訳のわからないことをやり始めたって感じでしょうね」

「そうなんだ? 僕はてっきり、ご両親が教育ママパパなのかと」

 悦子は表情を曇らせ、運転に集中し始めた。ハルキとの会話を、一方的に切り上げたような感じだった。

 家族の話になると、悦子は急に光を失ったように元気がなくなってしまうことが多い。

 実家に帰るのに、どうしてこんな顔をするのだろうか。

 短い生涯だったけれど、温かい家庭で育ったハルキには、彼女が実家から身を遠ざける理由がよくわからなかった。
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