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番外編

黒ウサギの策略 前編

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城の一角にある薬草菜園は数少ない憩いの場所だ。



うねのあいだにしゃがみこみ、黒いウサギ耳をピンと伸ばしたフィリーは黙々と作業にいそしんでいた。
丹精込めて育てた薬草たちが日の光を受け、風に揺れている。


王医の助手に採用されてからあっという間に4年がたった。

年を取り、足腰が弱ってきた王医から引き継いだ菜園にはたくさんの種類の薬草を植えており、葉や茎や根っこまで様々な部位が貴重かつ大事なものばかりだった。
柔らかくしっとりと水分を含んだ良質な土には養分が行き届いていて、少し掘っただけでミミズたちが顔をだす。ひとつつまんでみた。ぷくぷくと膨らんだなかなか立派なものだった。そばにおいた小さなバケツに放り込み、空いた場所に新しい種を落としてその上にふわりと土をかぶせた。

 ──今日はこのくらいにしておこう

そろそろ王と子猫の朝食の時間だ。朝議が始まる前に王医とともに私室に行かなければならない。子猫の世話の邪魔をされたくないらしい王が納得するタイミングで訪れなければならず、早くても遅くてもだめなのだ。

収穫したものを持って作業場へ戻ろうと思っていたときだった。フィリーの長いウサギ耳が靴音をとらえ、ほどなくしてかがむ顔に影が射した。

「やあ、フィリー。薬草の収穫かい?」

近頃しつこく言い寄ってくる医務局の役人だった。うんざりしながらも「おはようございます」と返す。名前も知らないほどどうでもいい相手だが、自分より上の立場のものだから無視するわけにもいかない。

《王の子猫》の世話係になってからあまり顔をあわせなくてすんでいたのにと、心の中でためいきをついた。
街へいこう、食事を共にしようという誘いを「忙しいので」とそっけなく断っていると、役人の後方から騎士団の団長であるガレウスがやって来た。少し離れた場所で立ち止まるとすぐに声はかけてこず、腕を組んで役人とフィリーのやりとりを観察している。

フィリーの視線をたどって振り返った役人は、ガレウスと目が合うなり飛び上がった。震え声であいさつもそこそこに走り去っていく。
フィリーは立ち上がり、上着の裾についた土を払った。──やれやれ、助かった。

「王医どのが探している」

「はい。ちょうど戻ろうかと思っていました」

おはようございます、と改めてあいさつをすると頷きでかえされた。相変わらず無口な男だ。無愛想とまでいかないのはきちんと相手の目を見ているからだが、それも眼光が鋭すぎてよく相手を怖がらせている。
フィリーもそうおしゃべりな質ではないので顔を会わせても会話ははずまない。いつものことなので別に気詰まりでもない。むしろガレウスがそばにいることで余計なものたちが寄ってこないのだからこの沈黙は平和の証だった。

作業場へ続く道を無言でならんで歩きだすと、スッと本を差し出された。

「頼まれていたものだ」

礼を述べて受けとり、パラパラとページをめくる。他国のもので、発達の遅い幼獣の人化を促す手引き書だった。目次と挿し絵からしてなかなか過激な内容だ。
成獣になったのに人化の気配がない王の猫のため、読んでみたいと頼んでいたものだった。
チラリと横目で見ると実直なガレウスは予想通り渋面だった。

「目を通されましたか?」

無言の頷き。

「悲惨だった」

本当にそれを見せるのか、と目で問われ微笑む。

できることはなんだってやります、と、フィリーは静かに言い切った。






      ※





 ───フィリーは若くしてツガイを亡くした孤独なオメガ


皆がそう思っているのは知っている。可哀想なフィリー。孤独なフィリー。まだ若いのに、と。
ひそかなささやきも余計な心配も、その裏にある下世話な思いさえも、長い耳は敏感にとらえてしまう。

ウサギという獣種は明確な発情期がない。
獣人は心身ともに健康であるうちは性欲が旺盛なものだが、ウサギは中でも群を抜いており、春頃がもっとも強まるものの、通年発情期であると考えられている。
子だくさんで愛情深く、性格はおとなしく従順ながら、性に対しては好奇心旺盛で能動的であるのが一般的な特徴だ。

ウサギ獣人のツガイになることはある種の優越感を刺激するらしい。

フィリーがそう気づいたのは成獣になり、無事人化してすぐのことだった。

ウサギの中でも稀少な黒ウサギで、その上オスでありながら妊娠可能なオメガのため、男女問わず周囲の関心を引きやすかった。フィリーは意味を理解する前からたくさんの求愛行動や発情を向けられ、家族以外で心を許せるのは幼馴染みのラリーだけだった。

ラリーは牛の獣人で立派な角の持ち主だった。体格もよかった。フィリーが困っているのに気づくとすぐにやって来て、角を突きつけ簡単に嫌な相手を追い払ってくれた。
友人というよりは兄弟に近く、激しい恋ではなかったが、愛情は感じていた。ラリーも自分にしか懐かないフィリーを守るうちに、他の誰にも譲れないほどの愛着をいだいていった。
だからラリーからツガイになろうと言われたとき、迷わず頷いた。当然そうなると思っていたし、お互いの家族もそれを望んでいるのは知っていたから。

ラリーがそばにいればフィリーは平和に暮らせる。明るくおおらかなラリーといるときはフィリーもよく声をあげて笑ったものだ。些細なことでも一緒にいれば楽しめた。お互いを大事にして家族を増やしていく。そんな穏やかな生活が死ぬまで続くのだと思っていた。


───ラリーが突然命を落とすまでは。




       ※






「フィリー? ねぇあなたフィリーよね?」

夕方に執務を終えた王が私室に戻ったため世話係の仕事を終えたフィリーは、菜園のそばの作業場へ向かっていた。今朝収穫したものを加工しなければならない。

突然名を呼ばれ振りかえると、メイド服に身をつつんだアンバーがいた。ラリーの上官だったジークレストのツガイだ。会うのはラリーが逝って王医の助手になって以来だから約四年ぶりだ。

「やっぱり。久しぶりね、元気だった?」

「うん。元気だよ。…アンバー、あなたここで何をしているの?」

「人手が足りないってジークから聞いたから、臨時のメイドをしてるのよ。娘たちも成獣になって手が空いているから。いまから空き部屋のお掃除に行くの」

手にした空のバケツには布がかけられており、それをかかげてアンバーが言った。

「《王の子猫》様のお世話係になったそうね。すごいじゃないのフィリー。王医さまの助手の仕事も続けているの?」

「うん。どちらも大事なことだから」

「頑張ってるのね」

「うん…」

微笑むアンバーの視線を避け、うつむいた。嘘は言っていない。どちらも大事なことだ。──フィリーが平和に生きていくために。

「じゃあ、僕もやることがあるから」

「そうね、またね」

手をふって歩き去るアンバーを見つめ、しばし物思いに耽った。彼女の獣種はなんだっただろうか。思い出せない。だが、あの耳はイヌ科のものだ。

キラリと一瞬目を輝かせ、フィリーは何事もなかったかのように作業場へと向かった。


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