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最後の宿泊者

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「あった! あれだわ!」

 三枝荘、と書かれた真新しい看板を発見すると、悦子はウインカーを左方向に出し、駐車場に車をとめた。

 車外に出たところで、スーツに濃紺の半纏を着た初老の男性が悦子の荷物を受け取ってくれる。男性について行くと、赤い暖簾のかかった立派な旅館の門扉が現れた。奥には女将らしき着物の女性が控えていて、悦子が入るなり三つ指をついて丁寧なお辞儀をする。

「皐月の間にご宿泊予定の『横小路』様ですね。お待ちしておりました。三枝荘の女将でございます。本日は大変でございましたね。ご体調はいかがですか」

「この通り問題ないわ。車はまあ、大丈夫ではないけど。とりあえず部屋に案内してくださる? ちょっと疲れたの」

「ご無事でなによりです。それでは、お部屋の方にご案内いたします」

「ええ、頼むわ」

 仁王立ちでそう言った悦子に怯むことなく、穏やかな笑顔を返した女将は、旅館の奥へと彼女を案内する。

「こちらが皐月の間でございます。ごゆっくりお過ごしください。またお食事の頃に伺います」

 女将の姿が襖の向こうへ消えたあと。悦子はふうと息を吐くと、部屋の中を見渡した。

「なんだか、気味の悪い部屋ねえ……」

 部屋の上手には、二十体ほどの座敷わらしの人形が鎮座していた。何体か髪が伸びているものもある。皐月の間の作りは古く、ここだけ創業時から一切改装がなされていないようだ。綺麗に掃除されてはいるが、ところどころ壁紙にはシミがある。

 悦子は顔を引き攣らせながら、キョロキョロと部屋の隅々を見つめてみたが、座敷わらしらしき姿は人形以外見当たらない。今回の旅は座敷わらしに会うことが最重要ミッションだったので、明日の朝まで観光の予定などは入れていなかった。

 つまり、出てこなければずっとこの気味の悪い部屋で缶詰ということ。

「ちょっとお、さっさと出てきなさいよ座敷わらし! 早く出てこないと、この旅館買い取るわよ!」

「そんな横暴な」

 悦子は思わず飛び上がった。背後からいるはずのない男の声が聞こえたのだ。

 だがしかし、恐怖と同時に疑問が湧き上がる。座敷わらしは、「わらし」という名の通り子どもの姿のはず。聞こえてきた声は確実に、「成人男性」のもの。

 もし不審者ならぶん殴ってやろうと、手にはブランド物の皮の鞄を握りしめ、聞こえるはずのない男の声の方へ、怯えながらも顔を向ける。

「わっ、ちょっと!」

「ぎゃあああああああ」

 その辺にあったものを手当たり次第に投げつける悦子に向けて、宥めるように「その人物」は声をかけた。

「あの、ほら。僕、今幽体だから。モノ、投げられてもあまり効果ないっていうか……君が疲れるだけだと思うんだけど」

「はあっ……はあっ……あなた、何者? 人間……ではなさそうね……」

 悦子は、まじまじと目の前の男を見つめた。

 背中まで伸びた銀色の髪、ボロボロかつ膝まで見えた粗末な着物に、毛羽だった赤いチョッキを羽織っている。服装だけ見れば、かろうじて座敷わらしに見えなくもない。

 ひどい身なりとは対照的に、美青年という言葉がしっくりくるような色白の整った顔をしていて。それがまた人外の存在であるという空気感を増していた。歳の頃で言うと、二十そこそこといったところ。

「もう『わらし』と言える見た目ではなくなってしまったんだけどね。僕が噂の、座敷わらしです」

       ◇◇◇

 ––––なんか、すごい人が来ちゃったな。なんだっけ、「ヨココウジ エツコ」さんだっけ。

 最後の客を前に、ハルキは少々動揺していた。

 真っ赤なノースリーブのワンピースに、白いシャツを肩に引っ掛けた彼女は、小さな顔なのに瞳が大きくて、小鼻が小さくて。女優にも負けないほどの美人だった。たがしかし、気の強さが顔に全面に出ていてちょっと怖い。

「子ども、ではないわね……。でも、宿泊した者に幸せを与える、っていうのは間違ってないのかしら?」

 勢いよく物を投げまくって疲れたのか、肩で息をしながらそう言う悦子に、ハルキはおそるおそる言葉を返す。

「うん、まあ。それはあってるけどねえ。でも次、幸せを与えたら、僕、消滅しちゃうんだよねえ。だから、あんまり大それた願いを叶えてあげるのは難しいかも」

「……はあ? なによそれ。どういうこと?」

 ––––怖い。視線が怖い。

 ジリジリと詰め寄ってくる彼女に向けて、ハルキは恐る恐る経緯を話し始める。

「僕はこの旅館の元々の持ち主の子どもで。幼いときに亡くなったの。悲しむ両親を助けたくてこの世に留まっていたら、いつの間にか座敷わらしになってて。経営を助けるつもりで宿泊客の願いを叶えていたんだ。でもね、長い時間ずっとそうしていたら、力が尽きてしまったみたいで」

「元々はっていうことは、今はオーナーが違うの?」

「座敷わらしが出るって噂が広まって繁盛してからね、それに目をつけた親戚に騙されて、乗っ取られちゃったんだよ。高齢だったから、その方が良かったのかもしれないけど。そのあとは二人とも老人ホームに入居して、だいぶ前に亡くなっているよ」

「じゃあ……あなたがここにいる理由、もうないじゃない。なんで出て行かずに、消滅するまで力を尽くしてるのよ」

 ハルキは目をぱちくりすると、しげしげと悦子の顔を眺めた。

「おや、座敷わらしに頼りに来たのに。ずいぶん僕の事情を気にしてくれるんだね」

 押しは強いが、人の話を聞く耳はあるらしい。
 こんなふうに身の上話を聞いてくれる客はひさしぶりだった。だいたいの客は、自分の願いを叶えてもらおうと必死で。目の前の座敷わらしの事情について首を突っ込んでこようとはしない。

「なんだろうね。まあ、両親の旅館を残したいって気持ちも多少あるのかもしれないけど」

 問われて初めて、自分でも不思議に思った。どうして自分は、両親がいなくなってからも、ここを守り続けているんだろうかと。

 唇に指をあて、しばし考えたのち、ハルキは再び口を開く。

「……長年人に幸せを与え続けたら、それが自分の存在意義になったからかなぁ。ただそうするうち、どんどん自分の魂を削る結果になってしまったみたいだけど。まあもういっそ––––人を助けて消滅するなら、それでいいかなって」

「馬鹿馬鹿しい」

 被せるように言われたその言葉に、ハルキの中で一瞬、時が止まった。

  ––––え。今、馬鹿馬鹿しいって言った? えー、うそー。普通言う? たとえそう思ったとしても、口に出して馬鹿馬鹿しいなんて。

「……この話、ごく稀に尋ねてくるお客さんにも話したことあるんだけど。『馬鹿馬鹿しい』っていう反応は初めてだなぁ」

 ちょっぴりムッとしたハルキは、少し反抗的な声色でそう返した。  
 すると悦子は、淡々とした調子でハルキの言葉に応える。

「みんな『自己犠牲』の物語が好きよね。たしかに人のために尽くして死んだら、『あの人は素晴らしい人だった』って、死んでからたくさん褒めてもらえるかもしれないわね。だけど、死んだあとよ。生きて、苦しい間は誰も褒めてくれない。失われて初めて惜しまれるのよ」

「……まあ、そうかもしれないけど」

「いろんな生き方があっていいと思うわ。だけど、私はそんな生き方は嫌。それだったら、生きている間に誰に嫌われようとも、バッシングされようとも、自分の好きなことをして、自分の信じる道を突き進んでいた方がずっといい。人には好かれないし、辛いこともあるかもしれないけど。ちゃんと頑張った分、この手に残るものがある。それを見て会心の笑みを浮かべる瞬間が、私はなにより好きなのよ」

 ずいぶんズケズケ言うなあ、と、初めは話半分で聞いていたハルキだったが。 
 彼女の言葉は、自暴自棄気味になっていたハルキの心に、ぶすりと刺さった。

「あなたはどうしたいの? 死んだあとまで人に尽くして、消滅したあと惜しまれる人生でいいの? やりたいことはないの? 見知らぬ他人のためなんかじゃなくて、最後にひとつでも自分のやりたいことを叶えて、満足して成仏した方がずっと気持ちがいいんじゃないの」

「僕の、やりたいこと……」

 ハルキの心に火が灯る。

 諦めの気持ちの中に紛れていた、小さな願望たちが彼女の言葉に照らし出され、浮き上がった。

 愛されたい。

 誰かを好きになってみたい。

 自分だって幸せになりたい。

「いろいろあるでしょ。たとえば旅行に行ってみたいとか、死んだ両親の墓参りがしたいとか、恋愛をしてみたいとか」

 ––––そうだ、僕にも願いがあった。

 座敷わらしは人を幸せに導くもの。だからやってくる客たちの幸せのために、幸せを与え続けていたわけだが。

 ––––他人のために命が掻き消えるまで頑張る必要なんてなかったんだ。僕にだって、僕の人生があるんだから。

 そう思えたら、自然とハルキの頬は緩んでいた。

「すごいなあ。僕の方がずっと長くこの世にとどまってるのに。感動しちゃった」

「ずっと部屋に引きこもっているからよ。たまには外に出た方がいいわ。同じ場所にずっといると、思考が狭くなるわよ」

「しょうがないでしょ。座敷わらしなんだから」

 座敷わらしに外に出ろとは。発想が突飛で面白い人だな、とハルキは思った。 
 それと同時に、彼女はどんな願いを抱えてここにやってきたのだろうと興味が湧いた。

「ねえ、君の願いはなに? 僕に頼りに来たんでしょう」

「……私の願いを叶えることで、あなたが消えるなんて夢見が悪いわ。忘れてちょうだい」

 悦子はそう言うと、不機嫌そうな顔をしてハルキから視線を逸らす。

「いいから。叶えないから言ってみてよ。だってもし僕の力が尽きていなかったら、頼むつもりだったんでしょ」

「口に出さないといけないわけ?」

 唇を尖らせ、頬を染める悦子を見て、ハルキはどきりとする。こんな表情もできるのかと思ったら、心がザワめいた。

 ––––なんだろう。人には言えない恥ずかしいお願いなのかな。部屋にやってきた時の剣幕からすると、世界征服でも企んでいる勢いだったけど。

「誰にも言わないから言ってみて。って、言う相手もいないけど」

 顔を真っ赤に染めたまま、キュッと口をつぐんだかと思うと、悦子はしぶしぶ語り始めた。

「……私、結婚したいのよ。包容力があって、優しくて、こんな私を好きになってくれる運命の人に出会いたいの。友達からは、気が強いし、稼ぎすぎてるから、同年代は無理じゃないって言われて。十歳以上は上の人がいいんじゃないかって言われるのだけど。私どうも年上ってダメで。できたら同じくらいの年齢の人がいいのよね。わがままかもしれないけど」

「なんか、僕なんかに頼まなくてもすんなり叶いそうな願いだけど」

「婚活はそんなに簡単なものじゃないのよ! 勉強は頑張れは成果が出るけど、婚活は頑張れば頑張るほど空回りするのよ!」

「そういうもんなのかあ」

 とんでもなく難解なお願いをされるかと思っていたのに、拍子抜けしてしまう。吹き出しそうになるのを堪えて、ハルキは真面目な顔を作った。十中八九、今笑ったら殴られる。

 ––––そうですか、そうですか。要するにあなたは、愛されて、幸せな結婚がしたいんですね。なんだよ。見かけによらず、意外と可愛らしいお願いをするじゃないか。

「座敷わらしのくせにずいぶん突っ込んで聞いてくるじゃない……。私みたいなのはね、『生意気だ』って男には嫌厭されるの。それでも私は自分らしく生きたい。でもそれだと恋愛が難しいのもわかってる。だから結婚できなくてもしかたがないとも思ってるけど、ダメもとでここに来てみたのよ。はい、もうこの話は終わり!」

 悦子は捲し立てるようにそう言うと、勢いよく立ち上がり、畳の上のあちこちに散らばっていた自分の荷物を拾い集め始めた。

「え、もう行っちゃうの? 泊まっていかないの?」

「用事は済んだから。もうここにいる意味がないもの」

 ずいぶんせっかちな人だ。今来たばかりなのに、もう帰ろうとしている。ハルキは慌てた。何事にも無感動になっていた自分の感情を揺り動かしてくれた彼女と一緒なら、もっといろんな発見に出会えるはず。 
 それに、ひとりの女性として、ハルキは彼女に関心を抱き始めていた。

「……ねえ悦子さん。僕もついて行っていい?」

「なんであなたがついてくるのよ」

 ハルキの方には振り向かず、悦子は黙々と荷物を詰めている。

 このままだと逃げられてしまう。そう思ったハルキは、ない頭で悦子についていくための口実を必死に考えた。

「ね、ねえ悦子さん。僕、力は使えないけど、悦子さんに合いそうな人を探すことはできるよ。他のあやかしの力を借りることだってできるし。『願いを叶える力』を使う時ほど確実に縁を結んであげることはできないけど、いいご縁に恵まれる確率は高まるんじゃないかなあ」

 嘘八百だ。引きこもりの座敷わらしにあやかしの友人などいない。ドキドキしながら悦子の背中を見守れば、彼女は荷物を詰める手を止めている。

「その方法なら、私の結婚相手探しを手伝っても、あなたは消えなくて済むの?」

 ハルキは心の中でガッツポーズをした。あてはないし、口から出まかせだったが、とりあえず一緒に居させてもらえればきっとなんとかなる。 
 振り返った悦子の目には、爛々と光が宿っていた。

「うん。力を使うわけじゃないから大丈夫。人間が人力で探すより、ずっといい出会いがあると思うよ!」

 ちょっと大きく出過ぎた、と内心冷や汗をかいていたハルキだったが。

「……あなた! なかなか賢いじゃない。のったわ、その話」

 喜びを満面の笑顔で表現する悦子を見て、笑みが溢れた。

「ふふ。じゃあ決まりだね」

 こうしてハルキは「旅館の座敷わらし」を辞め、横小路悦子についていくことにしたのだった。
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