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消えゆく運命

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 ----あと、ひとりか。

 ハルキは真新しい瓦屋根の上に寝そべりながら、ぼんやりと空を見ていた。

 ----座敷わらしって、消えたら天国に行けるのかなぁ。天国だといいな。そしたらお父さんやお母さんに会えるもの。

 両手を頭上にあげ、ぐっと伸びをする。

 ----今にも消えてしまいそうなボロボロの体なのに、昨日も今日もやることは変わらないんだよな。

 たとえ命が潰えようとも、幸福をもたらす座敷わらしとして客の願いを叶える。それがハルキの存在意義。それはわかっているが、どこか虚しい気もする。

「さて、今日の皐月の間のお客さまは、誰かなっと」

 色々思い悩むのはやめた。
 屋根から飛び降り、ハルキはフロントに続く通路へと向かう。
 途中着物姿の仲居とすれ違ったが、彼女はまったくハルキに気がつかない。普段はこうして幽体になって出歩いているので、人の目には見えない。ただみんな「宿泊客の願いを叶え、幸せにしてくれる座敷わらしの奇跡」については信じている。実際に、ハルキが住み着く「皐月の間」のお客が口を揃えてこういうからだ。

「座敷わらしに願いを叶えてもらった」と。

 ----この宿も、ずいぶんおしゃれになったな。お父さんとお母さんが経営していた時は、もっと古めかしい感じの宿だったのに。

 数ヶ月前にリフォームが完了した老舗旅館「三枝荘」には、もうハルキが人間として生きていた頃の面影はない。ヒノキのいい香りのする施設内は、大半の宿泊客にとっては居心地がいいのだろう。しかしハルキはどうしても好きになることができなかった。

 フロントへ向かうと、ちょうど受付係の仲居が今日の宿泊者リストを見ているところだった。ハルキは彼女の背後に回り込み、リストに書かれた名前をチェックする。

 ----ええと、皐月の間、皐月の間。あったあった。……ん? なんだこの苗字、なんて読むんだ?

「佐々木さん、ヨココウジ様って、何時に到着されるんだっけ」

 受付に現れた女将が、リストを持った受付係に尋ねる。

「あ、女将。えーと、横小路様は、十二時ですね……」

「へー、ヨココウジって読むんだ」

「えっ」

 女将と仲居は、突如頭上から降ってきた男の声に、顔をこわばらせた。

 ----おっとっと。姿を見せないまま喋るのはまずかったなあ。

 口を押さえ気配を消しつつ、ハルキはそのまま二人の様子を伺う。

「……で、横小路様のお出迎えだけど。私が応対するから。有名な若手起業家の方でテレビとかにも出ている人だから。しっかりうちの宿をアピールしておかないと」

 どうやら女将は、ハルキの声を空耳として処理したらしい。

「わかりました。すごくお綺麗な方でしたよね。でも会社を売却されてからは、テレビにも出なくなったし、雑誌とかに出る回数も最近は減ってますよねえ」

「まあ、そういう時期もあるんじゃないの。また新しいことをやり始めるタイミングで、露出も増えるかもしれないし。売り込んでおいて損はないわ」

 ----悦子って名前からすると女性だよね。有名起業家ってことは、強そうなおばちゃんが来るのかな。やだなあ、とんでもないお願いだったら。日本初の女性首相にしてほしいなんて言い出したりして。

 座敷わらしはなんでも願いを叶えられるわけではない。あまりに無理難題であれば断ることもある。特に消えかけの、残り滓みたいなハルキの状態では。

「あ、えっと。横小路様ですが。実は先ほど追突事故に遭われたということで、ちょっと遅くなるとの連絡が入っていて」

 彼女の言葉に、女将は眉を顰める。

「追突事故? 大変じゃない! ご本人は大丈夫なの?」

「はい、大丈夫とのことですが……。ただ警察の現場検証と、保険屋さんとのやり取りがあるので、到着時間が読めなくなりそう、ということでした」

「それは災難ねえ……」

 ----旅館に来る道中の事故なんて、災難だなあ。でも到着時刻がわからないってどうなるんだろ。まあ、もうやることもないし、僕は『皐月の間』へ引っ込んでおく事にするかな。

 必要な情報を聞ききったハルキは、フロントを抜け出ると、ピカピカに清掃されたロビーへ着地する。
 最後にもう一度フロントを振り向き、見えないとわかっていながらも先ほどの二人に向かってお辞儀をする。

 ----ごめんね、女将さん、スタッフの皆さん。横小路さんの願いを叶えちゃったら、明日から僕が現れることは無くなるけど、適当に上手く誤魔化しながらなんとかやってください。


「どうしても振り向いてくれない彼がいて。どうにかして私のことを好きになってくれないかしら」

「出世したい。頑張ってもなかなか認められなくて辛いんだ」

「一生お金に困らない生活がしたい」

 そんな願いを聞くたび、ハルキは優しく微笑み、手を伸ばす。
 オレンジ色の綿毛のような光が辺りに広がり、願った人の体を包み込むと、人々は奇跡に驚き、目の前の座敷わらしに縋り付く。

「いいよ。叶えてあげましょう、あなたの願い。どうか幸せになってね」

 座敷わらしになってからずっと、ハルキは幸せを純粋に欲する人たちの願いに真摯に応えてあげていた。
 でもそれも今日で終わり。ハルキの力はあとひとり分。あとひとりの願いを叶えたら消えてしまう。

 トレードマークである赤いチョッキは毛羽立ってボロボロ。絣の着物は袖がほつれているし、ところどころ切れているところもある。力が弱ってきてからは、「座敷わらし」の形状を上手く保つことができなくなって、大人の姿になってしまった。そのせいで足首まであった着物の裾は、膝下丈になってしまっている。

 ため息をつきつつ、皐月の間に寝転がりながら、ハルキはこれまでの宿泊者の願いに思いを馳せた。

 ----そういえば、昨日の願いはちょっとだけ印象的だったな。

「初恋の幼馴染に会いたい。どうしても会って、あなたが好きだったって言いたいの。どうしても、忘れられなくて。この恋を終わりにしないと、前に進めなくて」

 それは、大学生の女の子の願いだった。

 中学まで一緒の幼馴染がいたらしい。その子の家が急に海外へ引っ越す事になったのだが、最後の最後にそっけない態度をとってしまい、連絡先も聞けぬまま別れが訪れた。今は彼がどこにいるかさえわからないという。

 ハルキは彼女の願いを叶えた。今頃どこかで、初恋の彼と顔を合わせていることだろう。

 ----僕への願いは会わせてあげることだけだったけど。果たして彼らの縁はふたたび交わることになったんだろうか。

「いいなあ。忘れられない初恋かあ」

 人間だった時から思い起こしても、ハルキは恋をしたことがない。

「人を好きになるって、どんな感じなのかな。僕も一回くらい恋愛をしてみたかったなあ。……まあ、もう無理ですけどね」

 乾いた笑いが漏れて、途端に虚しくなった。

 ----まあ、しかたがない。僕の命はもう終わるんだから。
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