11 / 26
第2章
はじめての人化
しおりを挟む「ああっ、しまった…!」
はじめて耳にする声と一瞬の強烈な輝きに、アランは相貌をゆがめた。
部屋が真っ白になるほどの光がおさまるよりさきに胸の重みは消えていった。
やがて部屋に色彩が戻ってくると、すぐ目の前に青みがかった白髪の後頭部があった。
そこからすらりとのびた首筋と、美しい肩甲骨の後ろ姿にアランの胸が熱くときめく。
人化したヒロキがアランに背を向け、膝立ちでメイドと対峙していた。
「ヒロキ…」
力ない呼び掛けにヒロキの頭の猫耳がピッと反応した。
振り返ってくれるのを期待するアランの前で、顔に手をかざしたメイドがグラリと傾いだ。
そのまま倒れ込まれ、支えそこねたヒロキが「おわっ」とたまらず尻餅をつく。
「痛って。……あらら。気絶してるよメイドさん」
胸にしなだれかかったメイドを見下ろしつぶやく。
体の上からずり下ろして仰向けにすると、ヒロキはメイドを横抱きにして立ち上がった。「ほっ」と軽い掛け声。
「ヒロキ」
名を呼んでいるのにさっきからこちらを見ようとしない。あきらかに無視している。
アランは焦った。
力の入らない体で手を伸ばすが、指先がわずかに届かない。
「待てヒロキ、行くな…!」
制止の声を無視して入り口に向かってスタスタ歩いていくと、ヒロキはバァン!と足で扉を蹴り開け「フィリー!」と世話係を呼びつけた。
扉のすぐ外で控えていた相手に「ほいよろしく」とメイドを押し付け、ひとことふたこと何か言いつけている。いつもなら聞き取れる距離なのだが、メイドがそばから離れたというのに、アランの意識は依然朦朧としていた。
はじめて人化したヒロキに誰もが目を見張っていた。
周囲の戸惑いなど気にもしないヒロキは、腰に手をあて「ふぅ」と息をついている。
メイドを他のものに託したフィリーが顔を背けつつおずおずと切り出した。
「ヒロキさま…」
「うん?」
「…とりいそぎ何かお召し物を」
「おめしもの?」
ん? と下を見下ろしてようやく気づいたらしい。あっと声をあげる。
そう、堂々たる態度の彼は全裸だった。
「いやー猫生活で裸慣れしちゃってたからさ、全然気づかなかったわ」
はは。と明るく笑うと、警護の騎士たちに目をとめた。
「あ、そこのお兄さん。悪いんだけどちょっとそのマント貸してくんない?」
「はっ、はは!」
「どうぞ……っ」
飛び上がり返事をした警護の騎士たちが引きちぎる勢いでマントをはずし、我先にと差し出した。
「一枚でいいんだけど…。ありがと」
戸惑いつつもニコッと笑うヒロキに騎士たちはボウッと見とれた。そして──
「あ」
「…うっ」
「…くっ」
つー、と赤いものがそれぞれの鼻から流れ出た。
たまらず顔面を押さえ、身を折る護衛騎士たちにフィリーがぎょっとした。目を丸くするヒロキを背に隠す。その前にさらにガレウスが立ち、騎士たちを睨みおろして言った。
「ヒロキさまはすぐに私室内へお戻りください」
「えっ?」
「さぁ、お早く!」
「ちょ、フィリー、そんな押すなって」
腰に巻こうとしていたマントをすばやく取り上げられ、背中をグイグイ押される。その時だった。
地響きのような低いうなり声が聞こえてきた。
いつの間にか銀狼に転化していたアランが目を爛々と輝かせ、こちらを睨み付けていた。否、正確には警護の騎士たちをだ。
愛しいツガイに「匂い付け」をしようとし、あまつさえ発情したため、本能が彼らを敵とみなしたのだ。
「王よ、お静まりください…!」
───ウォォォオオオオ!
ガレウスの制止も耳に入らない様子だった。
アランの怒りの雄叫びが城中に響き渡り、地震のような揺れを引き起こした。そこへ強風が吹き出し始め、私室内の家具やカーペットが風に舞い上がる。部屋の中は一瞬にして大参事となった。
───オオオオオォォォ!
獣の本能が覚醒し、銀狼姿のアランがぐんぐん大きくなる。頭が天井を突き破り、壁にも亀裂が生じた。窓ガラスがパァン!といっせいに弾ける。
膨らみ続ける王の怒気に、警護の騎士たちは床に押し潰されるように横たわったまま起き上がれずにいる。はくはくと、苦しそうに胸を押さえている。
ガレウスは圧迫感に苦しむフィリーを胸に抱き込み、この場から一旦離れようとした。
私室の入り口に立ち、両腕を交差して顔をかばって立っているヒロキに手を伸ばす。肩を掴んだが振り払われた。
「ヒロキさま…?」
名前を呼ばれ、腕の隙間からチラリと視線を寄越したヒロキが無言で首を振る。キッと前を見据え、前かがみの姿勢で一歩また一歩と私室内に向かっていった。
その様子をガレウスは信じられない思いで見ていた。
屈強な騎士でさえひれ伏すほどの圧迫感を、ヒロキはまるで感じていないようだった。強風だけが妨げとなっているようだ。
部屋に入り、宙を舞う家具の向こうの銀狼をにらみつけ、ヒロキは大きく息を吸い込んだ。
「アラーーーーン!」
絶叫に近い声で名を呼ぶと、遠吠えがピタリと止んだ。風がゆるゆると弱まり、消える。
身をかがめ、上階に突き抜けていた顔を向けてきた相手に人差し指をビシッと突きつけ言い放った。
「馬鹿野郎! なぁにやってんだっ!」
「クウゥゥン」
「いますぐ小さくなれ!」
銀狼はヒロキの一喝でしゅるるると小型化した。
うなだれた姿勢のまま上目遣いでこちらを見ている。
腕を組み、よし、とヒロキは頷いた。
その様子をガレウス以下数名が呆気にとられた様子で見ていた。
私室内はひどいありさまだった。天井や壁はところどころ崩壊し、割れたガラスの破片が散乱していた。とてもすぐには修復できそうにない状態だった。
騒ぎを聞き付けやってきたザラスが代わりの部屋を用意した。歴代の王のツガイのための部屋だった。
ザラスは人型になったヒロキに気づくと、丁寧に初人化への祝いを述べた。
だが「どうも」とどこか浮かない顔つきのヒロキと、その周囲をそわそわと落ち着きなく歩き回る銀狼姿の王を見つめ、ふむ、と白く長いアゴヒゲを撫でた。
巨大化を自力で解いたとはいえ王はまだあきらかに興奮状態にあり、獣型から人型に転化できない様子だった。
ザラスはそばに控える侍従に、王のツガイの部屋の浴槽に水を貯めるよう指示した。
そしてヒロキを見つめ静かに言った。
「おふたりには少し、語り合う時間が必要かと思います…」
23
お気に入りに追加
840
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる